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2009年11月08日 (14:19)

検討問題:飛鳥時代の仏教とは何か

私見では、宗教は、太陽信仰、太陽神信仰に帰する。そして、ゾロアスター教は、この倫理・道徳的発展である。つまり、同一性論理が生じた後における、その克服を目指す太陽神信仰である。(注:「神」とは精神的エネルギー、霊的エネルギー、超越的エネルギー、虚数的エネルギーである。)
 飛鳥時代の仏教であるが、明らかに、太陽神信仰が入っている。阿弥陀如来(無量光仏)等を見てわかる。(天平時代は、大日如来という太陽神、即ち、アフラ・マズダーの影響が如実である。キリスト教に関連して言うと、死海文書におけるエッセネ派は、ゾロアスター教的であった。)
 ここで、私見を言うと、大乗仏教は、仏教がゾロアスター教化されたものである。また、ほぼ同時代のキリスト教(正しくは、イエス教)であるが、それも、本来、ゾロアスター教的であるが、ユダヤ教(正確には、ヤハウェ教)がそれを支配して、キリスト教が誕生した。
 神道は、当然ながら、太陽神信仰であり、これがベースとなり、ゾロアスター教的仏教を受容したように思う。天皇とは、先に述べたように、太陽女神の子である(イエスもそうである)。
 イエス教はヤハウェ教の影響を被り、キリスト教となったが、日本仏教は、ヤハウェ教の影響を強大には受けずに(ユダヤ教の影響はあるだろう。ここで、ヤハウェ教とユダヤ教は区別しないといけない。)、ある意味で、純粋な神道ベースのゾロアスター教的仏教となったのではないだろうか。それが、聖徳太子の仏教ではないだろうか。
 今はここで留める。

追記:より正確に言えば、月神信仰を言わないといけない。私はよくわからないが、月神信仰が原点であり、その後、太陽神信仰に変じたのか。
 それとも、月神信仰自体が太陽神信仰と一体であったのか。
 宗教史的には、月神信仰が原点であるように思える。そして、月神(処女神)が、太陽神を生んだように思える。イシスとオシリスはそのような関係ではないだろうか。
 とは言え、月神と日神は一如と見るのが明快であろう。
 
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聖徳太子
提供: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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凡例
聖徳太子
Umayado Miko.jpg
時代 飛鳥時代
生誕 574年 2月7日 (敏達天皇 3年1月1日 )
死没 622年 4月8日 (推古天皇 30年2月22日 )
改名 上宮厩戸、厩戸皇子、厩戸皇太子、摂政太子
別名 厩戸皇子、厩戸王、上宮王、豊聡耳、
上宮之厩戸豊聡耳命、法主王、豊耳聡聖
徳豊聡耳法大王、上宮太子聖徳皇、
厩戸豊聰耳聖徳法王
諡号 聖徳太子
墓所 叡福寺北古墳
官位 摂政 、皇太子
主君 用明天皇 、崇峻天皇 、推古天皇
氏族 皇族 、上宮王家
父母 用明天皇 、穴穂部間人皇女
兄弟 聖徳太子(厩戸皇子)、来目皇子 、殖栗皇子
茨田皇子 、田目皇子 、麻呂子皇子
酸香手姫皇女
妻 菟道貝蛸皇女 、刀自古郎女 、橘大郎女 、
膳大郎女
子 山背大兄王 、財王 、日置王 、白髪部王
長谷王 、三枝王 、伊止志古王 、麻呂古王
片岡女王 、手島女王 、春米女王 、
久波太女王 、波止利女王 、馬屋古女王
特記
事項 物部守屋討伐戦を元服と、また便宜上
天皇を主君とみなす。
表 ・話 ・編 ・歴

聖徳太子(しょうとくたいし、敏達天皇 3年1月1日 (574年 2月7日 ) - 推古天皇 30年2月22日 (622年 4月8日 )(同29年2月5日 説あり-『日本書紀 』))は、飛鳥時代 の皇族。

用明天皇 の第二皇子。母は欽明天皇 の皇女・穴穂部間人皇女 (あなほべのはしひとのひめみこ)。また、『上宮聖徳法王帝説 』などでは厩戸豊聰耳聖徳法王の子に山代大兄(山背大兄王 )らがいるという。

『隋書 』「卷八十一 列傳第四十六 東夷 俀國」に記述された俀王多利思北孤 による「日出處天子致書日沒處天子無恙云云」の文言で知られる国書は聖徳太子らによる創作と言われている[1] 。

近年の歴史学研究において、太子の事績と言われてきたことや資料を否定する研究があることから、厩戸皇子の存在は認めるが、『日本書紀』等の伝える聖徳太子像を虚構とする説もある(詳細は#聖徳太子虚構説 の節を参照)。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%81%96%E5%BE%B3%E5%A4%AA%E5%AD%90


聖徳太子







聖徳太子像
滋賀県八日市市 市神神社
http://www.asuka-tobira.com/syotokutaishi/shotokutaishi.htm
聖徳太子
山岸涼子氏の「日出処の天子」を読んで聖徳太子に興味を持ち、次に読んだのが、梅原猛氏の「隠された十字架」。法隆寺は太子の怨霊を沈めるために藤原氏の思惑によって建てられたものだ、とする大変ショッキングな内容でした。 それ以後太子に取り憑かれたように太子にのめり込んでいきます。
http://www.geocities.co.jp/SilkRoad-Desert/8918/sub1.html

憲法十七条
聖徳太子の政治理念・哲学の表明
【アジアの仏教】

* 憲法十七条 原文(書き下し文)
* 憲法十七条 現代語訳
* 『憲法十七条』の成立した時代背景

◆ 憲法十七条 原文(書き下し文)

 夏四月[なつうづき]の丙寅[ひのえとら]の朔戊辰[ついたちゆちのえたつのひ]に、皇太子[ひつぎのみこと](=聖徳太子)、みづからはじめて憲[いつく]しき法[のり]十七条[とおちあまりななおち]作りき。

一にいはく、和[やわ]らかなるをもつて貴[とうと]しとなし、忤[さか]ふることなきを宗[むね]となす。人みな党[たむら]あり、また達[さと]れるひと少なし。ここをもつてあるいは君[きみ]・父[かぞ]に順[したが]はず、また隣里[さととなり]に違[たが]へり。しかれども上和[かみやわ]らぎ下睦[しもむつ]びて、事を論[あげつら]ふに諧[かな]ふときは、すなはち事理[こと]おのづからに通ふ、なにの事か成らざらん。

http://www2.big.or.jp/~yba/asia/kenpou17jou.html


十七条の憲法


http://www.geocities.jp/tetchan_99_99/international/17_kenpou.htm


聖徳太子の憲法十七条
聖徳太子

http://asikenko.jp/syotoku/main.html
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