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2010年02月14日 (14:43)

昨日、久しぶりに(半年ぶり?)、東京の古巣に帰った:東京の物質主義的町並みの醜悪性:縄文精神復興

昨日、久しぶりに(半年ぶり?)、東京の古巣に帰った:東京の物質主義的町並みの醜悪性:縄文精神復興

テーマ:ポスト唯物論/唯物論の超克

もう、二度と東京に住むこと、あるいは、大都市に住むことはないだろう。
 はっきり言って、高層ビルは言うまでもなく、コンクリートの数階建ての建物は見ると、心に嫌悪感というか、不快感、胸糞の悪さ、というか、心の苦しさ、 苦痛が起こるのである。(また、「気」が感じられないこともストレスになる。)
 つまり、精神は共振するものを外界に求めるのに、コンクリートの平凡な建物、縦横の幾何学の建物に表面には、共振せずに反感をもつということである。つ まり、ストレスが発生するのである。
 今は、森が近くにかなりある郊外に住んでいるので、精神性は満足する。そう、精神と森(端的には、樹木)が共振するのである。この理由については後で検 討したいが、一言言うと、子供の頃、田舎の林野を自由に歩いたことと今の森の中の散歩は通じるものがあると感じられる。
 縄文的ノマッド的精神性と言うべきなのか。思うに、今日、日本人は民族の一つの本性である縄文的精神を喪失しているのである。日本に民主主義を定着させ るためには、内なる縄文的精神に基づく必要があるだろう。


精神性と発話:二つの視覚:心眼と肉眼

テーマ:検討問題:思考実験・仮説

もうだいぶ昔のこと、80年代半ばのことか、それとも、90年代初頭のことか。
 駅前のファースト・フードで読書していたときであるが、若い女子たちの話し声が、頭中心で、心が抜けているのに、怪訝に感じ、強く違和感をもった。
 今考えれば、物質主義的であり、精神性が欠落した状態だと思う。これは、心眼の喪失であり、肉眼への傾斜である。
 トランス・モダン教育とは、心眼形成教育になる必要がある。文科省の形式主義ではだめである。
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