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2011年04月12日 (00:46)

仮説:『科学』とは何か:その2:凸iに傾斜する(父権化)と絶対性が連続化され、合理性が歪曲される

テーマ:自己認識方程式:凸i*凹i⇒凸(+1)

直近において、『科学』について考察した。(仮説:『科学』とは何か:物質的法則は絶対的であり、基準値はそれに準拠するものと考えるべきである )
 そこでは、凸i*凹i⇒が絶対的法則を意味すると述べた。
 しかし、そう述べる前には、直観では、凹iが絶対的法則ではないかと思ったのである。この点に関連して考察を行ないたい。
 差異共振エネルギーは法則的であり、その根源は虚軸に存するのである。
 それは、ジェンダー論的に言えば、母権的なのである。何故なら、凸iの自我(父権的)傾斜がそこにはないからである。
 ここで注意すべきは物質世界の法則と人間認識の相違である。物質世界の根源は差異共振であると言えるし、人間の認識の根源もそうであるが、人間認識の場合、物質世界と異なり、凸i(陽)に傾斜している点を確認しないといけないと考えられるのである。
 つまり、凸iの傾斜を押さえる為、凹iを重視して均衡を取る必要があると考えられるのである。
 その点から見ると、私が絶対的法則は凹iにあるのではないかと言ったことは、人間認識に関しては正しい。しかしながら、法則は差異共振であり、凸iと凹iとの均衡に存すると言える。
 さて、以上で、前提が整ったので、本題に入ると、『科学』とは二重性をもつことがわかる。即ち、差異共振的法則と人間的認識の二重性である。
 もし、後者において、父権的自我、凸iの傾斜をもつと、それは、連続的同一性を生み出すので、法則と自我とが一体化してしまうと言えよう。
 それは、法則と自我とが混同されているのであり、正しく法則を認識できないことになる。つまり、現実的には、自我の都合で、利己主義的に、法則を歪曲することが起ると考えられるのである。
 故に、科学者は認識において、凹i(陰)に基盤をおくべきと考えられるのである。
 そのような意識がないと、自我と連続化しているので、法則の独立性が保てなくなると言えよう。
 ここで、『科学』を研究する人間が父権的自我の持ち主であったとすれば、それは、『科学』を必然的に捩じ曲げることになるだろう。
 そして、あえて言えば、それが、今日、現代、日本の『科学』領域に起っていることではないかと考えられるのである。
 つまり、『科学』が自我的志向(利己主義)によって、反『科学』あるいは似非『科学』にされるということである。
 カントは超越論的形式という物質界への認識様式を説いたが、差異共振とは超越的法則ということができるのであり、それは、自我的認識・意識から独立するものなのである。
 この『科学』の超越性を認識しないならば、それは、『科学』を邪道化するものと言えよう。
 利己主義によって、絶対的法則を都合よく解釈することに帰結すると考えられるのである。
 この点で、資本主義の利己主義と『科学』が結びついたのは不幸であったと言えよう。また、その物質的手段として、『技術』があるのであるが、それは、本来、『科学』とは異質なものであると言えよう。
 『技術』は『科学』に拠るものとは言え、それは、『科学』の物質的応用と言えよう。つまり、『科学』から『技術』への転換において、自我、利己主義が入ってくることが考えられるのである。
 そう、ここでも、『科学』が偏向すると言えよう。
 とまれ、日本においては、母権的個と父権的自我の二つの「精神」があるが、明治維新以降、とりわけ、戦後以降、父権的自我が支配的であり、『科学』を『技術』と結びついた資本主義に癒着させてきたのであり、そのために、『科学』本来の超越性が無視されてきたと考えられるのである。
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