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2010年07月04日 (22:34)

反共振について:その2:反共振は共立と根源回帰ではないのか

さらに本題について考察を続けたい。
 端的に言えば、Media Pointにおける、凸iと凹iとの関係の問題である。虚軸のMedia Pointを生成門氏に倣い、MP1、実軸のMedia PointをMP2とする。
 さて、(+i)*(-i)⇒+1 において、左辺の*はこれまで積を意味して、帰結として、+1の同一性を形成する。そして、積とは差異共振作用を意味するのである。
 しかしながら、端的に即非である差異共立も本来、存するので、*は単に積=差異共振作用だけでなく、差異共立様態を意味する符号と見るべきであると考えられる。言い換えると、符号*はMP2においては積を、MP1においては、即非=差異共立を意味することになる。
 問題はMP1における差異の数学である。Kaisetsu氏は和としている。私は-1を脳裏に入れて、商であると考えてきた。 
 ここは実に微妙、霊妙な箇所である。私の差異一如経験から考えよう。
 差異共立とは、差異がエネルギー化される以前の様態であろう。可能性である。デュナミスである。潜在性とも言えよう。
 思うに、ここには、極性がないのである。何故なら、極性があれば、エネルギー化されるからである。
 その点では、ゼロ様態と考えるのは妥当である。差異の和である。ただし、0iないし-0iである。即ち、±0iである。つまり、凸i+凹i⇒±0iである。正確には、凸0iと凹0iであろう。これは、卵の様態とも言えよう。
 思うに、中和という言葉は語弊があるが、ここには一種の中和があるのではないだろうか。ゼロの中和である。
 では、ゼロの中和からどうして極性が発生するのか。そのためにはエネルギーが必要なはずである。
 ここで、D. H. ロレンスの『無意識の幻想曲』の発想を活用すると、根源には、I am Iがあり、それが、全体と一如である。
 そうならば、凸iの傾斜があるのである。思うにこの傾斜がエネルギーを生むのではないか。即ち、凸i⇒凹iである。すると、反作用で凹i⇒凸iが生起しよう。
 つまり、凸iの傾斜によって極性が発生するということにしよう。そして、この極性の結果が⇒+1の+1の物質である。
 結局、MP1の数学とは何か。和としよう。しかしながら、凸iに傾斜した和ではないだろうか。
 今、また、異なる発想が浮んだので記そう。MP1の数学を和としても、差異は、実軸ゼロ点、即ち、MP2で交差するので、そこでエネルギー化が為されると考えられよう。ならば、凸iの傾斜は必要なくなるのである。そうしよう。
 ということで、MP1の数学を和と仮説しよう。
 そうならば、*の符合とは和と積の両方を意味すると言えよう。ならば、凸i(#⇒*)凹i⇒+1となるだろう。(但し、#を和の符合とする。)
 さて、問題は、反共振である。それは何か。以上から、それは、MP2の共振を否定する作用である。だから、MP1の差異共立を意味すると考えることができる。
 しかしながら、そうすると、それは、和であるから、ゼロ、ないし、0iである。
 しかるに、i*-(-i)⇒-1と生成門氏は考えている。そうならば、ここには、反共振の二つの「解」が生じていることになる。和と積(の-1)である。
 しかし、反共振とは、実は積自体の否定ではないのか。そうすると、i*-(-i)⇒-1は不成立のはずである。
 つまり、反共振とは反積であり、それは、和となるのではないだろうか。つまり、i#(-i)である。つまり、i*-(-i)⇒-1とは反共振の数式ではないということになる。ならば、それは何か。これは、iのi回転であり、起源への回帰・再帰ではないのか。ならば、そこに商を観てもいいのではないだろうか。商を/で表記すると、i/(-i)⇒-1となる。
 ここは複雑であるが、以上から、反共振とは和=共立であり、又、商=根源回帰であるということになった。
 ここで、生成門氏の説いた無我の否定としての-(-i)、凹凹iであるが、それはどうなるだろうか。
 これも難しい。しかしながら、端的に、+i、凸iの自我である。つまり、無我-i、凹iの否定とは自我+i、凸iであり、それは、その否定によっては、積、即ち、i*-(-i)は生起しないだろう。i*-(-i)は、自我+i、凸iの根源回帰を意味しよう。
積とは自我凸iと無我凹iの積であり、無我の否定との積はないと考えられる。無我の否定は単に自我であるからである。
 以上、ぎこちない議論であるが、ここで留める。後で整理したい。
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‡零的確定原理‡

【哲】0的確定論

『或質的な面が物理的に確定する場合の確定要素は【0】である。』

 【0特性】
◇絶対性
『拡がりが無い,』

◇不可分性
『分けられない,』

◇識物性
『存在の1の認識が可能, 即ち考えるもとの全てが【0】より生ずる, 但し質的な変化に対し絶対保存できない,』

◇変化性
『物による逆の確定が不可能な変化 (可能性の確立), 即ち存在の【1】を超越して変化する, 端的に言えば, 思考そのものの形は現象に含まれ, 視覚的現象等と共に常に変化する。』

 【0特性】が真理であるならば, 時間平面的な視野は物的ではなく, 質的に変化していることになる。その根拠が【0∞1】, 有限の無限性を有する物による質の確定が不可能であること, そもそも確定する質が何かを知り得ない以上, 物理的確定論は絶対的ではなく類事的な確定であること, である。

 零的確定論では一つの時間平面が, 拡がり無き【時の間(はざま)】に確定していると考える。同様に空間を考え, 【空の間】に空間を置き, 絶対的変化を与える【質】を流し込む。つまり時間平面は, この表裏不可分の裏側の【絶対無】により0的に確定されることになる。

△無は有を含む。


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