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2011年02月13日 (20:17)

光と超越的存在(ダーク・マター):知霊と量子:√凹⇒凸i*凹i⇒凸:二重光としての光の神秘

今は余裕がないので、予見を書きたい。
 既述したように、光は、凸i陽と凹i陰の共振によって、形成される。それが、凸i*凹i⇒凸(+1)の意味である。⇒凸(+1)が光である。凸(+1)を取り出すなら、粒子としての光子である。
 問題は、凸の背後、超越的背後に凹(-1)が存することである。いわゆる、ダーク・マターである。
 私が問題にしたいのは、差異共振エネルギーというか、虚軸での双極子としての差異の様態である。
 固定した状態では、粒子ないしは物質ではないだろうか。しかし、賦活されると精神になるのではないだろうか。
 思うに、双極子の背後に凸(超越的存在)があり、それが、双極子的粒子を精神化しているのではないだろうか。
 わかりやすく言えば、凸が霊、スピリット、神である。これが、量子にいわば背後霊のように付いているのではないだろうか。だから、量子や素粒子とは、霊的粒子、あるいは、知霊的粒子ということになるだろう。
 「気」もそういうものだろう。精神的粒子である。とまれ、物質とは、端的に、知霊的粒子の固定化したものではないだろうか。あるいは、知霊が静止した状態に縮約したものが物質ではないだろうか。だから、賦活させると、知霊化すると考えられる。
 後で、丁寧に考察を行ないたい。

追記:以前、四極の双極子ということを述べた。即ち、凹、凸i、凹i、凸を四極とする双極子である。言い換えると、十字双極子である。クロス・ダイポールである。ただし、凹は超越的な不可視性をもつ。
 だから、光の場合、⇒凸の粒子性をもつし、⇒においては、波動性をもつだろう。しかし、共振・即非波動である。(量子論はこの点をうまく捉えていないと思う。)
 問題は、凹とMedia Pointの関係数式である。以下の追記2の虚事象と背景の関係の問題である。
 凹(-1)の平方根は、凸i(+i)と凹i(-i)である。だから、√凹⇒凸i*凹iと記述できるだろう。まとめると、

√凹⇒凸i*凹i⇒凸

である。しかしながら、凹iには、凹への回帰の志向性があるように思う。何故かと言えば、凸iは外的光を受容するが、凹iは内的光(「闇」)を受容すると考えられるからである。つまり、有り体に言えば、凸iとは外的認識性を、凹iは内的認識性をもつと考えられるのである。
 言い換えると、凹iは凹と接触しているのである。しかるに、凸iは凸と接触しているのである。凹の平方根でありながら、両者は非対称と考えられるのである。
 この点から光について考えると、⇒凸の光は外的光と言えよう。しかしながら、凸i*凹i⇒は二重光であると考えられる。原光と原闇の二重光である。しかるに、凸iに傾斜した一般に人間認識では、この二重光を感光できないのである。つまり、原光に傾斜しているのであり、原闇を捉えられないのである。何故なら、原闇は不可視的であるからである。いわゆる、無意識というものは、この原闇、凹iに存すると考えられる。
 とまれ、光とは本来、二重光であるが、一般的には一重の光としか捉えていないのである。それは、外的光、物質的光と言えよう。
 思うに、私が以前、超越光と呼んだものであるが、それは、超越界凹と原闇凹iと接触する領域から発する内的光と考えられる。そして、これこそ、霊的太陽であると言えよう。アフラ・マズダーである。
 近代主義は、光の二重性をまったく無視して、外的光、物質的光しか捉えていないのである。言い換えると、精神の光がまったく欠如しているので、人間は悪となるのである。
 とまれ、光が原光と原闇の二重光であるという真実は、深い。わかりやすく言えば、光とは、闇であり、闇とは光である。あるいは、光・即非・闇である。
 現代日本人は光の闇の光を失っているのである。ここで、D. H. ロレンスがdark sunと呼んだものであるが、それは、正に、闇の光である。内的光、超越光、霊的太陽である。
 
追記2:差異即非・共振と差異連続的同一性化を念のため、区別しておこう。前者は、凸i*凹i⇒凸であり、後者は凸i*凹i=凸である。後者は不連続的絶対的双極的差異が同一性に連続化されているのである。これが、微分であり、ドゥルーズの哲学である。
 しかるに、前者は不連続的双極的差異を保持しつつ、同一性・物質が形成される事象を表していると考えられる。
 光の事象も前者として明確に捉える必要がある。量子論が混乱しているのは、前者と後者を峻別していないからである。不連続性と連続性を混合しているのである。
 思うに、虚事象と実事象の区別が必要なのである。そして、虚事象は背景に超越性があるのである。

追記3:光が二重光ならば、端的に、外的光も実際は二重光である。つまり、外的光には、内的光が存するのである。それが、シュタイナーの説く太陽に内在するアフラ・マズダー(霊的太陽、太陽神)ということだろう。
 つまり、内的にも、外的にも、超越光、霊的太陽、太陽神が存すると考えられる。光の神秘である。
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