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2009年12月24日 (14:51)

「聖霊」のときとdark Godのとき:自己認識と超越的他者

以下のAkehino(Kaisetsu)氏の洞察は非常に深い。
 自己認識のときと、超越的他者による自己と他者の認識のときが、まったく異なるということである。
 私が想起したのは、D. H. ロレンスの「聖霊」論である。「父」と「子」の絶対的対立がある。しかし、「聖霊」のときがあり、そのとき両者は和解するのである。つまり、即非のときと言えよう。それは、以下では、□のときに当たるだろう。
 では、the imaginary personの認識のときとは何だろうか。それは、ロレンスが求めた「神」、dark Godのときではないだろうか。darkはblackではなく、unseenの意味ととるべきである。unseen Godである。
 後でさらに検討したい。

***********************

The formation of imaginary action in media point □.


・・・・・

These discontinuous actions is seen as a sequences of vibration.

The discontinuous vibration is the following repetition.

1) □
2) 凸,凹
3) □
4) 凸,凹
5) □
..........
..........
..........

And □ is divided into 凸 and 凹 with imaginary cut knife(Vertical action).

And 凸 will move itself and find 凹 to the automatic target on the horizontal field.

Then only when 凸 meets 凹, 凸 can recognize 凸-self. And at the same time, 凸 will disappear into □.

So at the time "1),3) and 5)..." , 凸 will be able to recognize itself.

On the other hand, we can imagine another person who holds "imaginary cut knife".

Please remember the famous picture of Rene Magritte, " This is not a Pipe".

nepapipe nepapipe posted by (C)天花一海

The person with imaginary cut knife is the same one who indicate "This is not Pipe".

This imaginary person can recognize 凸 and 凹 at the time only as "2) and 4)....".
And at the recognizing moment, 凸 and 凹 will disappear into □.

It is the cause of "the perversion and the mistake" that 凸 and "the imaginary person" cannot recognize 凸 at the same moment.

The recognizing moment is absolutely different between 凸 and "the imaginary person"

Sometimes we say "the imaginary person" as God.

『海舌』 the Sea Tongue by Kaisetsu 
***********************

参照1:
原爆ドーム―香椎羊雪集 (論文編3)
著:香椎羊雪
出版社:(株) 近代文藝社

商品レビュー

1 Introduction―The Testment by Prof.Tadao Yanaihara
2 D.H.ロレンスの『アポカリプス』の宗教融合についての一考察―エーリヒ・ザウアーの贖罪論を中心として
3 D.H.ロレンスの『聖霊』についての宗教社会学的考察―ロレンスの聖霊降誕(ペンテコステ)の解釈の問題点を中心として
4 現代キリスト教に見られる儀文的傾向
5 The Dragon and the Holy Spirit:A Note on Lawrence’s
6 The Symbolic Meaning of Ise Shrine:Ise Shrine in Japan and Tabernacle in Ancient Israel

[要旨]
神道は縄文時代の共生と循環の思想を根底としていて、21世紀の重要な思想となり得る。その時代の人間は自然を畏敬し動物にも植物にも宿る神々がいると恐れた。D.H.ロレンスはキリスト教国、英国に生き動き存在した人間だから、これを「キリストの聖霊が宿る」と解釈した。彼の思想と日本の神道思想との接点である。贖罪によるきよめと再生について本論文は言及している。
http://books.livedoor.com/item/405228
参照2:
ファシズム的連続的全体主義からトランス・モダンの差異共振意識へ
テーマ:D.H.Lawrenceの『死んだ男』
これは、論文のテーマの一つであるが、D.H.ロレンスは、同時代の全体主義的潮流に近づいた時期があった。

しかし、ハイデガーとは異なり、それを乗り越えて、トランス・モダンの差異共立ないし差異共振の意識へと進展したと考えられる。

興味深いのは、「隠れた神」と「脊椎的意識」を述べていることである。前者が「精神」であるが、後者が民衆・衆生の身体である。

ロレンスは、この両者が必要であると言っている。ちょうど、大乗仏教の発想と似ているのである。すなわち、前者が悟りであり、後者が衆生救済である。

問題は、後者に関して、極性があると述べていることである。それは、「愛」と「力」の極性である。そして、「現代」は「力」の時代であると述べるのである。「力」は連続的同一性による暴力と言えるのではないだろうか。

ここにおいて、ロレンスは、全体主義的傾向を帯びたのである。

問題は、一見、「隠れた神」と「脊椎的意識」は同一であると思われるのであるから、それを分化しているのは、意外なのである。

これは、天と地と言い換えることができるだろう。

そう、ロレンスは、いみじくも、「隠れた神」の志向をニルヴァーナと言っているのである。

大乗仏教ならば、衆生への志向性をもつのである。

そう、直観では、ロレンスは、大乗仏教的発想に近いのである。

思うに、「隠れた神」が虚数軸・超越界であり、「脊椎的意識」とは、実数軸・現象界ではないだろうか。

ならば、「脊椎的意識」の極性とは、+1と-1のことになるのであはないだろうか。

「愛」が+1で、「力」が-1ではないだろうか。

思うに、「隠れた神」がiで、「脊椎的意識」が-iかもしれない。

これで、天と地とになる。

なにか、ロレンスの考えは、混乱しているように思える。

「隠れた神」=i=天、「脊椎的意識」=-i=地とすると、この両者がロレンスは必要であると述べているのは、i*(-i)のことを言っているように思える。元知と元身体の共振である。

そして、「脊椎的意識」に極性があるというのは、共振性と非共振性ではないのか。

共振性は、⇒+1であり、非共振性は、⇒-1であろう。

「愛」と「力」である。

そして、「現代」は、後者の時代であると説いているのである。これは、ファシズム・全体主義に通じると言えよう。

これは、今日の日本で言えば、従軍慰安婦は、日本軍に強制されなかったという「力」=暴力の発想と共通だろう。

個ではなく、連続的同一性(国家民族主義)に拠る集合的発想である。

ロレンスは、結局、この発想を乗り越えて、+1の思想に到達するのである。差異即非共振の観念である(『死んだ男』)。

ロレンスのコスモスの思想もそういうものだろうし、最晩年の『黙示録論』も、-1を否定して、+1を説いていると言えよう。

思えば、ロレンスには、父権的意識が強いのである。否、母権的意識である。これは、-i*(-i)⇒-1であろう。

ロレンスの言う「力」とは、近代合理主義への反動であろう。だから、等価になってしまうのだろう。

ちょうど、ロマン主義的反動である。

イギリス・ロマン主義の詩人ワーズワースは、underpower下部の力を説いたが、同じであろう。

身体性の反動である。

そう、現代日本の問題はこれであろう。身体の反動である。小泉にしろ、石原にしろ、東国原にしろ、身体性の反動だと思う。

主人への反抗なのである。叛乱なのである。反逆なのである。一種左翼的なのである。

非合理主義なのである。

生の哲学である。

ハイデガー哲学である。

しかし、これは、同時に、i*-(-i)⇒-1でもあろう。

とにかく、連続的同一性主義である。

エネルゲイアというよりは、フォースである。

物質的暴力である。

現代日本の場合、近代主義への反動としての倒錯があると思う。戦後を否定するのは、ある意味では正しいが、それが、反動となり、極端となり、同一になっているのである。

やはり、-i*(-i)⇒-1であろう。

だから、全体主義・ファシズムなのである。

欠落しているのは、差異共振性である。

メディア・ポイントの明晰判明な知性である。

メディア・ポイントの叡知である。

メディア・ポイント・クロス(十字架)の叡知である。
http://ameblo.jp/renshi/entry-10028092189.html
http://ameblo.jp/renshi/theme-10000374060.html
Japonesian Trans-Apocalypse:Trans-Modern New Platonic Trans-Creation
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