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2010年07月30日 (11:22)

連続性同一性力学(モダン)と脱連続性純粋差異力学(トランス・モダン)

(以下は、次の追記2を独立させたものである。http://ameblo.jp/renshi/entry-10604717457.html


以上のように、同一性が差異に対して、(錯誤的に)優位性をもつとするならば、逆にどうして、差異が同一性に対して、異議を唱えて、差異の精神性を説くのだろうか。
 だから、単に、同一性が差異に対して、優位性をもつというのは、不十分、不正確である。
 正確に言えば、同一性の差異に対する優位性の志向性があるものの、差異は差異として、同一性に対する独自性、独立性をもっているということと言えよう。
 言い換えると、Media Pointにおいて、同一性の優位的力と差異の独立的力との矛盾が生起していると見ることができよう。
 実際的には、両者を突き詰めることなく、曖昧に妥協させていよう。正確に言うと、同一性優位の下に、差異を保持させていよう。
 しかしながら、近代合理主義、唯物論は、同一性が差異を完全に否定している様態である。
 この力学の説明が必要である。これは、上述したような連続性の力学で説明がつく。
 では、また、元に戻ることになる。つまり、連続性の力学によって、同一性が差異に対して優位性をもつのに対し、差異は異議を唱えて、差異自体の価値をもつのである。これは近代文化の基底にある闘争的事態である。
 この闘争的力学を説明する必要がある。連続力学によって、同一性が優位になっても、本来の差異、不連続的差異は根源(虚軸)に存続して、優位な同一性に対して、異質性を保持すると考えられる。
 言い換えると、優位な同一性と根源的差異との断層(活断層)が形成されるのである。この相克が近代文化の深層にあることになる。
 そして、近代合理主義、唯物論は、前者に傾斜して、後者を否定するということである。
 整理すると、連続性の力学によって、差異(不連続的差異)に対する同一性優位の「精神現象」が生起し、それが原理化されたものが、近代合理主義、唯物論であるということになる。
 そして、(錯誤的に)優位な同一性に対する差異の闘争が反近代、脱近代の動きであり、それが、19世紀後半から活発化して、20世紀以降の深部の知的動向となったのである。
 これは、言わば、脱連続性、脱同一性主義の知の活動であり、多様な領域の出来事である。
 しかしながら、哲学においては、ポスト・モダンは連続性の力学に囚われて、差異を純粋化することができなかったのである。純粋差異論を確立できたのは、不連続的差異論とその進展であるPS理論である。
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