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2010年06月28日 (01:06)

虚数とマイナス1:SpiritとEarth/Body:spirit, soul, body三元論

マイナス1が超越的存在、ダーク・マターであるという仮説はPS理論にとっての一つの大きな進展である。
 問題は、spirit(以下、スピリット)とである。鈴木大拙の日本的霊性やD. H. ロレンスの地霊spirit of place等を考えると、スピリットは大地と身体と関わることが了解される。
 思うに、スピリット・ボディー、スピリット・アースの概念が考えられるだろう。
 この霊的大地、霊的身体とは、端的に、マイナス1ではないのか。
 西洋の霊学の問題は霊の大地性・身体性を看過したことにあるのではないのか。
 シュタイナーの霊学もこの誤りがあると考えられる。思うに、マイナス1と虚数的差異の混同からこの誤謬が生まれているのではないだろうか。
 思うに、マイナス1から凸i#凹iの差異共立が生まれ、それが、凸i*凹iの差異共振へと転化して、 ⇒+1の現象が形成される。
 問題は、マイナス1と差異共立と差異共振である。(思うに、即非とは、差異共振ではなく、差異共立であろう。)
 差異共立とは、一如的な差異共立である。この「精神」が身体的霊性、大地的霊性ではないのか。
 しかるに、差異共振へと転化するとき、spiritからsoulへと転化するのではないのか。そして、それが、感覚現象を生み出すだろう。
 spiritとsoulには、絶対的間隙があるのである。つまり、前者は虚軸のmedia pointであり、後者は実軸のmedia pointであると考えられるのである。
 連続的発想のために、両者が混淆されてきたと考えられるのである。
 精緻に考察しよう。
 差異共立から差異共振への転換のために、差異は連続的同一性化されるのである。言い換えると、自我化されるのである。即ち、media pointが同一性化されるのであり、いわば、魂が自我化されるのである。これが、近代的自我の様態の一つである。(キリスト教の愛の問題もここにある。)
 精密に考えよう。本来、虚軸のmedia point(imaginary media point: imp)と実軸のmedia point(rmp)は、不連続であり、両者には、絶対的間隙がある。絶対的位階がある。
 そして、前者から後者へと降下するのである。これは、エネルゲイア状態である。つまり、差異共振はエネルゲイアである。そして、差異共立がデュナミスである。
 「精神」で言うと、胎児の「精神」が後者であり、出生後の「精神」が前者であろう。後者を霊性、前者を魂性と呼べよう。(言い換えると、media pointは霊魂である。)
 とまれ、media pointの振動の結果、エネルゲイア化して、差異共振化して、同一性現象が形成される。
 このとき、media pointが、いわば、連続化されるのである。虚軸ゼロ点と実軸ゼロ点が連続化されるのである。つまり、霊と魂が連続化されるのである。ここに霊と魂の混同が生起するのである。
 そして、近代においては、この過程の究極状態が生起したのである。つまり、霊を否定して、自我魂である近代的自我が生起したのである。
 重要なのは、イタリア・ルネサンスにおける個の覚醒とは、霊の賦活化であり、結果としての魂の発達であると考えられることである。
 その帰結として、デカルト的合理主義が生まれた。霊的個はスピノザやライプニッツに継承されたと言えよう。
 ということで、近代の出発点には、霊と魂の両極があったが、その後、後者へと収斂したと考えられる。換言すると、超越性(差異共立、虚数性、マイナス1)の否定が生起したのである。近代合理主義、唯物論の誕生である。
 さて、問題は、近代性の進展である。この連続的同一性が基盤にあるために、常に、霊と魂は混淆されるということである。そう、魂は心とすれば、いいのであり、+1が物質や自我である。
 これが、結局、ポスト・モダンまで継続したのである。ドゥルーズ&ガタリは明らかに、両者の混淆・混濁・混乱の思想である。初期デリダも典型的である。
 結局、霊と魂の世界に踏み入ったのは、例外的な哲学と芸術と量子力学である。
 量子力学は虚数の世界を探究することにより、大胆に、霊の世界に接近したのである。
 ダーク・マターとは、霊的存在と言えよう。そして、ダーク・エネルギーとは、思うに、差異共立から差異共振(光)への変換のエネルギーではないだろうか。
 今はここで留める。

補足:上記において、不明確なのは、霊と霊的存在の区別である。
 マイナス1が霊的存在であり、差異共立(凸i#凹i)が霊である。霊性というとき、後者のエネルギーを指すだろう。しかしながら、霊が生まれる母体はマイナス1の霊的存在、霊的身体である。
 西洋的霊学はこれを取り逃がしているのである。つまり、自我が強いために、差異共立のみを見て、マイナス1を見ていないのである。
 キリスト教の霊性も差異共立であり、マイナス1の霊的存在、霊的身体、霊的大地を取り逃がしていると考えられる。
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