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2010年09月08日 (19:05)

道祖神、猿田彦、塞の神、賽の河原:Media Pointの神話的表現

猿田彦=道祖神=塞の神=トート神=ヘルメス神=ケツァルコアトル=・・・

ではないだろうか。
 これは、Media Pointを表現していると考えられる。境界の神である。『「塞の神」は「賽の神」とも表現された。サイコロの“賽”だ。』 塞は境界であり、賽も境界ではないだろうか。賽の河原はこの世とあの世の境界の三途の川の河原であるから、そうだと思う。
 思うに、あの世は凹i⇒-1ではないだろうか。

追記:ヘルメス神が商業の神、また、泥棒の神であるのは、Media Point を考えれば、正にぴったし、一致するのである。Kaisetsu氏が説くように、売買とは価値衝突、あるいは、差異衝突なのである。
 強奪も「商売」なのである。欧米の植民地主義はこの観点から見るべきである。
 思うに、「商売」を一般に見下している。これは、生存の根幹である。そう、神とは商売神である。

追記2:因みに、小沢一郎は双子座であり、これは、水星が支配星であり、水星とは、ヘルメス神である。
 

* 奈良の神社話その六 氏子をかけた大博奕の行方──奈良市・猿田彦神社(道祖神) [photo]

 日本の神様は、ときに人間的な一面を見せる。町家が立ち並ぶならまちには、「神様同士で博奕を打った」という実に人間臭い話が伝えられている。  対峙したのは、今御門町の道祖神と薬師堂町の御霊様。軍配は御...
リアルライブ - 2010/9/7 18:11


岐の神
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動: ナビゲーション , 検索

岐の神(ちまたのかみ)または辻の神(つじのかみ)とは、日本 の民間信仰 において、疫病・災害などをもたらす悪神・悪霊が聚落に入るのを防ぐとされる神 である。

岐(ちまた、巷とも書く)または辻(つじ)とは、道路 が分岐・交叉する場所のことである。このような場所は、人だけでなく神も往来する場所と考えられた。神の中には悪神・悪霊もおり、これらの侵入を防ぐために祀られたのが岐の神である。このことから塞の神(さえのかみ)とも呼ばれる。

神話 の中では、『古事記 』の神産み の段において、黄泉 から帰還したイザナギ が禊 をする際、脱ぎ捨てた褌 から道俣神(ちまたのかみ)が化生したとしている。この神は、『日本書紀 』や『古語拾遺 』ではサルタヒコ と同神としている。また、『古事記伝 』では『延喜式 』「道饗祭祝詞」の八衢比古(やちまたひこ)、八衢比売(やちまたひめ)と同神であるとしている。

『日本書紀』では、泉津平坂(よもつひらさか)で、イザナミ から逃げるイザナギが「これ以上は来るな」と言って投げた杖から岐神(ふなどのかみ)、来名戸祖神(くなとのさえのかみ)が化生したとしている。『古事記』でも、上述のイザナギの禊の場面で、最初に投げた杖 から衝立船戸神(つきたつふなどのかみ)が化生している。

後に、中国から伝来した道路の神である道祖神 と習合した。そこから、道祖神もサルタヒコと同一視されるようになった。また、仏教 の地蔵菩薩 とも同一視された。
関連項目 [編集 ]

* 日本の神の一覧

「http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B2%90%E3%81%AE%E7%A5%9E 」より作成
カテゴリ : 日本の神 | 道祖神 | 魔よけ

結界

結界(けっかい、Skt :Siimaabandha)とは、聖 なる領域と俗 なる領域を分け、秩序を維持するために区域を限ること。本来は仏教用語 であるが、古神道や神道 における神社 なども、同様の概念があることから、言葉として用いられているが、大和語としては端境やたんに境ともいう。

・・・・・

神道・古神道 [編集 ]

古神道 である神籬 (ひもろぎ)や磐座 (いわくら)信仰は、神の依り代 であるとともに、その鎮守の森 や森林や山や海や川や岩や木などは、禁足地 である場所も多く、神域 や常世 と現世 の端境を示し、結界としての役割も果たしている。神籬の「籬」は、垣の意味であり、磐座は磐境ともいい境を意味する。この考え方が積極的に用いられ、古来より郊外の集落 の境や辻 などに配置された道祖神 、庚申塔 、祠 などの石仏は、災厄を集落に入れないようにするための、結界の役割をしていたともいわれる。

神道 においても、結界は神社などでも用いられ、たとえば境界線を示すために、神社 ・寺院 などの境内や建築物では意図的に段差を設けたり、扉 や柵 、鳥居 や注連縄 などを用いる。一般の家庭などでも、注連縄飾りや節分の鰯の干物なども結界である。

古神道や神道において、一定範囲の空間に設定されたタブー (禁足)を視覚化したものとも言え、それは聖なる領域(常世)と俗なる領域(現世)という二つの世「界」を「結」びつける役割をも持つ。



塞の神における兄妹相姦についての記号論的考察


概 要

村落のはずれの路傍に祭られている塞の神(道祖神)には、(1)境界守護の神という性格と(2)夫婦和合の神という2つの異質な性格がある。この第二の性格によって、塞の神は、しばしば陽石、陰陽石、さらには男女二体の夫婦の石像によって表される。ところが、その石像の男女はしばしば兄妹婚の夫婦であるとされている。これは何故であろうか。一般にはその由来をイザナギ・イザナミ神話に求めるが、これには賛同しがたいことを示した上で、我が国を含め東南アジアの水田稲作地帯に広がる兄妹婚肯定の空気が、その背景として存在することを指摘し、さらに、我が国古代では異母兄妹婚は通例のことであり、同母兄妹婚も強い禁忌ではなかったことを見てゆく。その上で、「いもせ」という言葉が、(1)兄妹(姉弟)(2)夫婦の2つの意味を持っていることが教えるように、兄妹と夫婦とは、もともとは区分されることのない同一の概念であったが、後に両者の間に区分線が引かれて、それぞれ別の概念とされた時、その境界線上にあるものが兄妹婚であることを見る。他方、塞の神は村落の内と外との境界に置かれるものである。この境界領域の事象ということにおいて両者は一致する。かくて、塞の神が兄妹婚の夫婦とされるのはこのためと考えられることを論ずる。記号論は連続したものを記号によって不連続に区分した時に生ずる境界領域には、神聖さと不吉さが備わるという。村落の境界と兄妹婚は、その属性においても一致することを述べる。
http://www.k4.dion.ne.jp/~nobk/other-folk/sainokami.htm

歴史と民俗の森の中で
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