2005年11月28日 (21:57)
1.傲慢さの起源 2.差異の垂直・水平性に関して再考
1.傲慢さの起源 2.差異の垂直・水平性に関して再考
テーマ:相対性理論/量子論
1.傲慢さの起源:はっきり経験的にわかるのは、傲慢さとは、差異を閉ざしていることから発しているということである。この差異を閉鎖ないし閉塞させることは、どういう構造をもつのだろうか。あるいは、同じことであるが、傲慢さとは、他者を排斥することから発している。差異と他者の閉鎖・排出・隠蔽。これまで、何度も述べたが、これは、差異共存志向性のイデア界を閉ざしていることである。今の考えは、これまで、述べたことの繰りかえしであるが、差異の連続・同一性化が生起し、また、その反転が生起して、差異化が生じる。だから、連続性ないし構造性と不連続性・脱構造性との矛盾が生じるのである。そして、このバランスを取るのが、人倫ということである。しかし、この矛盾を否定する連続・同一性・構造性が近代的自我にある。これは、近代的自我的合理主義で、すべてを解明しようとするので、矛盾を否定するのである。コギトが、近代的主客二元論的自我となるのである。思うに、ここには、不誠実さがある。虚偽がある。自身の矛盾を矛盾として認めずに、近代的自我によって、それを排出・隠蔽して、自己正当化するのであるから。そう、近代的自我は、不正となる。
2.差異の垂直・水平性について:
問題は、立体性にあるのではないか。イデア界は平面であり、そこに、垂直・水平性がある。そして、その平面に直交するように力がはたらく。z軸である。これが、人間で言えば、自我の起源であろう。スピノザのコナトゥス(自己保存欲)とは、このz軸的力によるのではないか。しかし、これは、イデア界平面性をもっているだろう。つまり、このz軸的力は、イデア界の虚力を内在しているだろう。z軸的力とはメディア界の力=エネルギーである。そう、z軸的力をコギトの力と言えるだろう。これは、現象界とイデア界の媒介となっているだろう。このコギトには、差異の垂直・水平性というイデア界の虚力が内在しているのである。だから、現象界的コギトは、内在的にイデア界的コギト(特異性、不連続的差異)へと展開する志向性をもつと言えようが、実際は、1.で述べたように、内在的矛盾を排出・隠蔽して閉ざして、傲慢となる傾向があるのである。
とまれ、これで、メディア界的垂直性(屹立性、z軸的力)とイデア界的垂直・水平性を区別できたのではないか。
また、思うに、メディア界的垂直性とは、内的時間、内在的時間ではないか。この時間が力ではないだろうか。思うに、これはまったく思いつきだが、メディア界的垂直性は内的時間であり、また高さの次元ではないか。つまり、この垂直性、z軸は、時間と高さ、つまり、二つの次元を兼ねているのではないか。イデア界平面が、x軸とy軸で構成され、それに垂直にz軸が発出する。作業仮説として、これを、内的時間とし、かつ第三次元とする。そして、例えば、これを重力方向と考えよう。鉛直線である。この重力方向において、時間が進行するのではないか。そう考えると、三次元空間が、時間的に進行するのではないだろうか。
また、メディア界的垂直力とはゼロ度の力である。だから、思うに、重力と光は同時発生である。そして、また、差異連続化の力として、強い力と弱い力が発生するだろう。強い力は、差異の水平力であり、弱い力は、差異の垂直力から派生するのではないか。問題は、重力と光の関係である。これは、先に触れたことだが、イデア界の不連続的差異の即自的力=対自的力であり、これが、境界の力、虚力を生んでいる。そして、これが、1/4回転によって、境界がゼロ化される。この時に、即自的力と対自的力が分裂して、即自的力が、弱い力と強い力に、対自的力として、重力と電磁気力が発生するのではないか。これは、作業仮説である。即自的力は、連続力そのものである。そして、対自的力は、放出されるエネルギーである。重力と電磁気力が放出されるのである。ここで、即自的力から類比的に言えば、不連続的差異の垂直性の対自的力は、重力であり、不連続的差異の水平的力は、電磁気力となるのではないか。また、両者は、対極的相補性を形成しているのではないだろうか。また、即自的力と対自的力とは、量子論の粒子/波動の相補性に通じるのではないだろうか。
問題は、重力エネルギーと電磁気力エネルギーの関係ではないか。思うに、重力とは垂直に電磁気力が働くのではないか。そう、電磁気力を水平面として、それへの直交軸として、重力を考えよう。これは、正に、植物の生長を示唆しないだろうか。あるいは、造山運動を。(参照:フレミングの法則)もし、そうなら、エネルギーの立体力学となるだろう。
ところで、光を発する太陽や恒星とは、イデア・メディア境界の差異の事象だろう。また、ここは、宗教的事象と一致するだろう。光と神仏の関係。
テーマ:相対性理論/量子論
1.傲慢さの起源:はっきり経験的にわかるのは、傲慢さとは、差異を閉ざしていることから発しているということである。この差異を閉鎖ないし閉塞させることは、どういう構造をもつのだろうか。あるいは、同じことであるが、傲慢さとは、他者を排斥することから発している。差異と他者の閉鎖・排出・隠蔽。これまで、何度も述べたが、これは、差異共存志向性のイデア界を閉ざしていることである。今の考えは、これまで、述べたことの繰りかえしであるが、差異の連続・同一性化が生起し、また、その反転が生起して、差異化が生じる。だから、連続性ないし構造性と不連続性・脱構造性との矛盾が生じるのである。そして、このバランスを取るのが、人倫ということである。しかし、この矛盾を否定する連続・同一性・構造性が近代的自我にある。これは、近代的自我的合理主義で、すべてを解明しようとするので、矛盾を否定するのである。コギトが、近代的主客二元論的自我となるのである。思うに、ここには、不誠実さがある。虚偽がある。自身の矛盾を矛盾として認めずに、近代的自我によって、それを排出・隠蔽して、自己正当化するのであるから。そう、近代的自我は、不正となる。
2.差異の垂直・水平性について:
問題は、立体性にあるのではないか。イデア界は平面であり、そこに、垂直・水平性がある。そして、その平面に直交するように力がはたらく。z軸である。これが、人間で言えば、自我の起源であろう。スピノザのコナトゥス(自己保存欲)とは、このz軸的力によるのではないか。しかし、これは、イデア界平面性をもっているだろう。つまり、このz軸的力は、イデア界の虚力を内在しているだろう。z軸的力とはメディア界の力=エネルギーである。そう、z軸的力をコギトの力と言えるだろう。これは、現象界とイデア界の媒介となっているだろう。このコギトには、差異の垂直・水平性というイデア界の虚力が内在しているのである。だから、現象界的コギトは、内在的にイデア界的コギト(特異性、不連続的差異)へと展開する志向性をもつと言えようが、実際は、1.で述べたように、内在的矛盾を排出・隠蔽して閉ざして、傲慢となる傾向があるのである。
とまれ、これで、メディア界的垂直性(屹立性、z軸的力)とイデア界的垂直・水平性を区別できたのではないか。
また、思うに、メディア界的垂直性とは、内的時間、内在的時間ではないか。この時間が力ではないだろうか。思うに、これはまったく思いつきだが、メディア界的垂直性は内的時間であり、また高さの次元ではないか。つまり、この垂直性、z軸は、時間と高さ、つまり、二つの次元を兼ねているのではないか。イデア界平面が、x軸とy軸で構成され、それに垂直にz軸が発出する。作業仮説として、これを、内的時間とし、かつ第三次元とする。そして、例えば、これを重力方向と考えよう。鉛直線である。この重力方向において、時間が進行するのではないか。そう考えると、三次元空間が、時間的に進行するのではないだろうか。
また、メディア界的垂直力とはゼロ度の力である。だから、思うに、重力と光は同時発生である。そして、また、差異連続化の力として、強い力と弱い力が発生するだろう。強い力は、差異の水平力であり、弱い力は、差異の垂直力から派生するのではないか。問題は、重力と光の関係である。これは、先に触れたことだが、イデア界の不連続的差異の即自的力=対自的力であり、これが、境界の力、虚力を生んでいる。そして、これが、1/4回転によって、境界がゼロ化される。この時に、即自的力と対自的力が分裂して、即自的力が、弱い力と強い力に、対自的力として、重力と電磁気力が発生するのではないか。これは、作業仮説である。即自的力は、連続力そのものである。そして、対自的力は、放出されるエネルギーである。重力と電磁気力が放出されるのである。ここで、即自的力から類比的に言えば、不連続的差異の垂直性の対自的力は、重力であり、不連続的差異の水平的力は、電磁気力となるのではないか。また、両者は、対極的相補性を形成しているのではないだろうか。また、即自的力と対自的力とは、量子論の粒子/波動の相補性に通じるのではないだろうか。
問題は、重力エネルギーと電磁気力エネルギーの関係ではないか。思うに、重力とは垂直に電磁気力が働くのではないか。そう、電磁気力を水平面として、それへの直交軸として、重力を考えよう。これは、正に、植物の生長を示唆しないだろうか。あるいは、造山運動を。(参照:フレミングの法則)もし、そうなら、エネルギーの立体力学となるだろう。
ところで、光を発する太陽や恒星とは、イデア・メディア境界の差異の事象だろう。また、ここは、宗教的事象と一致するだろう。光と神仏の関係。

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