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2012年01月09日 (21:20)

精神的光:二つの視覚感性:media pointの凹i視覚と凸i視覚:to sub-modern

二つの世界:精神界と物質界:「死」と「生」
テーマ:manichaeism: 哲学

物質界がすべてと思うと、一期一会という発想が生まれるだろう。
 しかし、精神界を考えると、当然そうではなくなる。
 結局、人間は、精神界と物質界の両界の住人であるが、前者を忘れているのである。
 物質界において死ねば、「霊魂」は、精神界へと帰還すると考えられる。つまり、個は絶対的には死なないのである。
 物質界は「霊魂」の修行の場であり、「死後」、「霊魂」は精神界へと帰還すると考えられる。
 「霊魂」である個は、物質界において、物質の衣を着ていると言えよう。物質界の原理に服しているのである。
 結局、物質界に存する場合、精神界はほぼ不可知である。人間は物質界の法則に服するのである。しかし、それは、同一性の法則に過ぎない。
 結局、物質界において、物質の衣が強固なため、独立した精神を認識することが困難だと言えよう。
 物質は精神を恐れると言えるのではないだろうか。これはジェンダー的に言えば、父権は母権を恐れるということになるのではないだろうか。そう、母権、女性は、基本的に、凹iであり、第三象限に近い存在である。否、第三象限の存在と言うべきかもしれない。
 ということで、物質界においては、精神界を認識することはきわめて困難であると言えよう。


精神的光:二つの視覚感性:media pointの凹i視覚と凸i視覚:to sub-modern
テーマ:manichaeism: 哲学
先に以下の論考を書いたが、
『光と視覚:「見る」とは何か:同一性的視覚と差異的視覚』http://ameblo.jp/neomanichaeism/entry-11129804530.html
高振動の精神的光について補足したい。
 それはmedia pointにおける凹i⇒凸iにおける第三象限から発する光である。内的光、超越光である。D. H. ロレンス的に言えば、dark rayとなろう。
 結局、この超越光を感受する能力がmedia pointに存するだろう。明確に言えば、media pointにおける凹iに存するだろう。即ち、media pointに差異共振エネルギーが生起するのは(内的に拠るものであれ、外的に拠るものであれ)、凹iが主導的な場合であり、凹iに超越光の感受点がある と考えられる。
 では、そのとき、凸iの視覚はどうなのだろうか。
 結局、凹iが主導的であるとは言え、差異共振であるから、両者が作動しているのである。凹i⇒凸iであるから、闇=陰が光=陽へと浸入していると考えられる。そのときに、超越光=精神的光が感受されるのである。
 だから、より正確に言うと、超越光=精神的光の感受とは、media pointを媒介として、凹iをベースにして、凸iに(も)存するということになるだろう。そう、凹iをベースに即非的視覚感受と言ってもいいだろう。つ まり、media pointを介して、主導的な凹iと凸iの共振状態に超越光=精神的光の感受が存するだろう。当然、凸iの本来の光の視覚にも、超越光=精神的光は感受さ れるのである。
 では、同一性=物質的光はどのように感受されるのか。それは、凸iが主導的になった場合と考えられよう。そのときは、差異共振が同一性志向に脇へ追いやられ、超越光=精神的光は精神的フィルターに濾過された同一性=物質的光に変換していると考えられるからである。
 そして、戦後以降のように近代合理主義=唯物論が支配的になると、超越光=精神的光は完全に排除されて、同一性=物質的光が中心化されるのである。精神的盲目状態である。
 しかしながら、凸iの主導化、同一性=物質的光の支配は、積極的意味があると考えられる。それは先に述べたように、陽極まりて陰に転ずという事態である。
 光が極まったとき、そのとき、闇へと転換するのである。つまり、新たな差異共振が生起するのである。新しい日あるいはdark sunの誕生である。言い換えると、先験的な超越光=精神的光ではなく、真に個的な超越光=精神的光が誕生すると考えられるのである。
 ただし、そのためには、なにか引き金が必要だろう。なんらかのショックが必要だろう。とまれ、絶対的個=差異になることが条件ではあろう。
 また、積極的な関与が必要である。それは闇=陰=凹iの関与である。だから、単純にトランス・モダンではないのだ。光に徹して、闇の深みに測鉛を垂下して、闇を測深する必要があるのである。
 光であり、且つ、闇である。光と闇の即非共振、即一を達成するのである。
 だから、サブ・モダンsub-modernではないだろうか。モダンからサブ・モダンへと深降することで、新しい日を達成するのである。

追記:sub=trans-modern、サブ=トランス・モダンという語も浮んだ。しかし、トランスなのだろうか。


光と視覚:「見る」とは何か:同一性的視覚と差異的視覚
テーマ:manichaeism: 哲学
今は問題提起に留めるが、どうも、視覚は二種類あるように思える。
 私は直観的に対象を見るのであるが、一般には、直観的視覚が少ないように思える。例えば、顔貌、相貌、人相は直観的に「見える」ものであるが、今日の人はそれが見えていないと思う。
 例えば、性格は相貌に出るものであるが、それが今日の人は一般に見えないようである。あるいは、顔写真に、当人の性格が現われるものであるが、今日の人には見えないようだ。
 そう、心や性格は顔貌に現われるのであるが、この力学はどういうものなのか。
 今は簡単に言うが、media pointが心や性格の核であり、その精神振動が表情に出ると考えられる。
 顔は物質的身体だけでなく、精神的身体でもあり、精神が顔貌、相貌、人相となると考えられるのである。精神振動、精神波動が精神的形態を造形しているのである。
 そして、それは当然可視的なのである。精神的に可視的なのである。つまり、精神的視覚があるのである。(それも一種の霊視であろうが。)
 ということで、確かに、少なくとも二つの視覚があるのである。物質的視覚と精神的視覚である。
 だから、それに即せば、二つの光があるということになるのだろうか? つまり、物質の光と精神の光があるのだろうか?
 少し視点を変えると、以前、音楽の精神的感覚と物理的音響感覚について述べた。例えば、バッハの音楽の場合、氣的精神があり、それが、音楽的音響となっていると述べた。つまり、精神的振動を伴った物理的音響がバッハの音楽である。
 このことは視覚についても適用できよう。即ち、精神的振動、精神的光の振動があり、それが、物理・物資的光となるのである。それが、顔貌、相貌、人相の形態となるのである。ただし、粗雑な、粗野な視覚では、それは不可視である。
 では、顔貌の場合、音楽とは異なり、顔という物理的身体に相という精神的身体が重なるということなのだろうか。
 思うに、身体は少なくとも二重的だと思う。遺伝的身体と個的精神的身体がある。
 この二重的身体が人を混乱させるのではないだろうか。そう、美術の場合は、音楽と同様に考えられるが、身体、特に「顔」の場合はそうはならないようだ。
 結局、同一性的視覚と差異的視覚があるのだ。物質的視覚と精神的視覚と言ってもいい。
 結局、前者は光の同一性的相を見ているのであり、光の差異的相を見ていないと考えられる。
 しかし、まだこれまで述べてきたことと不整合、齟齬がある。つまり、物質的光と精神的光があると述べたこととまだ、整合性がない。
 これは、やはり、振動ないし振動の様態(波形)で説明できよう。物質的光は低振動であり、精神的光は高振動であると考えられる。(波形の問題はおいておく。これは検討問題とする。)
 ということで、いちおう、説明がついた。即ち、二つの視覚、同一性・物質的視覚と差異・精神的視覚があり、また、二つの光、物質的光(低振動の光)と精神的光(高振動の光)が存するのである。
 顔貌・相貌・人相について言うと、相とは、精神的光の表出であり、それは、差異・精神的視覚が知覚するのである。しかし、今日、高位の視覚が劣弱なため に、精神的光の表出が不可視になっているのである。丁寧に言うと、高次の精神的光と低次の精神的光がある。高貴な精神の光と劣弱な精神の光である。卑しい 人間はその卑しい精神の光が顔貌・相貌・人相となって表出されるのである。
 思えば、ルドルフ・シュタイナーはこれから、善的人間と悪的人間はその性質が相貌・顔貌・人相にはっきり表出されるようになると予言していた。認識が深化することを考えれば、それは、以上の説明から理解できることである。
 後で整理したい。

追記:一般的には、二つの視覚は混同されている。つまり、未分化的に一致してしまっているだろう。区別していないのである。


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