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2010年10月21日 (09:07)

「偽装自我」と「真正な無我」:+1凹i*+1凸i=+1の民主党指導層?

以下、生成門氏の偽装自我VS真正の無我の視点は興味深い。
 これは、意識と無意識(潜在意識)にも関係しよう。私は民主党の左派的人間の自我とその反動性の力学をどう解明しようかとは感じていたのでもあった。
 言うことと為すことがまったく乖離し、正反対になっている民主党の指導部であるが、それは偽装自我の視点で説明できよう。他者、凹iが欠落しているのである。正確に言えば、-1凹i(第三象限)の他者である。だから、他者偽装するのである。「コンクリートから人へ」。
 思うに、純粋な(?)自我の人は、+1凸i(第一象限)であり、他者偽装しない。ストレートである。他者偽装するのは下心があるからである。それは、+1凹i(第四象限)であろう。これが、他者偽装するのである。
 そう見ると、民主党指導層は、+1凹i(他者偽装)と+i凸i(自我)の二重人格であると言えよう。選挙では、前者が前面に出て、後者を引っ込める。そして、選挙に勝つと、逆転して、前者が消えて、後者となる。
 かれらに「個」ないし真正の無我がないのは、-1の超越性が欠落しているからである。つねに、二重性を使い分ける、悪賢い人間なのである。しかしながら、真実、真理は、-1の領域ないし第二象限か第三象限に存するのである。故に、彼らは愚鈍・愚劣でもあるのである。
 意識と潜在意識で言えば、意識が自我であり、潜在意識が偽装他者である。
 ここから、ペテン師の真相がわかる。偽装他者(偽装自我)を使って、欺し、自我利益+1を獲得するのである。
 外交もこの面が強いだろう。ただし、常に、-1をもっていないと、見透かされ、馬鹿にされる、民主党指導層のように。小沢一郎が一目置かれるのは、あるいは、恐れられるのは、-1、ないしは、第二象限と第三象限があるからである。誠意、誠実さとは-1に拠るのである。
 ここから、政治教育がはっきり認識される。プラトン哲学も、-1の認識を目指したものと言えよう。

参照:人間認識図(by Mr Kaisetsu)
人間認識図

********************

本来、+1凹iは自我の対称性である無我ですから、無我の心-1凹iの反転した現れのはずですが、+1凸iの自我から反動した+1凹iは、無我ではなく擬装自我なのです。つまり無我のように見えて真正の無我ではなく、恨みを抱えた自我なのです。

+1の反動

+1凸i=自我→(反動)→+1凹i=無我(擬装自我)

-1からの反転

-1凸i(凹i?)=無我の心→(反転)→+1凹i=真正の無我


擬装自我と真正の無我の心との戦いが、この物語の主人公チュモンの生き様であり、テーマでもあるのです。

無我の心とは-1凹iであり、それを反転した+1凹iが真正の無我の自己であり、自我+1凸iから反動したのが+1凹iの擬装自我なのです。
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* チュモンというベクトル・モード(1):恨みは進化の原動力 (1)

シムダンス「四次元能」

参考:
東明聖王
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動: ナビゲーション , 検索
曖昧さ回避 この項目では、歴史上の人物について記述しています。この人をモデルにしたドラマについては「朱蒙 (テレビドラマ) 」をご覧ください。
東明聖王
Goguryeo-monarchs(1-6).PNG
各種表記
ハングル : 동명성왕
現地における漢字 : 東明聖王
現地語読みの片仮名 表記: トンミョンソンワン
英語 : Dongmyeong-seongwang
表 ・話 ・編 ・歴

東明聖王(とうめいせいおう、(紀元前58年 - 紀元前19年 )は、高句麗 の初代国王(在位:紀元前37年 - 紀元前19年 )であり、東明王とも呼ばれる。姓は高、諱 は朱蒙(しゅもう、주몽、チュモン)または鄒牟(すうむ、추모、チュム)、衆解(しゅうかい、중해、チュンヘ)とされる[1] 。天帝の子を自称する解慕漱 (かいぼそう、해모수、ヘモス)の子、または扶余 の金蛙王 (きんあおう、금와왕、クムワワン)の庶子とされる。扶余の7人の王子と対立し、卒本(チョルボン 遼寧省 本渓市 桓仁 )に亡命して高句麗を建国し、初代の王となった。
建国神話 [編集 ]

「東明」を始祖にする建国神話・始祖伝説は、扶余・高句麗・百済 に共通して見られるが、歴史的にみれば扶余建国神話の東明と高句麗始祖の朱蒙とは別の人物だと見当がつく。しかしながら東明伝説も朱蒙伝説も筋書が構造的に共通するところが多く、その特徴は檀君 神話と同じく、王の政治的権威の源泉を天に帰属させながら、農業生産を左右する水の神霊の権威を同時に主張することである。ここでは高句麗の建国神話を『三国史記 』に基づいて記述する。扶余の建国神話については後述。百済の始祖神話については、「温祚王#建国神話 」を参照。
天の神の子 [編集 ]

朱蒙は河伯 (ハベク、水神)の娘である柳花(りゅうか、ユファ)を、天帝の子を自称する解慕漱(かいぼそうヘ・モス)が孕ませて出来た子と言う。父の怒りを買って扶余 王の金蛙の所へ送られた柳花を金蛙王が屋敷の中に閉じ込めていると、日の光が柳花を照らし、柳花が身を引いて逃げても日の光がこれを追って照らし、このようにして柳花は身ごもり、やがて大きな卵を産んだ(古代朝鮮では卵は神聖なものとされており、この話は朱蒙を神格化するためのものであると考えられる)。金蛙王はそれを気味が悪いとし、豚小屋などに捨てさせるが、豚がおびえて近かづかなかった。金蛙王はあらゆるところに捨てようとしたが、鳥が卵を抱いて守った。終いには自らで壊そうとしたが硬くて壊せなかった。数日後卵が割れ、男の子が生まれた。それが朱蒙である。
金蛙王の7人の王子たちとの対立 [編集 ]

朱蒙の名の由来は東扶余の言葉で弓 の達人と言う意味である。朱蒙は名のとおり、弓の達人であったために7人の王子に睨まれた。

朱蒙が20歳になったとき烏伊・摩利・陝父(オイ・マリ・ヒョッポ)の家臣ができた。ある日その3人と一緒に狩に出かけた朱蒙は金蛙王(クムワ)の7人の王子と出会ってしまった。王子たちは1匹の鹿 しか捕まえられなかったが、朱蒙は6匹の鹿を捕まえた。王子たちは落ち込んだが、もう一度狩りをすることになった。王子たちは朱蒙たちの獲物を奪い、朱蒙たちを木に縛って王宮に帰ってしまった。朱蒙は木を引っこ抜き、縄を切って3人の家来たちを助け、王宮に帰った。これを知った、7人の王子たちは父である金蛙王に讒言し、朱蒙を馬小屋の番人にしてしまった。

母親である柳花は朱蒙を脱出させようと考え、良い馬を選ばせることを決心した。そして朱蒙はある馬屋に行って幾多の馬に鞭を振り回し、その中で一番高く飛び上がった馬の舌に針をさしておいた。その馬はまともに食べることができなくなり、痩せて格好悪くなってしまった。金蛙王がその馬を朱蒙に与えた後、朱蒙は馬の舌からやっと針を抜き出し、三日間にわたってその馬に餌を食べさせた。
亡命と建国 [編集 ]

朱蒙は烏伊・摩離・陝父らとともに旅に出た。淹水(鴨緑江の東北)まで来たときに橋がなく、追っ手に追いつかれるのを恐れて、川に向かって「私は天帝の子で河伯(水神)の外孫である。今日、逃走してきたが追っ手が迫ろうとしている。どうすればいいだろうか」と言った。そうすると、魚や鼈(スッポン)が浮かんできて橋を作り、朱蒙たちは渡ることができた。朱蒙たちが渡り終わると魚たちの橋は解かれ、追っ手は河を渡れなかった。さらに進んで卒本に至って都邑を決め、漢 の孝元帝 の建昭 2年(西暦紀元前37年 )、新羅 祖の赫居世 21年の甲申歳(紀元前37年)に国を建て高句麗 とした。即位直後より辺方を侵略した靺鞨 族を討伐して高句麗の民とし、沸流国松譲王の降参を受け、太白山(白頭山 )東南の荇人(ヘンイン)国を征伐し、紀元前28年には北沃沮 を滅亡させた。
王位の継承 [編集 ]

紀元前19年5月、王子の類利(るいり、ユリ、後の瑠璃明王 )がその母(礼氏)とともに扶余から逃れてきた。朱蒙はこのことを喜び、類利を太子として後に王位を受け継がせた。同年9月に朱蒙は40歳で亡くなり、龍山に葬られて諡 号を東明聖王とされた。
建国の年 [編集 ]

『三国史記 』高句麗本紀に広開土王 は東明聖王の12世孫とするが、好太王碑(広開土王碑 )では好太王は鄒牟王の17世孫とする。このことから高句麗の建国となった甲申歳を紀元前277年にする説もある。また、『三国史記』は新羅 王室に連なる慶州金氏 の金富軾 が編纂したものであり、新羅中心主義的な記述とするために高句麗の建国年を新羅の建国よりも後にした、との見方もされている。
扶余の建国伝説との比較 [編集 ]

『後漢書 』夫余伝に見られる建国神話は、以下の通り。

昔、北方に索離国という国があり、王の婢が言われなく身籠ったため、王はこの婢を殺そうとした。婢は「天空に神聖なる気が立ちこめ、私に降り注いだために身籠ったのです」と答えた。王はこの婢を軟禁し、後に男子が生まれた。王はこの子を豚に食べさせようとして豚小屋の前に置いたが、案に相違して豚は息を吹きかけてその子を守ろうとし、死ぬことがなかった。王は今度は馬小屋に持っていったが、馬も同じようにその子を守ろうとした。王はこれは神意を表すものと思い、その母を許してその男子を東明と名づけた。東明は成長して弓術に優れたので、王は東明の勇猛振りを恐れて、これを殺そうと考えた。そこで東明は南方へ逃走し、掩水に至った。川に向かって東明が弓を射ると、魚や鼈が浮かんできて橋を作り、東明はこれに乗って渡り逃れることができた。そして夫余の地に至って王となった。

「扶余の始祖としての東明」の伝説は、古くは『論衡 』吉験篇に見られる。また、『三国志 』夫余伝が『魏略 』からの孫引きとして伝えており、これらの史書の中の高句麗伝では、始祖伝説は見られない。『魏書 』に至って扶余伝はなくなり、代わりに高句麗伝のなかで高句麗の始祖伝説が伝えられるようになった。その伝説の骨子は、元来の東明伝説(扶余の建国神話)に、河伯(水神)の外孫であること、卵生であること、という要素が加わって、高句麗が扶余から出たこと、名を朱蒙とするというものである。また、東明伝説において東明が弓術に優れていたとするのと呼応するように、「朱蒙」という語は「善射」を意味する、とも書かれる。後に高麗 の時代になって、『三国史記 』(1145年 撰上)では、高句麗の始祖を「諱 が朱蒙、諡 が東明聖王」とするようになり、高麗の詩人である李奎報 (1168年-1241年)の叙事詩「東明王篇」(1194年 )においても、高句麗の始祖を東明王と同一視するようになった。さらには『三国遺事 』の時代になって民族的統合の象徴として檀君 に系譜化され、「東明王である朱蒙は檀君の子である」とされるようになったと考えられている。

従来より、扶余の東明伝説と高句麗の朱蒙伝説との共通構造から、両者の民族的同一性が唱えられてきた。しかしこれらの始祖伝説は単純に同一とはみなせず、高句麗の始祖伝説には南方系の卵生型説話の要素を含んでいることや、広開土王碑 文や『魏書』高句麗伝には「東明」の表現が見られないことなどから、東明伝説の構成を元に高句麗独自の概念を踏まえた始祖伝説が形成され、後には『三国史記 』には東明聖王と朱蒙とが同一視されたもの、と考えられている。
陵墓 [編集 ]

東明聖王の陵墓は平壌市 の東方25Kmの地点に推定陵墓が存在し、東明王陵と称されている。元来は集安 にあったものを、平壌遷都とともに遷されている。1993年 5月14日 に金日成 の指示により整備が行われ、敷地面積約220ha、王陵区域、定陵寺区域、陪墳区域が整備された。陵墓は1辺32m、高さ11.5mであり、周囲には中門、祭祀堂、石像などが設けられている。玄室内部には29種の壁画が描かれている。
東明聖王が登場する作品 [編集 ]

* 朱蒙 (テレビドラマ) (2006年、演:ソン・イルグク )

脚注 [編集 ]

1. ^ 高句麗語 に声調 があったかわからないが、中国語 とベトナム語 において「蒙」字は平声 東韻で、「解」字は上声 蟹韻で読まれている。

参考文献 [編集 ]

* 『三国史記 』第2巻 金富軾 撰 井上秀雄 訳注、平凡社〈東洋文庫425〉、1983 ISBN 4-582-80425-X
* 『朝鮮史』 武田幸男 編、山川出版社<新版世界各国史2>、2000 ISBN 4-634-41320-5

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表 ・話 ・編 ・歴
高句麗王 (初代:前37年 - 前19年 )

東明聖王 / 瑠璃明王 / 大武神王 / 閔中王 / 慕本王 / 太祖大王 / 次大王 / 新大王 / 故国川王 / 山上王 / 東川王 / 中川王 / 西川王 / 烽上王 / 美川王 / 故国原王 / 小獣林王 / 故国壌王 / 好太王 / 長寿王 / 文咨明王 / 安臧王 ‎ / 安原王 / 陽原王 / 平原王 / 嬰陽王 / 栄留王 / 宝臧王
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