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2009年09月23日 (01:10)

検討問題:「地霊」spirit of placeと「気」と龍脈と電磁波

これまで何度も書いたが、田舎の「自然」的環境において、「気」がある。今、東京から離れて暮して、異なる環境に住んで、異なる「気」があり、それが私の心身に影響していると感じる。
 いわば奇跡的に、かなり大きな落葉樹林の森が近くにあり、そこにいると、森の「気」があるのを感じる。これは、「電磁波」と言っていいだろう。
 そして、これは、「地霊」と関係すると思う。土地と森と空気との共振・共鳴によって「気」が存しているようであり、これを「地霊」と呼べるように思う。すると、「地気」とも呼べよう。
 また、道教・風水の龍脈であるが、これも一つの「地霊」であろう。
 そして、この「地霊」という「電磁波」には、「記憶」=情報があるのではないだろうか。それは、生者の「精神」も電磁波として存し、また、死者の「精神」も電磁波として存するのではないだろうか。もっとも、人間の「記憶」=情報だけではないが。
 思うに、折口信夫が、熊野の大王个崎の先端に立ち、祖先へのノスタルジアを感じたのは、その「地霊」の「記憶」=情報と共鳴したためではないだろうか。そして、それは、Media Pointを介して共鳴・交感すると言える。
 では、この「地霊」・「気」・「電磁波」は、PS理論から見るとどうなるだろうか。当然、天+iと地-iの共鳴したエネルギー様態であると言える。つまり、差異の境界面において、それが発生すると考えられる。例えば、地面と大気の境界、海と大気の境界、等である。
 そして、情報が⇒-1に蓄積されているのではないだろうか。つまり、⇒-1に「記憶」=情報があるということである。折口信夫はMedia Pointを介して、祖先の「記憶」=情報と共鳴したということになる。
 後でさらに検討したい。  

参考:
妣が国へ・常世へ
異郷意識の起伏
折口信夫
「十年前、熊野に旅して、光り充つ真昼の海に突き出た大王个崎の尽端に立つた時、遥かな波路の果に、わが魂のふるさとのある様な気がしてならなかつた。此をはかない詩人気どりの感傷と卑下する気には、今以てなれない。此は是、曾(かつ)ては祖々の胸を煽り立てた懐郷心(のすたるぢい)の、間歇遺伝(あたゐずむ)として、現れたものではなからうか。」
http://www.aozora.gr.jp/cards/000933/files/13212_14465.html
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