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2010年01月24日 (09:06)

シュタイナー霊学の問題:アストラル体(情感)とエーテル体(気):M.P.が生命である

この問題は既に何度か試論したが、まだ、明晰な解明には至っていないので、あらためて検討したい。
 簡単に言うと、情感と気の問題、両者の関係の問題である。既述したように、また、当然であるが、情感は精神に、気は身体に関係する。しかしながら、情感と気は無関係ではないと直感される。
 端的に言えば、自然が残る地の大気には、気があり、それが、身体と共鳴する。そして、その地の景色等とは気視覚を通して、一体感の情感が生成しうる。このとき、気と情感がつながっていると思われる。
 思うに、端的に言えば、両者はともにMedia Pointの様態であり、ただ様相ないしは質に違いがあるということではないだろうか。情感の方がより「高度」であり、気はより「低度」であるということではないだろうか。
 ということは、Media Pointに多様性、多層性を見るということである。そして、情感と気は、そのいわば、顕著な様態ではないだろうか。あるいは、極性ではないだろうか。
 言い換えると、Media Pointの「高層・上層」では情感が、「低層・下層」では、気が作用しているのではないのか。
 今は、そのように作業仮説しておく。
 
追記:とまれ、
Multiple Resonance Mode of Media Point が生命であるということになる。プラトンの「不滅の魂」もこれになるのではないだろうか。
 思うに、エネルゲイア化したものが、生命体(生命的有機体)であり、デュナミスが霊魂・イデアではないだろうか。
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コメント

初めまして。夢を見るのはアストラル体が肉体を離れるためであるとの解釈もある。という文章をどこかでみたのですが。
以前見た夢の中で精神的な極度の緊張による疲労感を感じていたが、その最中に目が覚めた時、疲労感はなくなった。さっきまで疲労感を感じていた場所からは、疲労感は無くなった形骸化したような感覚に変わっていた。疲労感を感じさせない疲労感の印象のようなものに変わって存在していた。
たしかに今の今までここには疲労を感じさせるものとしてあったのだという感覚が
塩に塩気がなくなった?

このような印象のあり方の不思議な。

疲労感のクオリアがぬけおちたのか?感情はこの印象のような何かとセットで存在していたものであったのか、それともただ余韻でしかなかったのか?

こういった不思議な感覚をしました。

。目が覚めると現実感かなにかが移行したのでしょうか?
夢の中の経験と覚醒時の経験、成長や夢の中での肉体の動き、起きている時の肉体。
夢の中でなにかを思いつくということはありますが。
目が覚めていることの謎です。
初コメントながら長々と失礼します

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