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2010年04月10日 (10:27)

明治維新:トランス・モダンと尊王攘夷:朝廷と神道と仏教:多神教と一神教のゾロアスター教的相克

私は今は、明治維新は、二つの流れから形成されたと考えている。一つは、横井小楠、勝海舟、坂本龍馬、西郷隆盛らの「トランス・モダン」路線、一つは、尊王攘夷(国学的一神教イデオロギー)の狂信的イデオロギーをもつ国家神道ナショナリズム派である。(追記:これは、司馬遼太郎の名作『竜馬がゆく』において、明快に「差異」化されている。)
 しかし、実際は、後者が前者を圧殺していき、昭和の狂気の戦争へと突き進んだと考えられる。そして、この父権的狂信性が現代日本においても、強く見られると考えている。
 とまれ、問題は、前者のもつ朝廷志向(天皇志向)である。私は、これは、国家神道の天皇制と見るべきではないと思う。それは、本来の神道、多神教の神道である。
 「天子」とは、日御子(ひのみこ)である。つまり、女神の子である(エジプト神話で言えば、イシスの子のオシリスである。折口信夫の『死者の書」を参照されたい)。明らかに、大女神・母権的宗教の発想である。これを、近代日本人は国家神道の天皇と考えたのである。
 前者は、Media Pointの「光」であり、後者は、+1の同一性(物質)である。
 この視点がないと、前者の朝廷志向は理解されないだろう。

追記:また、問題は仏教である。明治維新までの神仏習合が排仏毀釈で破壊されたのは精神文化的に問題が大きい。日本の伝統的発想は差異共振である、一つに特化することを許さない調和・バランスの思想である。
 思うに、「天子」への志向はその点で危うい点をもっていたとは言えよう。つまり、尊王攘夷のファナティズムに連続する危険性を強くもっていたし、実際、庶民のレベルにおいては、連続してしまったと言えよう。その帰結が、亡国の第2次世界大戦(「大東亜戦争」)である(今でもこの「後遺症」が利いているのである)。
 言い換えると、明治維新の「トランス・モダン」路線を、国家神道的ファナティズム(国学的一神教的ナショナリズム)が破壊していった歴史が近代日本史と言えよう。
 新たなトランス・モダン、それは、仏教の復権を伴うのである。新神仏習合である。そして、その哲学・科学がPS理論であると考えられる。

追記2:これは推測であるが、日本には、父権的一神教の流れがあるように思う。ユダヤ・キリスト教的流れが一面ではあるのではないだろうか。
 他方、神道多神教と融合した仏教の流れ、差異共振(差異即非的共振)の流れが強くあると考えられる。
 言い換えると、一神教性と多神教性の相克が日本において、強く残っているということになる。
 トランス・モダンとは、新多神教を意味するのである。

追記3:神道の「光」は、東大寺のお水取り(修二会)に見られる拝火教、つまり、ゾロアスター教性をもつように推察されるのである。
 思うに、神道の「光」とゾロアスター教の「光」(アフラ・マズダー)は本来、同一のものと比較神話学的には、考えられるのである。これは、また、PS理論的にも検証できるのである。
 思うに、新しい神仏道に、ゾロアスター教の能動性を導入することが実に意義深いと言えよう。ゾロアスター教は、強い個の原理をもっているからである。受動性に傾斜しやすい神仏道に、能動的ゾロアスター教を導入することが現代的である。

参考:
聖徳太子に学ぶ

 改革のカギは聖徳太子にある。

 まずもっとも高価な紙幣のお顔は、聖徳太子に戻そう!

 よくよく考えみよ、明治を作った偉人の一人・福沢諭吉を万札の顔にしたころから、日本はずっと不景気を続けている!

 これが不景気の原因ではないが、一つの象徴的なできごととして捉えることができるであろう。

 この時期に日本は大きな変化をはじめたのだ。それが、新たな繁栄への道ではなく、滅びの道への選択だった。

 橋本、小渕、小泉、 安倍、福田、麻生(敬称略)と内閣が続いた。そして、今の鳩山政権と。

 この20年あまり、日本はその滅びの道を転がり落ちつづけている。
http://ameblo.jp/adco/entry-10504023401.html
スロー人ロハス-自由と資本主義と礼節

船中八策
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動: ナビゲーション , 検索

船中八策(せんちゅうはっさく)は、江戸時代 後期の幕末 に、土佐藩 士の坂本龍馬 が起草した新国家体制の基本方針とされるものである。
沿革 [編集 ]

慶応 2年(1867 年 )6月、坂本はいろは丸沈没事件 を解決させたのち、京都 に上洛していた前土佐藩主の山内豊信(容堂) に対して大政奉還 論を進言するため、藩船の夕顔丸で長崎を出航し、上洛中の洋上で参政の後藤象二郎 に対して提示したものを海援隊 士の長岡謙吉 が書きとめ、のちに成文化されたもの、とされる。

ただし、原文書も写本も現存せず、詳しい成立過程を証明する史料もないため、青山忠正 や松浦玲 などの歴史家 は、龍馬が作成に関わっていない可能性があることを指摘している。また、もともとのオリジナルは上田藩 士で軍学者 の赤松小三郎 の構想とも言われている。

また、船中八策の他に「新政府綱領八策」というものが存在する。近年の学説では「新政府綱領八策」こそが後藤象二郎に提案したものであるとの見解がある。しかし、新政府綱領八策は慶応 3年(1868 年 )11 月に坂本の直筆で書かれているので、時期的にみれば新政府綱領八策は新政府の構想会議用資料として複数作られたものと推測できる。

新政府綱領八策と船中八策は類似点が多いが船中八策のほうが完成度が高く、坂本龍馬を英雄視させるために後年になって創作された可能性も否定できない。なお現在、新政府綱領八策は国立国会図書館 と下関市立長府博物館 に保存されている。
原文 [編集 ]

一策 天下ノ政権ヲ朝廷ニ奉還セシメ、政令宜シク朝廷ヨリ出ヅベキ事
二策 上下議政局ヲ設ケ、議員ヲ置キテ万機ヲ参賛セシメ、万機宜シク公議ニ決スベキ事
三策 有材ノ公卿諸侯及天下ノ人材ヲ顧問ニ備ヘ、官爵ヲ賜ヒ、宜シク従来有名無実ノ、官ヲ除クベキ事
四策 外国ノ交際広ク公議ヲ採リ、新ニ至当ノ規約ヲ立ツベキ事
五策 古来ノ律令ヲ折衷シ、新ニ無窮ノ大典ヲ撰定スベキ事
六策 海軍宜シク拡張スベキ事
七策 御親兵ヲ置キ、帝都ヲ守護セシムベキ事
八策 金銀物貨宜シク外国ト平均ノ法ヲ設クベキ事

内容 [編集 ]

公議政体論 のもと、

1. 憲法 制定
2. 上下両院 の設置による議会政治
3. 不平等条約 の改定
4. 海軍 力の増強
5. 御親兵 の設置
6. 金銀の交換レート の変更

など、当時としては画期的な条文が平素な文章として記されている。福井藩 の政治顧問であり、坂本との親交もあった横井小楠 の思想からの影響も指摘されている。

8番目の経済政策は、海援隊 を組織して貿易を行なっていた坂本龍馬らしい着眼点といえる(金銀の交換レートが国内と国外で異なっていると、二国間で金銀の交換を行なうだけで利益を上げられるので、貿易や物価安定に好ましくない)。

後の明治政府 が憲法の制定と議会開設まで政府機構が何度も変更されて迷走したことを考えると、時代を先取りしていると評価される。
関連項目 [編集 ]

* 西洋事情
* 五箇条の御誓文

外部リンク [編集 ]

* 坂本龍馬  『船中八策 』(青空文庫 )

「http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%88%B9%E4%B8%AD%E5%85%AB%E7%AD%96 」より作成
カテゴリ : 幕末
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