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2010年07月17日 (22:44)

光とは何か:精神(霊性)の発現としての光?

今は余裕がないので、十分考察できないが、一言言うと、視覚は明らかに精神(霊性)と結びついている。つまり、内面と視覚が結びついている。
 これは、Media Point(MP)と結びついているのである。これまで、差異共振が発光現象であると考えてきたが、今やどう見るべきか。
 心の問題である。今はざっと言うが、より感覚的には、光はMP2に関係するだろうし、より精神的にはMP1に関係するだろう。つまり、光の知覚には二重性がある。
 外的な面と内的な面である。物質的な面と精神(霊)的な面である。
 しかしながら、問題点は、MP2の「心」に存する。ここでは、いわば、心と物質が連続化ないし混淆するのである。そう、自我の心とも言えよう。感覚であり、また、精神の二重様態がここにあるのである。
 わかりやすく言えば、音楽、例えば、バッハの音楽を聴いたとき、聴覚と精神「感覚」の二重性が喚起されるのである。
 私の考えでは、MP1を霊性SPIRIT、MP2を心魂SOULとするのがいいのである。
一般には、MP2まで感じられるが、MP1は希有である。それは、特異な時空間が必要であると思われるのである。
 光の問題に戻ると、この視点から言うと、光はMP1とMP2の要素があると考えられる。
 私は以前、超越光ないし超光と呼んだのは、当然、MP1の光である。それが、言わば、現象光となるMP2と連続化ないし混淆すると考えられるのである。
 当然、宗教的な光とはMP1である。しかし、近代合理主義、近代的自我の世界では、これは、否定されるのである。
 とは言え、ご来光を拝むとか、夕日に感動するというのは、MP1の光、超越光、超光を直感しているからであろう。そう、霊光と言ってもいい。
 結局、超越光、超光、霊光とは差異共振の様態にある差異共立の一如態の発現と考えられる。
 アフラ・マズダーやアマテラスはここに存するだろう。しかしながら、問題は、マイナス1である。
 差異共立を和として、ゼロとするなら、それは、虚軸ゼロ点であり、それがマイナス1と通じるように思われるのである。この論理は何か。
 これが難問である。これは保留にしておき、直感で考えよう。
 外界の対象の奥にあると思われる物自体であるが、それは、やはり、マイナス1であろう。つまり、本来、いわば、背後にあるものを正面奥に錯覚するのである。
 そう、やはり、-1⇒MP1ではないだろうか。そして、MP2において、MP1を直感するように、MP1においても、-1を直感するのではないだろうか。
 つまり、⇒の先端は起点と通じているということである。だから、MP1の超越光の奥に物自体があることになろう。
 それが、ダーク・マター(暗黒物質、不可視物質)であろう。そう、外的物質の本体とはダーク・マターということになるだろう。
 しかしながら、ダーク・マターのダークとは本当に闇なのだろうか。私はこれは、超超越光の可能性を感じるのである。
 先に霊的太陽はMP1であると言ったが、その根源に超霊的太陽があるのではないだろうか。
 プラトンの洞窟外の太陽(善のイデア)は、この超霊的太陽を意味しているのではないのか。
 ならば、アフラ・マズダーはそこに存するだろう。すると、MP1の霊的太陽とは、超霊的太陽の背面であるということではないだろうか。
 今はここで留める。
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