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2011年10月24日 (14:20)

「光」と「身体」

テーマ:manichaeism

D. H. ロレンスは『トマス・ハーディ研究』Study of Thomas Hardyで次のように述べている。

Since the Renaissance there has been the striving for the Light, and the escape from the Flesh, from the Body, the Object. p. 82

ロレンスの「光」は第一象限、「身体」は第三象限とすべきではないだろうか。あるいは、「光」は第二象限かもしれないが。
 とまれ、この対立は単なる知性と身体(物質)の対立と取るべきではない。何故なら、ロレンスの身体は凹(-1)に通じているからである。
 おそらく、正確に言えば、凸(+1)が凹(-1)を暗示しているのかもしれない。
 ここでは近代の「光」が「闇」を回避したことを述べていると言えるだろう。だから、凸iが凹iを回避したと言ってもいいのである。
 これは端的に、美術に現われているだろう。正に印象派において。モネ(追記:正確に言うと、モネには「闇」、「身体」が感じられる. ロレンスは「光」の美術の頂点にターナーをおいている.)。
 直観でいえば、モダン・アートは「闇」、「身体」を喪失しているのである。不思議なのは、セザンヌにはその要素がありながら、モダン・アートはそれから離れていったことである。
 「光」に囚われて、「闇」を喪失していったのである。しかしながら、無意識の内で、「闇」の追求はあった。マーク・ロスコの絵画はそのような試みであろう。また、ルネ・マグリットも「闇」を示唆していると言えよう(「光」と「闇」のコントラストの表現と言えよう)。
 シュルレアリスムは未熟なその探索であったと言えよう。彼らは結局、フロイト主義に阻害されたと言えよう。
 今日、絵画において、立体への志向が強いのは、その意味合いがあるのかもしれない。「闇」と「身体」の回復。
 そう、私が魂というものは、そのようなものだと思う。「闇」である魂、「身体」である魂。
 今はここで留める。
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