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2010年07月04日 (00:54)

「反共振」について:i*-(-i)とは何か:我と無我の共立と共振:絶対的差異共立と連続的差異共振

先に、生成門氏の人間認識原理の反共振について、問題提起をしたので、ここで再考したい。
 私は差異共振、つまり、生成門氏の言うMP2(実軸ゼロ点)において、牽引と反発(斥力)を先に考えた。
 牽引とは、他者の自己同一性的支配であり、反発とは、他者への否定である。だから、同じものである。
 差異共振とは、正に、近代主義的である。それは、差異共立を排除していると考えられる。
 思うに、教養とは本来、差異共立を説くものであったが、近代主義である差異共振的同一性主義(=近代合理主義、唯物論)によって排除されたのである。
 差異共振の牽引と反発とは、有り体に言えば、愛憎の二面性のことである。これは平凡な事柄である。
 重要なのは、差異共立である。それは、トランス差異共振である。先にも触れたが、即非とは、差異共立を指すと観るのが正しい。
 故に、Media PointにおけるMP1(虚軸のmedia point)とMP2(実軸のmedia point)の関係が枢要なのである。
 この二つのゼロ点が生起したのが、イタリア・ルネサンスである。しかし、西欧の父権的傾斜によって、MP2が支配的となったのである。それがデカルト哲学である。
 しかし、MP1も少数派であるが、活動していたのである。そう、言おう。個とはMP1に、自我はMP2に基づくと。
 結局、近代文化において、MP1とMP2との混淆様態が支配的であったと言うことができよう。
 しかしながら、近代合理主義はMP2の支配を意味するのであり、MP1は徹底的に否定・排除されたのである。超越性の否定である。
 それに対して、混淆様態の蠢きから、結局、ポスト・モダンが生まれたと言えよう。つまり、MP2では割り切れないものが正当に精神に蠢いていたのである。
 しかしながら、混淆であるから、精密な分節化が為され得ないのである。その結果がデリダの差延であり、ドゥルーズの差異=微分である。(デリダの方が、混淆を保持したと言えるが、ドゥルーズは混淆を極小同一性へと転化させてしまった。)
 結局、ポスト・モダンはMedia Pointを明晰に解明できなかったので、行き詰まったのである。換言すれば、近代合理主義、唯物論による超越性の否定が抑圧的に作用していたので、混淆様態や差異共振に留まったと言えよう。
 これを理論的に打開したのが不連続的差異論である。これが、混淆様態を打破して、同一性と差異との絶対的間隙を明確にしたのである。
 そして、PS理論は数学的に、不連続的差異論を発展させたのである。結局のところ、差異共立(即非)と差異共振の絶対的間隙があるのが判明したのであり、それは、精神と物質の絶対的間隙を意味するのである。
 これは、ブレーク・スルー的に決定的である。正に、ポスト・ポスト・モダン、トランス・モダンである。
 言い換えると、近代主義が抑圧した超越性が復権したのである。それも、物質を包摂した形で。
 ということで、本題にもどると、差異共振こそ、混淆態であろうし、その結果の同一性が近代原理を意味すると言えよう。それは、⇒+1である。
 では、差異共立はどう説明できるのか。これは直観では、マイナス1と一体である。あるいは、マイナス1の表層である。
 端的に、差異共立とはMP1、即ち、虚軸のゼロ点の様態である。不連続的差異論は直観的にMP1を捉えたものと言えよう。
 では、差異共立とはPS理論的にどう数学化されるかである。
 Kaisetsu氏は和と述べている。差異共立一如態を述べるのに、和というのは考えられることである。私は商を説いているが。
 とまれ、差異共立を私は暫定的に、凸i#凹iとして表記した。私見では、-1⇔(凸i#凹i)である。 これは、静の様態である。いわば、平安、平和、サラームである。
 これは、生成門氏の説く反共振である。即ち、i*-(-i)⇒-1である。
 問題は-(-i)の最初のマイナスの意味である。これは、積である共振の否定として観るべきではないだろうか。
 何故なら、*は積、共振を意味すると考えられるのであり、その意味での他者-iの否定である。言い換えると、連続的他者の否定ということであり、絶対的他者の否定ではないのである。
 つまり、私見では、i*-(-i)とは凸i#凹iのことであり、絶対的他者-iは否定されていないのである。
 言い換えると、*とは差異共振を意味する記号であり、それは、差異をそもそも連続化していると考えられるのである。即ち、連続的差異=微分を前提としているのである。
 だから、差異共立=即非を意味するには、*とは異なる記号を使用する必要があると考えられるのである。
 私が仮に、暫定的、便宜的に、#の記号を使用して、差異共立を意味させているのである。だから、凸i#凹i⇒凸i*凹iとなる。MP1⇒MP2である。
 以上から、生成門氏の反共振i*-(-i)⇒-1について、差異共立の視点から解明を試みた。
 それは、絶対的他者=絶対的無我の否定ではなく、連続的他者=連続的無我の否定を意味すると考えられるのである。
 今はここで留める。
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