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2011年03月27日 (11:43)

「天皇制」と封建制:近代日本の封建的国家体制:父権的自我優越妄想主義:トランセンデント・モダン

以下、東海アマ氏は持論の「天皇制」批判を唱えているが、この問題については既述したので、繰り返さない。
 ただ、今度の大震災における政府の姿勢を見て、日本国の封建的国家体制が浮き彫りになったと感じられる。
 つまり、江戸・徳川幕府体制との連続性ないしは類似性が感じられるのである。
 これは当然、ヒエラルキー体制であり、国家支配層が上部にそびえ、民衆が下部にいて、支配される体制である。
 民主主義体制ではあるが、それは、形式主義的でしかなく、封建的ヒエラルキーが実質的に存すると考えられる。
 日本の「資本主義」が国家資本主義、社会主義であるのは、これが原因だと考えられる。つまり、国家権力形式として、封建主義が存しているので、それが、資本主義を吸収して、国家資本主義、社会主義を生んでいるのである。
 民主主義も同様で、封建的国家権力形式が民主主義を吸収しているのであり、言わば、封建的民主主義である。
 そう、これはまた、「天皇制」(今日の「天皇制」ではなく、戦後以前のそれである)も同様であると考えられる。封建的国家権力形式が「天皇制」を吸収して、封建的「天皇制」となっていると考えられる。
 結局、明治維新を迎えても、背景にある封建制はしぶとく延命して、今日まで日本国を支配してきたと考えられる。
 では、封建制とは何かと言うと、端的に、父権制であることである。それは、父権的自我主義なのであり、自我優越妄想主義なのである。
 それは、知や真理ではなく、自我の虚栄心(名誉心・面子や体面:これは儒教的というべきでなく、儒教が父権的自我主義によって捩じ曲げられた結果、そのような見栄を生むと見るべきだ)にこだわる態度である。
 そう、自我には先験的優越・妄想性があるのであり、それが、独善性、独断性、欺瞞性等々の虚偽を生んでいると考えられるのである。
 自分が正しいと妄想的に思い込んでいるのである。だから、狂信・狂気的なのである。
 このような封建・父権的国家体制だから、「太平洋戦争」で破滅して、また、今日、大震災・原発崩壊で破滅を迎えていると考えられるのである。
 先に「二つの民族」の日本民族説を唱えたが、父権的民族性が徳川幕府から今日まで、支配的になったということではないのか。
 東海アマ氏が批判する「天皇制」をそのよう封建・父権的国家体制が取り込んだ「天皇制」として見るべきであり、本来のアジア的母権的天皇文化ではないと考えるべきと判断する。

追記:近代化、近代主義について触れていないので、少し触れたい。いったい、それは何か。当然、西欧近代化ないし、欧米的近代化である。
 そこには、イタリア・ルネサンスに拠る『個』の覚醒があり、また、プロテスタンティズムにおける、『個』と『神』との超越的関係の生起が基盤としてあった。
 そして、近代的自我とは、それが元になりながらも、自我意識が主体になったものと考えられる。デカルトの自我である。
 つまり、西欧ないし欧米の近代化、近代主義には、精神における『個』と自我との統合があると考えられる。正しく言えば、『個』と自我との連続体(連続的同一性)があると考えられる。
 それに対して、日本の明治以降の近代化とは、どうか。日本伝統文化・社会においては、個的共同体主義があったと私は考えているが、日本の近代化は封建・父権主義が西欧ないし欧米の近代化を導入し、この伝統的な個的共同体主義を破壊していったと考えられる。
 ここに日本近代化の問題点があるのである。つまり、西欧ないし欧米においては、ベースに『個』が存しているのであるが、日本の場合は、支配層の封建・父権的自我主義が主導的なことが決定的な問題点である。
 ここに日本近代化のボタンの掛け違いがあるのである。本来、近代化とはベースに『個』があるが、日本では、伝統的な個的共同体の『個』を破壊して、封建・父権的自我主義がベースになったと考えられるのである。
 つまり、逆立ちした近代化・近代主義なのである。(以前、封建的近代主義と呼んだものはこのように理解されるべきである)。だから、きわめて、いびつなグロテスクな、そう、倒錯した近代化・近代主義なのである。
 もっとも、そうは言うものの、西欧近代化、欧米的近代化がそのままいいというわけではない。そこには、『個』と自我との連続性がある点が問題なのである。言い換えると、『個』と自我が混淆・混同されているために、『個』のもつ共同体性がわからなくなっていることが最大の問題点であると考えられるのである。わかりやすく言えば、利己主義が中心化していることが問題なのである。
 とまれ、近代化・近代主義は乗り越えが必要であるが、それは、『個』と自我の脱連続化・不連続化が大前提である。これは、PS理論の前身の不連続的差異論が為したことである。これまで、この精神をトランス・モダンと呼んだが、『個』と自我とが分離する精神をトランス・モダンと呼ぶだけいいのか問題である。少なくとも、トランス・セルフとは言える。
 今はここで留める。

追記2:インター・インディヴィジュアル inter-individualという言葉が浮んだ。相互個、間個、共同個である。
 なお、個と個人は異なる。『個』とは人間を越えたものがあるのである。つまり、超越性が関与するのである。
 そう、トランセンデント・モダン transcendent modernという言い方が可能であろう。超越的近代である。

tokaiama


1. 天皇制をこれ以上書くとフォロワーが半分消えるはず。これだけで数千名が消えたかな。しかし、福島原発巨大事故の根底に死刑・天皇・原発の三点セットによる国民管理があると東海アマが妄言を吐いていたとだけ記憶してもらいたい 5秒以内前 webから
2. 天皇を研究してきた人は100%万世一系などという幻想を信じてない。天皇制の根底が山県有朋や平泉澄らの教育洗脳であることを知っている。それどころか天皇が百済由来の秦氏末裔という学説に反対できる者など皆無だ。天皇は朝鮮から来たことはもう常識なんだ。先住民は蘇州や沿海州から来ていた 3分前 webから
3. 日本では9割の人たちが死刑制度を支持している。国家の国民管理の根底に「言うことを聞かないと殺すぞ!」と人を脅して従わせる原理をとっている。同じ人たちが「便利な生活のために原発は仕方ない」と洗脳されてきた。「天皇様のいる日本を愛す」という虚構とともに。放射能よ洗脳を洗い流せ! 7分前 webから
4. 死刑・原発・天皇制これは三点セットで国家基盤を作っていた。これに反対すると多くの人が無条件に嫌悪し排斥するだろう。その一角、原発が崩壊した。次は死刑、最期に天皇制になる。もう一度イマジンを思い出して「想像してごらん国なんてどこにもないんだよ」 我々は地球の上にいるだけ、命とともに 11分前 webから
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