2005年12月04日 (14:43)
「2つの1/4回転:2つのメディア差異と4つの力」の記事を整理する
「2つの1/4回転:2つのメディア差異と4つの力」の記事を分けて、整理したい。
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1.ガウス平面で、x軸のプラスにおいて、1/4回転するとき、虚数はプラスとなる。また、x軸がマイナスにおいて、1/4回転するとき、虚数はマイナスとなる。つまり、メディア界化、ゼロ化は、2つの、2種類の差異・ゼロ度を形成すると言えるようだ。プラス・差異・ゼロ度とマイナス・差異・ゼロ度である。差異・ゼロ度は、連続的差異であり、簡単にするため、連続差異ないしメディア差異と呼ぼう。即ち、+連続差異(+メディア差異)と−連続差異(−メディア差異)である。(ここで、関係子、メディオンという用語を借りてもいいだろう。
http://ameblo.jp/renshi/entry-10006583617.html
)量子力学では、2つの量子があるが、この±連続差異(±メディア差異、±関係子、±メディオン)が、それに相当するのかもしれない。
問題は、このメディア差異の力の関係である。メディア界を、エネルゲイアと見ているが、この2つのメディア差異によって対極・両極性が発生するだろう。これを、陰陽と見ていいだろう。先に、メディア界のゼロ度において、極性が発生すると見たが、しかし、今や、2つのメディア差異があるのだから、2つのメディア差異×ゼロ度極性(+と−)=4元性、4極性が発生しているのである。+メディア差異の正負と−メディア差異の正負の4つである。
とまれ、この±メディア差異が、根源的2元性の起源ではないだろうか。陰陽、雌雄、対極等々である。±メディア差異の根源は、ガウス平面のx軸上の不連続的差異であり、これらは、不連続的調和(discordia concord)、不連続的共立を成している。これが、1/4回転して、この±メディア差異を発生させる。これは、正に、対極性であり、相補性であろう。そして、量子力学の世界であろう。この2種類のメディア差異(連続差異、メディア子、量子、関係子、メディオン)が、対極となり、二重らせんを形成するのではないだろうか。【中国の神話、女媧(じょか)と伏羲(ふっき、ふくぎ)の神話。イシスとオシリスの神話、あるいは、ノアの箱船と関係しそうである。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A5%B3%E6%B8%A6%E6%B0%8F
】+メディア差異と−メディア差異は対称的な二重らせんを描くだろう。そして、これらは、対立しつつ一体である。つまり、ガウス平面・イデア界の+(のx軸)と−(のx軸)をもって、対立一体化しているのである。この対極力が、例えば、DNAの二重らせんを構成するのだろう。そして、一本のらせんのひもの連続は、ゼロ度における極性、+と−によるものであろう。だから、根源的極性とメディア界的極性を区別する必要があるだろう。とりあえず、前者をイデア極性、後者をメディア極性と呼んでおこう。
【p.s.】 問題は、これまで、不連続的差異の内在的垂直・水平性を作業仮説してきたが、ここでは、抜けていることである。垂直性と水平性が相補性を成していて、それが、メディア界で、即自的と対自的に分離して、4つの力が生起したと考えたのである。しかし、上記では、この考え方が無視されている。ゼロ度における極性によって、いわば、メディア的4つの力を説明している。今の考えを言えば、やはり、垂直・水平性は無視できないのではないかというものである。単なる極性では、4種類の力の性質の相違を説明できないだろう。
では、垂直・水平性という相補性を活かすならば、ゼロ度の極性はどうなるだろうか。ゼロ度の極性とは、垂直・水平相補性のそれぞれの力における極性となるのではないだろうか。この問題は複雑なので、稿をあらためて検討したい。ここで、既述したことを、繰り返せば、メディア界において、イデア界的即自=対自性が、分化して、即自性と対自性とになる。そして、即自性において、弱い力と強い力、対自性において、重力と電磁気力とが生起する。しかし、これらは、メディア界においては、いわば、メディア的4つの力と見るべきであろう。これが、「積分」して、現象界の4つの力として発現するのだろう。(ところで、急に思いついたが、以上のように考えると、重力にも、極性が生じていることになるだろう。+重力と−重力。そう、重力と反重力であろう。
今、確認しておくと、メディア界は、一種微分領域であるということである。ここの4つの力とは、微分様態である。これが、積分されて、現象化するということだろう。ベルクソン、ハイデガー、ドゥルーズは、このメディア界→現象界の顕現を哲学化したのである。しかし、本当は、微分・積分は近似値に過ぎないだろう。量子力学が明らかにしたように、確率の世界となっている。微分・積分は、メディア・現象境界の一つの形式ではないだろうか。ならば、メディア的4つの力のメディア・現象境界の形式として、微分・積分であろう。そして、メディア的4つの力とは、本来、ゆらぎ様態であろう。構造と言ったとき、それは、メディア・現象境界形式であろう。例えば、カントの超越論的形式のように。原型と言ったときも、そうではないだろうか。
では、メディア界本来のゆらぎとは、どう把捉・理解されるべきか。それは、ゼロ度による不連続的差異の連結化の事象である。このゼロ度・ゼロ化によって、分離していた差異が連結・結合するのである(、おそらく、エネルギーを放出して)。この差異連結・結合が、メディア界本来であり、また、ゆらぎの様態である。そして、何度も繰り返すが、これが、量子力学が対象とする自然である。粒子/波動相補性の領域である。ただし、粒子と波動であるが、これは、現象界に反映されるメディア界の「粒子」と「波動」と見るべきである。つまり、メディア界において、差異・ゼロ度は、「粒子」様態と「波動」様態の両面をもつ。そして、メディア的4つの力とは、「波動」様態に入るのではないだろうか。
ここで、整理すると、+メディア差異と−メディア差異の2つの基本「量子」がある。そして、これが、それぞれ、4つの力を派生させる。しかし、4つの力は本来不可分である。未分化である。「カオスモス」である。この「カオスモス」が、量子力学の対象とする領域である。そして、この「カオスモス」は、2つのメディア差異である、2つの基本「量子」である「粒子」様態を帯び、また、メディア的4つの力である「波動」様態を帯びると言えよう。
2.さて、ここで、メディア界の力を考えよう。ゼロ化によって、イデア界の境界の虚力が、実的力となる。(おそらく、有限力である。)これは、メディア差異と力との不可分一体相補性を意味するのではないだろうか。ゼロ化によってメディア差異が発生するが、それは、有限であり、いわば、反作用として、脱連続化エネルギーを同時にもっているのである。つまり、ゼロ化の連続化とは、同時に、脱連続化を意味している。生成消滅である。脱構築である。とまれ、メディア差異(連続差異)は、+と−、−と+との2つの連続化の力をもつだろう。そして、メディア差異自体が、2種類だから、結局、4つの力が発生するだろう。これで、2種類のメディア差異と4つの力が演繹された。これは、現代物理学のあり方と一致する。しかし、不連続的差異論の場合、4つの力は、イデア界の根源的力、虚力、イデア力、不連続的差異境界力によって包摂されているだろう。後者が上位概念である。高次元である。
3.ここで、ダークマターやダークエネルギーを考えてみると、メディア差異の4つの力は、メディア差異における極性の力であり、メディア差異自体の、メディア界自体の「力」ではないのである。つまり、4つの力とは、メディア差異の内部の力であり、メディア差異という「存在」を表わしてはいないのである。つまり、メディア差異のエネルギー、メディア界というエネルゲイアを表現してはいないのである。このエネルギー、エネルゲイアこそが、ダークマター、ダークエネルギーの本体であろう。このエネルギーは、イデア界の力であろう。虚力、元エネルギーであろう。デュナミスである。そう、ダークマター、ダークエネルギーとはデュナミスであろう。虚エネルギーである。
4.さて、中国哲学を考えると、理気とは、イデア界の不連続的差異であり、虚エネルギーであろう。つまり、理とは、不連続的差異の元調和性であり、気とは、理のもつ元・虚エネルギーである。そして、これが、ゼロ化によって、エネルゲイア、陰陽となるのである。つまり、太極とは、理気であり、そのゼロ化が、陰陽なのである。ここで、理気の気と陰陽の気とが、朱子学においては、混同されているように思える。前者は、正に、「元」気であり、後者は、言わば、分極気である。だから、明快にするために、前者を虚気、後者を分気とでも呼ぶといいだろう。
5.以上のように考えると、4つの力は、メディア界の力に見えるだろう。物理学の4つの力は、現象界の力ではないか。4つの力は、以上からは、メディア差異内部における極性化によるのである。差異・ゼロ化がメディア界化とするならば、ゼロ度内部の極性化は、メディア界化自体とは異なるのではないだろうか。つまり、ゼロ度化が、メディア界の基本的な事象である。そして、ゼロ度内部で、極性化が生起するが、この原因は何か。ゼロ度と極性化は異なると言えよう。思うに、極性力とは、現象力なのではないか。これが、メディア差異を現象化させているのではないか。ゼロ度では、多様体、位相体となるが、固定した形を取らないだろう。現象的時空4次元を取るには、ゼロ度以外に力が必要だろう。そう、ゼロ度を極性化する力である。今、思いつきで言えば、それは、根源の境界力ではないのか。分離する力である。ゼロ度に対して、分離する力がはたらくだろう。ゼロであり、同時に、分離である。これが、極性力ではないか。ゼロでありつつ、境界力が作用して、極性分離するのではないか。ならば、4つの力とは、やはり、メディア界の力ではないのか。しかし、この極性力は、現象力ではないか。(p.s. この箇所は、今では、違うのではないかと思うので、新たに検討が必要である。)
ここで、簡単に結論づけると、メディア界の4つの力と現象界の4つの力があると考えられる。それは当然、対応している。前者とは、いわば、微分であり、後者は積分であろう。
6.さて、難問の一つは、時空4次元の問題である。x軸、y軸、z軸を考えると、z軸は、現象軸となるのではないだろうか。x軸が差異軸であり、y軸がゼロ度軸、メディア軸で、z軸が時空連続軸ではないだろうか。では、どうして、現象界は時空4次元となるのかである。先に、私は、高さの次元と時間の次元は重なるのではと言ったが、あらためて考えなくてはならない。問題は、時間である。時間とは何かである。直観で言えば、時間とは、力である。現象生成の力である。内在する力である。メディア界の4つの力、そして、現象界の4つの力を見たが、この4つの力が、時間ではないか。否、直観では、メディア界のエネルギー、エネルゲイアが時間である。しかし、これは、虚時間のようなものであろう。とまれ、これが、現象界の時間になるのではないか。つまり、隠れた次元としての時間である。可視的なのは、三次元空間であるのに対して、時間次元は、不可視である。何故なら、それは、隠れた次元だからでははないか。x,y、zという三次元空間がある。しかし、4つの力の背後に、原基に、メディア界のエネルギー、エネルゲイアがある。これが、現象空間における、いわば生成の次元となるのではないか。つまり、メディア差異・エネルギーである。これが、三次元空間を包摂しているのではないか。光速度一定というのは、この包摂の規定の定数ではないか。つまり、メディア差異、連続差異、差異ゼロ度があるが、このゼロ度が、光速度一定ではないか。何故、光速度が無限ではないかと言えば、それは、メディア界は、有限化の世界だからであろう。有限エネルギーの世界だからだろう。差異ゼロ度という連続エネルギーを規定するものが、光速度一定ではないか。そして、差異ゼロ度のエネルギーの現象界化がE=mccではないか。そして、4つの力とは、このエネルギーに包含されるだろう。メディア差異のエネルギーがダークエネルギーではないだろうか。(p.s. この箇所も再検討が必要である。)
7.ここで、ロレンスと関係させると、ダークゴッド(暗い神)とは、メディア差異のエネルギー、エネルゲイアでいいのではないだろうか。しかし、コスモスはどうなるのだろうか。ここは微妙なところである。メディア差異のエネルギー自体は、イデア界の虚力から来ている。つまり、デュナミスである。デュナミスが、ゼロ化で、エネルゲイアとなるのである。コスモスと言ったとき、それは、両義的ではないだろうか。それは、気と同様のように思える。コスモスは、イデア界であり、同時に、メディア界となるだろう。不連続的差異の共立・調和としてのコスモスと、生成変化・生成消滅を行なうエネルギーとしてのコスモスである。後で、検討したい。
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1.ガウス平面で、x軸のプラスにおいて、1/4回転するとき、虚数はプラスとなる。また、x軸がマイナスにおいて、1/4回転するとき、虚数はマイナスとなる。つまり、メディア界化、ゼロ化は、2つの、2種類の差異・ゼロ度を形成すると言えるようだ。プラス・差異・ゼロ度とマイナス・差異・ゼロ度である。差異・ゼロ度は、連続的差異であり、簡単にするため、連続差異ないしメディア差異と呼ぼう。即ち、+連続差異(+メディア差異)と−連続差異(−メディア差異)である。(ここで、関係子、メディオンという用語を借りてもいいだろう。
http://ameblo.jp/renshi/entry-10006583617.html
)量子力学では、2つの量子があるが、この±連続差異(±メディア差異、±関係子、±メディオン)が、それに相当するのかもしれない。
問題は、このメディア差異の力の関係である。メディア界を、エネルゲイアと見ているが、この2つのメディア差異によって対極・両極性が発生するだろう。これを、陰陽と見ていいだろう。先に、メディア界のゼロ度において、極性が発生すると見たが、しかし、今や、2つのメディア差異があるのだから、2つのメディア差異×ゼロ度極性(+と−)=4元性、4極性が発生しているのである。+メディア差異の正負と−メディア差異の正負の4つである。
とまれ、この±メディア差異が、根源的2元性の起源ではないだろうか。陰陽、雌雄、対極等々である。±メディア差異の根源は、ガウス平面のx軸上の不連続的差異であり、これらは、不連続的調和(discordia concord)、不連続的共立を成している。これが、1/4回転して、この±メディア差異を発生させる。これは、正に、対極性であり、相補性であろう。そして、量子力学の世界であろう。この2種類のメディア差異(連続差異、メディア子、量子、関係子、メディオン)が、対極となり、二重らせんを形成するのではないだろうか。【中国の神話、女媧(じょか)と伏羲(ふっき、ふくぎ)の神話。イシスとオシリスの神話、あるいは、ノアの箱船と関係しそうである。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A5%B3%E6%B8%A6%E6%B0%8F
】+メディア差異と−メディア差異は対称的な二重らせんを描くだろう。そして、これらは、対立しつつ一体である。つまり、ガウス平面・イデア界の+(のx軸)と−(のx軸)をもって、対立一体化しているのである。この対極力が、例えば、DNAの二重らせんを構成するのだろう。そして、一本のらせんのひもの連続は、ゼロ度における極性、+と−によるものであろう。だから、根源的極性とメディア界的極性を区別する必要があるだろう。とりあえず、前者をイデア極性、後者をメディア極性と呼んでおこう。
【p.s.】 問題は、これまで、不連続的差異の内在的垂直・水平性を作業仮説してきたが、ここでは、抜けていることである。垂直性と水平性が相補性を成していて、それが、メディア界で、即自的と対自的に分離して、4つの力が生起したと考えたのである。しかし、上記では、この考え方が無視されている。ゼロ度における極性によって、いわば、メディア的4つの力を説明している。今の考えを言えば、やはり、垂直・水平性は無視できないのではないかというものである。単なる極性では、4種類の力の性質の相違を説明できないだろう。
では、垂直・水平性という相補性を活かすならば、ゼロ度の極性はどうなるだろうか。ゼロ度の極性とは、垂直・水平相補性のそれぞれの力における極性となるのではないだろうか。この問題は複雑なので、稿をあらためて検討したい。ここで、既述したことを、繰り返せば、メディア界において、イデア界的即自=対自性が、分化して、即自性と対自性とになる。そして、即自性において、弱い力と強い力、対自性において、重力と電磁気力とが生起する。しかし、これらは、メディア界においては、いわば、メディア的4つの力と見るべきであろう。これが、「積分」して、現象界の4つの力として発現するのだろう。(ところで、急に思いついたが、以上のように考えると、重力にも、極性が生じていることになるだろう。+重力と−重力。そう、重力と反重力であろう。
今、確認しておくと、メディア界は、一種微分領域であるということである。ここの4つの力とは、微分様態である。これが、積分されて、現象化するということだろう。ベルクソン、ハイデガー、ドゥルーズは、このメディア界→現象界の顕現を哲学化したのである。しかし、本当は、微分・積分は近似値に過ぎないだろう。量子力学が明らかにしたように、確率の世界となっている。微分・積分は、メディア・現象境界の一つの形式ではないだろうか。ならば、メディア的4つの力のメディア・現象境界の形式として、微分・積分であろう。そして、メディア的4つの力とは、本来、ゆらぎ様態であろう。構造と言ったとき、それは、メディア・現象境界形式であろう。例えば、カントの超越論的形式のように。原型と言ったときも、そうではないだろうか。
では、メディア界本来のゆらぎとは、どう把捉・理解されるべきか。それは、ゼロ度による不連続的差異の連結化の事象である。このゼロ度・ゼロ化によって、分離していた差異が連結・結合するのである(、おそらく、エネルギーを放出して)。この差異連結・結合が、メディア界本来であり、また、ゆらぎの様態である。そして、何度も繰り返すが、これが、量子力学が対象とする自然である。粒子/波動相補性の領域である。ただし、粒子と波動であるが、これは、現象界に反映されるメディア界の「粒子」と「波動」と見るべきである。つまり、メディア界において、差異・ゼロ度は、「粒子」様態と「波動」様態の両面をもつ。そして、メディア的4つの力とは、「波動」様態に入るのではないだろうか。
ここで、整理すると、+メディア差異と−メディア差異の2つの基本「量子」がある。そして、これが、それぞれ、4つの力を派生させる。しかし、4つの力は本来不可分である。未分化である。「カオスモス」である。この「カオスモス」が、量子力学の対象とする領域である。そして、この「カオスモス」は、2つのメディア差異である、2つの基本「量子」である「粒子」様態を帯び、また、メディア的4つの力である「波動」様態を帯びると言えよう。
2.さて、ここで、メディア界の力を考えよう。ゼロ化によって、イデア界の境界の虚力が、実的力となる。(おそらく、有限力である。)これは、メディア差異と力との不可分一体相補性を意味するのではないだろうか。ゼロ化によってメディア差異が発生するが、それは、有限であり、いわば、反作用として、脱連続化エネルギーを同時にもっているのである。つまり、ゼロ化の連続化とは、同時に、脱連続化を意味している。生成消滅である。脱構築である。とまれ、メディア差異(連続差異)は、+と−、−と+との2つの連続化の力をもつだろう。そして、メディア差異自体が、2種類だから、結局、4つの力が発生するだろう。これで、2種類のメディア差異と4つの力が演繹された。これは、現代物理学のあり方と一致する。しかし、不連続的差異論の場合、4つの力は、イデア界の根源的力、虚力、イデア力、不連続的差異境界力によって包摂されているだろう。後者が上位概念である。高次元である。
3.ここで、ダークマターやダークエネルギーを考えてみると、メディア差異の4つの力は、メディア差異における極性の力であり、メディア差異自体の、メディア界自体の「力」ではないのである。つまり、4つの力とは、メディア差異の内部の力であり、メディア差異という「存在」を表わしてはいないのである。つまり、メディア差異のエネルギー、メディア界というエネルゲイアを表現してはいないのである。このエネルギー、エネルゲイアこそが、ダークマター、ダークエネルギーの本体であろう。このエネルギーは、イデア界の力であろう。虚力、元エネルギーであろう。デュナミスである。そう、ダークマター、ダークエネルギーとはデュナミスであろう。虚エネルギーである。
4.さて、中国哲学を考えると、理気とは、イデア界の不連続的差異であり、虚エネルギーであろう。つまり、理とは、不連続的差異の元調和性であり、気とは、理のもつ元・虚エネルギーである。そして、これが、ゼロ化によって、エネルゲイア、陰陽となるのである。つまり、太極とは、理気であり、そのゼロ化が、陰陽なのである。ここで、理気の気と陰陽の気とが、朱子学においては、混同されているように思える。前者は、正に、「元」気であり、後者は、言わば、分極気である。だから、明快にするために、前者を虚気、後者を分気とでも呼ぶといいだろう。
5.以上のように考えると、4つの力は、メディア界の力に見えるだろう。物理学の4つの力は、現象界の力ではないか。4つの力は、以上からは、メディア差異内部における極性化によるのである。差異・ゼロ化がメディア界化とするならば、ゼロ度内部の極性化は、メディア界化自体とは異なるのではないだろうか。つまり、ゼロ度化が、メディア界の基本的な事象である。そして、ゼロ度内部で、極性化が生起するが、この原因は何か。ゼロ度と極性化は異なると言えよう。思うに、極性力とは、現象力なのではないか。これが、メディア差異を現象化させているのではないか。ゼロ度では、多様体、位相体となるが、固定した形を取らないだろう。現象的時空4次元を取るには、ゼロ度以外に力が必要だろう。そう、ゼロ度を極性化する力である。今、思いつきで言えば、それは、根源の境界力ではないのか。分離する力である。ゼロ度に対して、分離する力がはたらくだろう。ゼロであり、同時に、分離である。これが、極性力ではないか。ゼロでありつつ、境界力が作用して、極性分離するのではないか。ならば、4つの力とは、やはり、メディア界の力ではないのか。しかし、この極性力は、現象力ではないか。(p.s. この箇所は、今では、違うのではないかと思うので、新たに検討が必要である。)
ここで、簡単に結論づけると、メディア界の4つの力と現象界の4つの力があると考えられる。それは当然、対応している。前者とは、いわば、微分であり、後者は積分であろう。
6.さて、難問の一つは、時空4次元の問題である。x軸、y軸、z軸を考えると、z軸は、現象軸となるのではないだろうか。x軸が差異軸であり、y軸がゼロ度軸、メディア軸で、z軸が時空連続軸ではないだろうか。では、どうして、現象界は時空4次元となるのかである。先に、私は、高さの次元と時間の次元は重なるのではと言ったが、あらためて考えなくてはならない。問題は、時間である。時間とは何かである。直観で言えば、時間とは、力である。現象生成の力である。内在する力である。メディア界の4つの力、そして、現象界の4つの力を見たが、この4つの力が、時間ではないか。否、直観では、メディア界のエネルギー、エネルゲイアが時間である。しかし、これは、虚時間のようなものであろう。とまれ、これが、現象界の時間になるのではないか。つまり、隠れた次元としての時間である。可視的なのは、三次元空間であるのに対して、時間次元は、不可視である。何故なら、それは、隠れた次元だからでははないか。x,y、zという三次元空間がある。しかし、4つの力の背後に、原基に、メディア界のエネルギー、エネルゲイアがある。これが、現象空間における、いわば生成の次元となるのではないか。つまり、メディア差異・エネルギーである。これが、三次元空間を包摂しているのではないか。光速度一定というのは、この包摂の規定の定数ではないか。つまり、メディア差異、連続差異、差異ゼロ度があるが、このゼロ度が、光速度一定ではないか。何故、光速度が無限ではないかと言えば、それは、メディア界は、有限化の世界だからであろう。有限エネルギーの世界だからだろう。差異ゼロ度という連続エネルギーを規定するものが、光速度一定ではないか。そして、差異ゼロ度のエネルギーの現象界化がE=mccではないか。そして、4つの力とは、このエネルギーに包含されるだろう。メディア差異のエネルギーがダークエネルギーではないだろうか。(p.s. この箇所も再検討が必要である。)
7.ここで、ロレンスと関係させると、ダークゴッド(暗い神)とは、メディア差異のエネルギー、エネルゲイアでいいのではないだろうか。しかし、コスモスはどうなるのだろうか。ここは微妙なところである。メディア差異のエネルギー自体は、イデア界の虚力から来ている。つまり、デュナミスである。デュナミスが、ゼロ化で、エネルゲイアとなるのである。コスモスと言ったとき、それは、両義的ではないだろうか。それは、気と同様のように思える。コスモスは、イデア界であり、同時に、メディア界となるだろう。不連続的差異の共立・調和としてのコスモスと、生成変化・生成消滅を行なうエネルギーとしてのコスモスである。後で、検討したい。

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