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2010年07月14日 (00:06)

精霊流しの「海」とは何か:折口信夫の妣が国、常世

テーマ:D. H. ロレンスと折口信夫

長崎の祭礼の精霊流しでは、仏を精霊船に乗せて、海へと導く。仏はspiritである。
 では、行く先の「海」とは何か。これは、マイナス1の母神に近いが、しかしながら、水の要素を考えると、第三象限領域ではないだろうか。
 因みに、私は、

風  火
  空
水  地

と見ている。
 空は聖霊でもある。

後でさらに検討したい。

追記:直感では、イシスとオシリスの神話を想起する。オシリスは弟のセトに殺害されバラバラとなり、男根が船に乗せられて、ナイル川を漂い、漂着して、樹木になるのである。そして、それをイシスが見つけて、他の部分と接合して、復活させるのである。母神神話である。古代オリエント神話である。

精霊流し
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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長崎市県庁坂を登る精霊船

精霊流し(しょうろうながし)とは、長崎県 の各地でお盆 に行われる、死者の魂を弔って送る行事のこと。
概要 [編集 ]
精霊船

長崎市 をはじめ、長崎県内各地でお盆 に行われる伝統行事である(県内でも海から遠い波佐見町 等にはこの風習はない)。初盆を迎えた故人の家族らが、盆提灯や造花などで飾られた精霊船(しょうろうぶね)と呼ばれる船に故人の霊を乗せて、流し場と呼ばれる終着点まで運ぶ。

毎年8月15日の夕刻から開催され、爆竹 の破裂音・鉦の音・掛け声が交錯する喧騒のなかで行われる。精霊船は山車 を連想させる華美なものであり、見物客が集まる。「祭り」と誤解されることもあるが、あくまでも故人を追悼する仏教 の行事である。

初盆でない場合は精霊船は作らず、わらを束ねた小さなこもに花や果物(供物)を包み、流し場に持っていく。精霊船や供物は、以前は実際に海へと流されていたが、長崎市では1871年 (明治4年)に禁止された。精霊船も水に浮かぶような構造にはなっていない。現在でも島原市 、西海市 、松浦市 、五島市 などでは、実際に川面や海上に浮かべることもある。

長崎市には長崎くんち という祭りがあり、精霊船の造りはくんちの出しものの一つである曳物に似ている。 曳物は山車を引き回すことがパフォーマンスで行われており、精霊船をそれを真似て引き回すことが一部で行われている。郷土史家の越中哲也 は長崎放送 の録画中継の中で「難破船になるですばい」と毎年、出演の度に「悪しき行為」と解説している。この行為は一般的には好ましい行為と見られておらず、警察も精霊船を回す行為には制止を行っている。

代表的な流し場である長崎市の大波止には、精霊船を解体する重機が置かれている。家族、親類らにより盆提灯や遺影 、位牌 など、家に持ち帰る品々が取り外され、船の担ぎ(曳き)手の合掌の中、その場で破壊される。遺族にとっては悲しい瞬間である。
精霊船 [編集 ]
もやい船の印灯篭

精霊船は大きく2つに分けることができる。個人船と「もやい船」と呼ばれる自治会 など地縁組織が合同で出す船である。個人で精霊船を流すのが一般的になったのは、戦後のことである。昭和30年代以前は「もやい船」が主流であり、個人で船を1艘つくるのは、富裕層に限られた。

もやい船、個人船に限らず「大きな船」「立派な船」を出すことが、ステータスと考えている人もいる。現代でも「もやい船」の伝統は息づいており、自治会で流す船のほか、病院や葬祭業者が音頭をとり流す船もある。また、人だけでなく、ペットのために流す船もある。

流し場までの列は家紋 入りの提灯 を持った喪主 や、町の提灯を持った責任者を先頭に、長い竿の先に趣向を凝らした灯篭をつけた「印灯篭」と呼ばれる目印を持った若者、鉦、その後に、そろいの白の法被 で決めた大人が数人がかりで担ぐ精霊船が続く(「担ぐ」といっても船の下に車輪をつけたものが多く、実際には「曳く」ことが多い)。

精霊流しは午後5時頃-10時過ぎまで掛かる事も珍しくない為、多くの船は明かりが灯るように制作されている。一般的な精霊船では提灯に電球を組み込み、船に積んだバッテリー で点灯させる。小型な船や一部の船ではロウソクを用いるが、振動により引火する危険があるため電球を用いる事が多い。また、数十メートルの大型な船では発電機 を搭載する大がかりな物もある。

精霊船は「みよし」と呼ばれる舳先に家紋や苗字(○○家)、もやい船の場合は町名が書かれている。艦橋 の部分には位牌と遺影、供花が飾られ、盆提灯で照らされる。仏様や観音様、お経を書いた帆がつけられることが多い。

印灯篭は船ごとに異なる。もやい船の場合はその町のシンボルになるものがデザインされている(例:町内に亀山社中 跡がある自治会は坂本龍馬 を描いている)。個人船の場合は家紋や故人の人柄を示すもの(例:将棋が好きだった人は将棋の駒、幼児の場合は好きだったアニメキャラなど)が描かれる。

船の大きさは様々で、全長1-2m程度のものから、長いもので船を何連も連ね20-50mに達するものまである。

精霊船の基本形は前述の通りであるが、近年では印灯篭の「遊び心」が船本体にも影響を及ぼし、船の形をなしていない、いわゆる「変わり精霊船」も数多く見られる(例:ヨット好きの故人→ヨット型、バスの運転士→西方浄土行の方向幕を掲げたバス型など)。
由来と爆竹 [編集 ]

由来は諸説あるが、中国 の彩船流しの影響が色濃くでているものとされている。また、流し場までの道行で鳴らされる爆竹は、中国が起源であるなら「魔よけ」の意味であり、精霊船が通る道を清める為とされる。近年ではその意味は薄れ、中国で問題になっている春節 の爆竹と同様に、「とにかく派手に鳴らせばよい」という傾向が強まっている。数百個の爆竹を入れたダンボール箱に一度に点火して火柱が上がったりする等、危険な点火行為が問題視されている。観覧者を直撃する事が多くあるため、ロケット花火の使用は禁止されている。度を過ぎた花火の使用をした場合、各船の花火取扱者(事前に精霊流しの花火についての講習を受けた者)に警察から指導が行く場合がある。
見物ポイント [編集 ]

長崎市の場合は長崎放送 が中継録画を行う長崎県庁前には数多くの船が流れ、「変わり精霊船」も多く見られる。一方、長崎市役所周辺ではもやい船の伝統が残る下町が多く、3連、4連の巨大な精霊船を見物することができる。
法的な規定 [編集 ]

* 道路上での船の作成や全長2m以上の船を流す場合は所轄の警察署長の許可が必要
* 船の大きさは最大で全長10m、胴体7m、幅2.5m、高さ3.5m。なお、高さは本体高さでなく持ち上げたり担いだりしたときの高さとなる。
* 花火取扱者以外の花火取り扱いは禁止
* 矢火矢(やびや、ロケット花火)、連発花火などの使用禁止
* 花火を人や車両に向けて使ってはいけない
* 流し場で取り扱える精霊船の大きさは各所で異なり、大きいものは大波止など一部の場所でしか扱えない。
* 責任者は青、花火取扱者は赤のたすきが必要。このたすきは事前の届け出を行う際に所轄警察署の署長から交付される。

精霊流しに伴う影響 [編集 ]

* 精霊流しが行われる時間帯は長崎市中心部をはじめとする各所で交通規制が行われ、バスや路面電車 は経路を変更する形で運行される。
* 精霊流しの後は自治体が精霊船の処分を行うため一定期間粗大ごみの搬入が停止される。
* 近年薄暮競走 を行うようになった大村競艇場 は、最終12競走の本場発売締切時刻を18時40分(2007年 8 月・2008 年 8月実績)としているが、精霊流し当日のみ最終12競走の本場発売締切時刻が18時15分になる。(これに伴い当日各レースの発売締切時刻や発走時刻等も変更となる)

さだまさしと精霊流し [編集 ]

長崎市の人にとっては大変重要な行事であり、長崎出身の歌手さだまさし が聞いた話によれば、1945年 8 月9日 の長崎原爆投下 の際には多くの人が「自分が死んだら、誰が精霊船を出してくれるのだろうか」と気に懸けながら亡くなっていったという。

そのさだまさしは、自分の従兄弟の死に際して行われた精霊流しを題材にして、1974年 のヒット曲『精霊流し 』を作った。しかし、その歌と一般的な灯篭流しの情景を結び付け悲愴なイメージを作り上げてしまった観光客が実際に長崎の精霊流しを目の当たりにしてあまりの賑やかさに「歌と違う!」と驚くこともしばしばあるらしい。実は、さだも歌詞の中で「精霊流しが華やかに」と書いており、グレープ のファーストアルバム『わすれもの』では『精霊流し』のイントロ に爆竹 の音が入っており、賑やかさの奥底にある哀しみを描いているのだが、一般的な行事の印象が如何に強いかを物語るエピソードとも言える。
関連項目 [編集 ]

* お盆
* 盆踊り
* 送り火
* 御招霊
* 爆竹
* 舟っこ流し

関連サイト [編集 ]

* 精霊流し(長崎市)
* 長崎精霊流し(長崎新聞)

「http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%B2%BE%E9%9C%8A%E6%B5%81%E3%81%97 」より作成
カテゴリ : 日本の年中行事 | 長崎県の祭り

★精霊船の由来
寛政時代の記録には「昔は精霊を流すに船をつくるということもなく」とある。精霊は聖霊とも書いていた。読み方もしょうろうではなく、昔風にはしょうりょうである。

享保(1716~1725)のころ、中島聖堂の学頭をしていて、のち幕府の天文方をした廬草拙(ろそうせつ)という儒者が市民が精霊物を菰包みで流しているのを、これはあまりにも霊に対し失礼だというので藁で小船を作ってこれに乗せて流した、という記録がある。
ろそうせつ(1671~1729)が亨保のころ始めたとすれば、正徳(1711~1715)以前には精霊船は無かったことになる。
長崎名勝図絵という本には、享保のころ、物好きな男が小船を作って供え物を積んで流した、とある。この場合は一市民が始めたというおもむきで書いてある。また古書には、唐人の彩舟流し(さいしゅうながし)という説もある。今日まだ定説はない。
◇長崎辞典・風俗文化編・長崎文献社より
http://www.medaka.org/~ryouma/file/file_01.html
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