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2011年03月05日 (21:52)

精神と自然Ⅶ:ベクトル凸i*ベクトル凹iの自然的陰陽原理と特異点凸i*特異点凹iの人間的陰陽原理

テーマ:マニ教とPS理論:光と闇の陰陽双極子

今は余裕がないので、簡単に指摘するに留める。
 これまで、自己精神的陰陽原理と自然的陰陽原理を統一させようとしてきたが、まだ、不整合である。
 先に直観したのは、凸iではなく、凸iベクトル、凹iではなく、凹iベクトルを自然的陰陽原理に考えれば、解決するのではないかということである。
 すなわち、凹⇒ベクトル凸i*ベクトル凹iとみるのである。そして、ベクトル凸iにおける凸i、ベクトル凹iにおける凹iを特異点として考えるのである。
 各特異点が、先に述べた超越絶対的即自と超越絶対的対自となると考えるのである。
 思うに、自然的陰陽原理においては、ベクトル凸i*ベクトル凹iが常時変動的に変化していると考えられるが、人間において、凸iと凹iが特異点となり、人間の認識・意識の基盤になっているのではないかと作業仮説するのである。
 問題は凸iと凹iがどのように特異点となるのか、である。直観で言えば、例えば、ベクトルが凸iに収束する場合とは、結局、実軸の要素が消えるのであり、その点で、脱物質的、つまり、超越的である。
 また、反対に、ベクトルが凹iに収束するときも、実軸の要素が消えるのであり、同様に、脱物質的、超越的である。
 問題はそのように考えても、自己原理の必然性が明確にならないことである。
 思うに、なんらかの力が作用して、凸iと凹iとを固定する必要があるのである。
 シュタイナーの場合は、悪魔アーリマンと悪魔ルシファーは、本来、善であった精神が、進化が止まって生まれたものと述べているのである。これも、いわば、神の深慮に拠るのである。
 ここで、作業仮説であるが、ベクトル凸i*ベクトル凹iにおいて、凸iと凹iのモードを人間精神のモードと考えるのである。そして、その他は、通常の自然的陰陽モードと考えるのである。
 そうならば、自然的陰陽論に、人間的陰陽論を「組み込む」ことができるのである。言い換えると、自然的陰陽であるベクトル凸i*ベクトル凹iにおいて、特異点凸iと特異点凹iを人間的陰陽の極性、すなわち、凸i*凹iと見るということである。
 そうすると、人間は自然から生まれながらも、特異な存在であることがこれでも説明できる。
 今はここで留める。後で整理するようにさらに検討したい。
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