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2010年05月10日 (23:05)

検討問題:視覚空間と聴覚空間:視覚と聴覚の共鳴空間

以下、Kaisetsu氏がイメージ空間に関する意義深い区別を行っている。
 今は余裕がないので詳論できないが、簡単に感じたことを述べたい。
 聴覚空間を外部に、視覚空間を内部に、分けている。これは、私の考え方というか、一般的な考え方とは反対ではないだろうか。何故なら、視覚は外界に向けられ、聴覚は「内界」に向けられるように考えられるからである。
 もっとも、視覚空間が内界的になるというのは理解できることである。文学作品を読むとき、内的視覚空間が「現象」するからである。
 音楽を聴くときは、確かに、外界をイメージすることがあるし、また、私の場合は、内界的に聴いている面が強い。
 すると、私の聴き方は、Kaisetsu氏の視点から言うと、視覚的に音楽を聴いていることになる。
 思えば、私は音楽に強く音色を感じる方である。とまれ、私は音楽を外界的、且つ、内界的に聴いているだろう。
 また、絵画や風景等は、内界的、且つ、外界的に視覚しているのではないだろうか。すると、私の視覚は、聴覚的にものが入っていることになる。思えば、私は伝統的日本画には、音楽を感じるのである。
 どうも、私の視聴覚は共感覚的である。しかしながら、私の感覚知覚は、一見、聴覚に傾斜しているようだが、意外に視覚中心かもしれない。
 バッハのポリフォニーに強く反応するというのは、視覚的なのかもしれない。
 とまれ、後で、熟考したい。
 
************************

【ベクトルモード vector mode】イメージ空間、「視覚は内に、聴覚は外に」

http://blog.kaisetsu.org/?eid=811096
『海舌』 the Sea Tongue by Kaisetsu 

664px-Natu-aki_kusa_zu_byoubu.jpg

「風雨草花図」

酒井抱一
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

酒井 抱一(さかい ほういつ、 宝暦 11 年7 月1日 (1761 年 8 月1日 ) - 文政 11年11 月29日 (1829 年 1 月4日 ))は、江戸時代 後期の絵師。権大僧都 。本名は忠因(ただなお)、幼名は善次、通称は栄八、字は暉真。鶯村、雨華庵とも号する。浮世絵師 としての名前は、杜陵あるいは屠龍と称し、狂歌 での名前は、尻焼猿人と称している。姫路藩 主・酒井忠以 (ただざね)の弟。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%85%92%E4%BA%95%E6%8A%B1%E4%B8%80
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