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2009年09月09日 (15:21)

検討問題:光と闇と超越光:顕界と玄界と超越界

これまで、超越光ないしは超光について述べたが、それは、虚軸のMedia Pointに発生するだろう。それは、虚軸の世界を満たすのではないだろうか。
 しかしながら、同時に、現象光が発生し、それが、現象界を照らす。これが、⇒+1である。思うに、光は、⇒であり、+1が照らされる物質ではないだろうか。だから、⇒+1は、身体ではないだろうか。
 結局、超越光は、(+i)*(-i)ではないだろうか。そして、⇒が光である。では、⇒-1の⇒は何だろうか。
 これが闇ではないだろうか。では、-1とは何か。単純に言えば、反物質ではないだろうか。それとも、ダーク・マターだろうか。もし、そうならば、⇒-1の⇒はダーク・エネルギー、反光である。
 以上のように作業仮説すると、今日、光や現象は可視化され、意識化されているが、超越光や反光は認識されていないと言えよう。
 反光については、あいまいなので、おいておくが、超越光は、直感ではかなりわかりやすいのである。即ち、それは、正に、即非精神、差異共振現象を意味するからである。あるいは、一性、コスモスである。
 これは、一種の感性、身体的感性、正しくは、Media Point的心身感性であり、感得されるものである。通常の視覚に重なる「感性」であり、視覚が超越化されるのである。超越的視覚となると言えよう。
 超越光は、原光+iと原闇-iの共振によって生起するものである。
 問題は、通常の現象光である。これは、⇒+1の⇒と言ったが、本来、現象光の根源は超越光のはずであるが、どうして、超越光が排除される傾向にあるのであろうか。
 これは解明済みだと思うが、当然、同一性が支配的になるからである。そう、現象とは本来、差異共振現象なのであるが、人間の同一性がそれを同一性=物質的現象に「歪曲」しているのである。
  ⇒+1の+1を+iの認識が取り込んで、同一性現象とすると思われる。つまり、本来存する差異共振現象の超越光を現象光に還元していると考えられるのである。つまり、光は本来、超越光であるということである(天照大神、お天道様、大日如来、アフラ・マズダー、他。D. H. ロレンスの説く暗い太陽dark sunとは、正しくは、超越光、Media Pointの光と考えられる。)。即ち、(+i)*(-i)⇒である。
 認識+iが+1の物質に没入して、超越光がいわゆる現象光になってしまうということになる。言わば、超越光を同一性光に還元しているのである。
 ところで、さらに問題は、認識についてである。認識を+iとしたが、どうだろうか。これは、知的認識、とりわけ、言語的認識である。
 しかし、精神(身体)現象とは、原知+iと原身体-iとの共振と考えられるので、ある意味で、2つの認識力の共振作用である。即ち、+iの認識と-iの認識の共振ということである。
 では、いったい、-iの認識とは何か。これが、近代合理主義において、否定されるものである。(思うに、ハイデガーの存在論を肯定的に評価するならば、「存在」とは、-iを意味しているだろう。しかし、-iは「存在」ではなく、認識性である。)
 分かりやすく、比喩的に言えば、個とは双子なのである。一人が+iであり、もう一人が-iである。だから、一人の認識ともう一人の認識が共振していると言えよう。結局、三元的である。
 では、端的に、もう一人の認識とは何か。それは、他者の認識である。近代的自我はこの他者の認識を排除しているのである。
 身体、感性、直感等々をいうものは、本来は、他者の認識に拠るものであろう。正確に言えば、自己の認識と他者の認識の共振性である。
 とまれ、この他者の認識こそが、極言すれば、最重要であろう。ここにすべてがあると言ってもいいだろう。
 そう、自己の認識+i(自己認識ではない)とは、ある意味で、他者の認識を映す鏡のようなものに過ぎないのではないだろうか。私が測深するのは、この他者の認識ではないだろうか。つまり、+iより、-iの方が重要であるということになるだろう。+iを優位化すると、+1と同化するのであり、-iを優位化すると、-1と同化するのではないだろうか。
 この-1が智慧の源泉ではないだろうか。思うに、超越光は、光と闇に分化するが、+iが光に同化し、-iは闇に同化するのではないのか。(ならば、暗い太陽は-1になるのではないだろうか。)
 とまれ、-iを優位化したときに見えてくる世界を注視しないといけない。(禅はこの世界を瞑想しているのではないのか。)
 それは、いわば、玄の世界ではないのか。玄界である。顕界に対して、玄界があるということになる。
 とまれ、以上、問題提起である。
 
George Harrison - Who can see it


洋楽 George Harrison - Who Can See It Lyrics 歌詞

I've been held up,
I've been run down
I can see quite clearly now
through those past years,
when I played towing the line.
I only ask, that what I feel,
should not be denied me now,
As it's been earned, and
I have seen my life belongs to me
My love belongs to who can see it

I've lived in fear,
I've been out there,
I've been 'round and
seen my share
of this sad world
And all the hate,
that it's stirred
I only ask,
that what I know,
should not be denied me now
As it's been learned,
And I have seen my life belongs to me
My love belongs to who can see it

I only ask, that what I feel,
should not be denied me now
As it's been earned, and
I have seen my life belongs to me

My love belongs to who can see it.

My love belongs to who . . .

http://www.gahosting.info/hosting-george-harrison/hosting-who-can-see-it.html
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