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2010年11月22日 (00:09)

「暴力装置」について:精神的権力論と唯物論的権力論

私は「暴力装置」という概念は、唯物論的であるし、機械論的であると述べたし、この考えを変えるつもりはない。
 「自衛隊」、国防軍、防衛軍、軍部を「暴力装置」と呼ぶのは実に一面的、皮相に過ぎない。
 そもそも、「装置」とは、物質的器具のことであり、「自衛隊」、他は生きた人間の組織や営為を意味するのであるから、物質的器具ではありえないのであるから、暴力「装置」は誤りである。
 また、「暴力」であるが、これは、明らかに、悪としての物理的強制力を意味するのであり、「自衛隊」等をそう呼ぶのは、誤解以外の何ものでもない。
 確かに、権力はこれまで暴力を振るってきた。戦争や死刑等がそうである。
 しかしながら、外国の国家暴力に対して、自国が武力的に対抗しないのは、当然、自滅的である。この武力を暴力と呼ぶのは、明らかに誤謬である。それは、自衛・防衛のための物理的力能である。それは、自衛・防衛・国防という精神性・理念をもつものであり、それを単に道徳的に悪を意味合いをもつ暴力と形容することは間違いである。
 確かに、物理的、物質的に見れば、自衛・防衛・国防は「暴力」である。しかし、それは、物理的・物質的還元であり、精神現象を捨象しているのである。正に、唯物論的視点以外の何ものでもないのである。
 マックス・ウェーバーが、トロツキーの「暴力装置」を採用したということは、正に、それは、唯物論的概念ということであり、ウェーバーの社会学の精神性とは、異質なものであると言える。言い換えると、ウェーバーが、「暴力装置」概念を採用したとき、彼は唯物論的であったと言えるのである。
 とまれ、「暴力装置」概念がウェーバーに拠るのではなく、永久革命論者のトロツキーのものであるというのは、この概念の唯物論性の決定的証拠である。


参照:

『◆ 2010/11/21(日) 『イデアル・ティップス』 って知ってる?

・・・・・

じつは、「暴力」という言語に関しては、マックス・ヴェーバー自身が、左翼が言い出した政治用語だと書いているのだ。次がヴェーバーの文章だ。

 「すべての国家は暴力の上に基礎づけられている」 と トロツキーは こう喝破したが、この言語は実際正しい。 (『職業としての政治』)

 「極左暴力主義者」のことを「トロツキスト」と言うときの あのトロツキー である。
ここで、ヴェーバーは、別に過激なトロツキストを擁護し、弁護しているのではない。

 ヴェーバーは、次のように言いたいのである。ヴェーバーの意図するところは、
「 “暴力・violence” という激しい言葉でしか表現できない荒々しい物理的強制力を、国家という共同体は独占している!
国家が独占している究極の強制力こそ “暴力” なのだ!」 と。
 ここでヴェーバーの意図するところは、
「国家が独占する究極の強制力は、“暴力・violence” という言葉でしか表現できない。
“force” や ”power”、また “武力” や ”威力” では、意味が薄くなるので駄目!」 ということである。』


たたかう老人! 飯山一郎の ハッタリなしの 口演会場 _
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