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2010年10月10日 (22:33)

個と自我:その2:「わたし」とは何か:Was bin ich?

今日の「わたし」は、凸i⇒+1である。物質的自我である。
 しかし、これは、仮象である。それは絶対的に滅びるものである。(どうして、それに固執するのか。)近代的自我は物質的自我である。
 仮象である「自己(自我)」とは別に、本来、「個」がある。これは何か。
 これは、正に、双極的自己である。即ち、凸i*凹iの差異共立的自己である。この点において、すべての人間は共通、同一である(大乗仏教、キリスト教)。
 しかし、当然ながら、個々の人間には差異がある。これをどう説明するのか。
 直観的には、凸i*凹iには、差異があるということである。つまり、凸ik*凹ikである。だから、Aさんは凸ia*凹ia、Bさんは凸ib*凹ib、・・・Nさんは凸in*凹inとなる。
 思うに、これが「カルマ」である。どうして、違いが生じるのか。
 これは、状況によって差異が生じたと思われる。本来、同一であるが、状況によって、異なったのではないか。
 思うに、発想を変えた方がいいかもしれない。
 思うに、凸iの原自我は、本来、同一である。しかし、物質的現象化によって、差異が生じるということではないのか。
 つまり、「わたし」は本来、普遍的であり、同一である。しかるに、現象化、時空化によって、差異が生じるのではないだろうか。
 言い換えると、個々の人間はすべて、「神」である。しかしながら、個々別々の状況によって、差異化されるということではないのか。
 つまり、究極的には、すべての個々は-1という「同一性」(「一神教」)をもつということではないのか。
 私は民主主義には、基本的には批判的であるが、根源的同一性の視点から見れば、肯定されよう。
 そう、結局、「神」の多様性志向が、個々の人間を発生させていると思う。一人一人、「神」であるが、ある意味で、「神」に翻弄されているのである。そう、「神」は意地悪であるし、パズルを人間に課していると思う。
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