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2010年02月06日 (14:55)

検討問題:-iの意識と現象について:潜在性としての-iと顕在作用としての+i

対象と一体となる-iということであるが、一体、そのとき、対象とは何か。先に、-1ではないかと示唆した。
 +1ならば、物質である。客体・存在である。しかし、一体となるとき対象は物質ではないだろう。
 それは何か。光の現象と一体となっているのだから、対象は現象、光現象である。
 現象とは何かと言えば、それは、⇒+1である。⇒付きの+1である。なぜなら、+1は単に物質だからである。では、-iが⇒+1と一体化するということになる。
 少し違う視点で考えよう。-iとは内在的他者である。しかしながら、これが、外在的他者と一体化するのである。
 では、外在的他者とはどう記述できるのか。思うに、それは、内在的他者に還元されるのではないか。つまり、内在的他者としての外在的他者である。
 そうすると、端的に、一体化する対象は内在的他者である。言い換えると、「わたし」の中の他者と一体化するのである。ということは、「わたし」の中には、森羅万象があるということになるだろう。
 そう考えると、プラトンのコーラとは、-iではないだろうか。ここに全可能性ないしは全潜在性があるのであるから。イデアとは、-iにあるのではないだろうか。
 もし、そうならば、+iとはどういう働きをするのか。私は、知的認識作用と考えている。フッサール現象学で言えば、志向性である。それは、他者-iへの志向性である。
 フッサール的に言えば、+iは形相作用ではないだろうか。しかしながら、原形相は-iにあるのではないのか。それを+iは形相として浮き彫りにするのではないだろうか。
 つまり、原形相、潜在的形相が-iである。それ顕在化させ形相にするのが、+iの作用ではないのか。前者が闇の形ならば、後者は光の形成作用である。両者が結合して、闇の形が光の形になるのではないだろうか。この光の形が現象、光現象ではないのか。
 だから、-iが現象と一体化するというのは、当然である。なぜなら、現象は-iを極としてもっているからである。いわば、負極である。つまり、現象とは、正極の+iと負極の-iをもち、両者が共振して生起したものである。
 だから、-iは現象のいわば潜在面へ「融け込む」である。そして、+iは現象の顕在面を知覚するのである。
 今はここで留める。後でさらに検討したい。
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