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2011年04月05日 (07:47)

父権的自我が資本主義と連続する:父権的自我の資本主義的被洗脳:新母権的個的「内臓」精神へ

テーマ:アイオーン・エポック:母権霊的ルネサンス

今は余裕がないので、簡単に触れるだけだが、以前、ヤハウェが唯物論の根源であると粗っぽく述べたことがある。
 今思うのは、父権的自我が資本主義的意識と連続化しているということである。
 近代の問題と言うよりは、父権的自我の問題である。PS理論では、凸iの傾斜問題である。
 そう、単純化して言えば、父権とは凸iであり、母権とは凹iと見ることができる。
 西洋文明は両者があるが、前者が支配的なことは言うまでもない。 
 日本は、本来、後者をベースに前者を取り込んでいるが、私見では、後者がデカダンスとなり、前者の暴走が始まったのが、江戸時代後期以降の日本である。とりわけ、明治以降の日本である。
 思うに、日本の母権主義はある意味で、坂本竜馬らの開国主義において、蘇ったが、無軌道な父権主義によって、葬り去られたと思う。
 ここで、有り体に言って、金儲けという利己主義的欲望は、父権的自我に自動的にセットされていることを問題視したい。
 これは、差異共振(母権精神)の連続的同一性体であり、貨幣・資本崇拝(カルト)となるのである。これは、優越的妄想・狂信・盲信性、ナルシシズムをもっているので、度し難いのである。
 原発路線も当然、この父権的自我の貨幣・資本崇拝に拠ると言えよう。
 結局、今日の日本の「黙示録」の意味することは、この父権的自我主義を超克する、新母権主義へとパラダイム・シフトすることと考えられる。
 伝統的東洋的日本文化に回帰する必要がある。脱亜入欧、戦後の被占領によって喪失した肚の文化を取り戻す必要がある。
 「内臓」が直観するのである。「頭脳」は単なる媒体に過ぎない。
 民主党が国賊・亡国的に無能なのは、「内臓」的精神がないからである。「頭脳」だけだからである。それは、単なる反射主義であり、積極・創造的自主性・主体性、臨機応変・創意工夫がまったくないのである。端的に、『個』的共同体性がないのである。
 「内臓」とは、実に、第三象限=光の王国に通じていると思われる。そして、「頭脳」は第四象限=闇の世界に通じていると思う。
 「内臓」はスピリチュアルである。
 今はここで留める。

追記:端的に言えば、グノーシス主義が否定する創造神とはヤハウェないしは父権神である。
 ヤハウェの根源には、母権神(おそらく、エローヒーム=神々)が存するのである。これが、グノーシス主義の至高神である。それは、第三象限に属するのである。

追記2:グノーシス主義の創造神(デミウルゴス、ヤハウェ)と至高神の二元論的区別であるが、これは、マニ教となると違うものになるのである。何故なら、マニ教においては、物質界において、光の粒子が存して、これが、物質界を克服して、光の世界へと回帰するプログラムをもっているからである。
 光の粒子とは何だろうか。それは、media pointである。物質に内在するmedia pointが光の粒子だと考えられる。
 そう、光子にもmedia pointがあるだろう。
 そして、media pointから凹iを経て、第三象限=光の世界へと再帰するように思える。
 「救世主」とは、結局、media pointに存する「聖霊」であろう。あるいは、差異共立である。

人間認識図

人間認識図

Japonesian Apocalypse:アイオーン・エポックを迎える
http://photozou.jp/photo/show/240326/40644208

Japonesian Apocalypse:アイオーン・エポックを迎える
黙示録論 (ちくま学芸文庫) [文庫]

黙示録論


参照:
「天皇制」と封建制:近代日本の封建的国家体制:父権的自我優越妄想主義:トランセンデント・モダン
http://sophio.blog19.fc2.com/blog-entry-1686.html

プラトニック・シナジー理論(旧不連続的差異論)のページ


参考:
 このようなヤハウェを、グノーシス主義では《デミウルゴス“dëmiürgos”》と同義とした。デミウルゴスとはギリシャ語で《製作者》を意味し、元々はプラトン哲学において、原型としてのイデアにのっとって、素材から世界を形成する創造神をさしている。この場合のデミウルゴスは、ユダヤ教のヤハウェと同じくそれがいわば至高の存在である。これらヤハウェやデミウルゴスといった創造神による被造としての宇宙万物(あるいは世界)と、その中にいる人間は、当然のことながらその創造神が至高の存在であるので、《美しく善きもの》として称賛されたものであった。そしてこれらと並行する形で、いわゆる常識として形成されていった民間における星辰(星座)信仰によれば、星辰は人間の霊魂の故郷とみなされており、とりわけ偉大な政治家や皇帝の死後、その魂は星辰界に帰着すると信じられていた。

 ところがグノーシス主義における宇宙・世界・人間観は、これまで常識と考えられていた価値観を根本から覆す思想体系を構築した。ヤハウェおよびデミウルゴスは、人間がおかれている可視的宇宙そのものを作った存在にあたることはかわらない。しかしその宇宙がグノーシス主義では《人間即神也》で説明したように、「人間の本来あるべき場ではない倒錯状況にある」から、それらは転じて倒錯状況を生み出した悪なる造物主、すなわち無知蒙昧なる《偽りの神》と化すのである。そして《美しく善きもの》として賞賛されていた宇宙は、この造物主の無知が作り出した牢獄とでもいうような捉え方へと一変し、人間の運命を司るとされた星辰は、この悪なる造物主の支配下にあり、人間の運命を決定する支配者たちとして《アルコーン(=執政官の意、悪なる霊質)たち》、《番天使》などと呼ばれ、かえって、人間の本来あるべき場である究極的存在の住まう世界へと帰着する霊魂を捕縛し、妨害するものへと転じることになった。これが《反宇宙的二元論》を反宇宙的と言わしめるゆえんである。

 この考え方は、先述したヤハウェの特徴である《愛の神》、《義の神》としての側面と、《荒ぶる神》としての側面という、対立している概念が一刀両断されたことをも意味する。前者は究極的存在である至高神に、後者は無知蒙昧なる偽りの神である造物主に割り当てられたのだ。これは後に成立することになる原始キリスト教と融合して「キリスト教グノーシス主義」を形成し、愛を説き福音をもたらすメシア(救世主)としてのイエス・キリストを遣わした神が、この世を創世した造物主ではなく、究極的存在である至高神による啓示であると位置づけられることになる。グノーシス主義の神に関する概念は、このようにして、既存の神の二元的な側面を、真の神たる至高神と偽りの神たる造物主とに引き裂いた上で、はっきりと対立する二者に分けたのだ。
http://homepage3.nifty.com/kiraboshi2/Abraxas/Gnosis_intro3.html
グノーシス主義概論
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