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2012年01月18日 (09:52)

光とは何か:虚MPの光(超越光、マニ教の光)、空孔(⇒)の光、実MPの光(現象光)

光とは何か:虚MPの光(超越光、マニ教の光)、空孔(⇒)の光、実MPの光(現象光)

テーマ:media point

これは再確認ないしは再考である。
 先に、量子論は、media pointの実軸点で精神子を捉えていて、光は超越光=超光であると述べた(仮説)。(PS理論とシュタイナー霊学:量子力学と精神子力学:超量子力学としてのPS理論 http://ameblo.jp/neomanichaeism/entry-11138777900.html)
 ならば、それは肉眼の光とは異なるので、後者を説明する必要がある。
 結局、media pointの虚軸点(MP1ないしImaginary MP=IMP=虚MP:以下、虚MPとする。尚、MP2=Real MP=RMPは実MPと表記する。)で発生しているのが、超越光=超光としての光であり、これが、マニ教等の光と考えられる。(もっとも、精緻に言うと少 し異なるが、今はそのままにしておく。)
虚MPの光が言わば、下降して、実MPへと到達して、そこで、現象の光が発生するというように思われる。そして、実MPからさらに展開して、物質凸(+1)へと帰結するということになる。
 そうすると、虚MPの光と実MPの光の間にもう一つの光が考えられる。それが、いわば、滝、瀑布のような光である。あるいは、即非様態の光である。これを空孔Vacuumの光と呼んでおきたい。
 思うに、量子力学で捉えている光がこの空孔の光ではないだろうか。また、凸i*凹i⇒凸の⇒がこの空孔の光ではないだろうか(作業仮説)。(そして、⇒ の領域を空孔MPとも呼びたい。)ならば、左辺が虚MPを指していると見ていいだろう。そして、⇒の先端が実MPとなるだろう。
 ところで、凸iも光であるが、それはこの図式において、どうなるのか。
 以前、凸iを原光と呼んだが、一応、そう捉えていていいのではないだろうか。原光凸iと原闇凹iとの差異共振が超越光=超光としての光(マニ教の光)を産み出すのである。
 残った問題は、相対性理論と量子力学との関係の問題である。アインシュタインの捉えた光は実MPの光なのか。それとも、空孔の光なのか。光速度一定の光 は前者を指しているように思える。それは物質界を前提にしているからである。そして、量子力学は当然、後者を問題にしていることになる。
 そして、空孔の光、あるいは、⇒の光とは、絶対的矛盾を呈しているのである。精神子(超越光)であり、物質的光(現象光)であるという矛盾である。そう、この点を実を言い方で既述したが、今日の量子論は解明できていないと考えられるのである。
 有り体に言えば、精神子は無限大の速度であり、超光速である。しかしながら、それは、物質界の基準に拠ればのことではあるが。精神界においては、当然、 もはや、物質界の基準は適用不可能である。(精神界は超時間的な、ないし、観念同時の世界であるから、所謂、速度は問題にならないだろう。しかし、違う概 念がありそうではある。それは課題である。)
 ニュートリノが超光速という結果(まだ、観測問題があるが)は、この点に関係していよう。つまり、精神界の要素が物質問題に入ってしまっている為に、問題化してしまっていると考えられるのである。
 ここで今や大問題の放射性物質について簡単に触れると、それは、当然、実MPの現象と考えられる。つまり、物質的光に関係すると考えられる。つまり、端 的に言えば、原子とは実MP事象を意味していると考えられる。そう、電磁波とは正に、実MP事象であると考えられるのである。この問題はここで留めてお く。
 さて、この視点から、氣の問題を考えたい。これまで、氣を差異共振事象と捉えてきた。そうすると、虚MPの事象となる。しかし、それで本当に正しいのか。
 思うに、おそらく、それでいいのである。(上記、保留にしておいたが、人間の精神、認識、意識は、凸iの極限点【アーリマン】と凹iの極限点【ルシファー】の極性に関係している。これは、シュタイナー霊学のPS理論的解明である。)
 だから、氣は精神子であるということである。そして、それが、宇宙・自然的身体bodyをVector Modeとして形成しているのである。
 以上の考察から量子力学、ないし、素粒子論を考えると、それは、虚MPと実MPの混同があることは明らかである。
 問題は原子は実MP事象であるが、いわゆる、量子は空孔の光、⇒の光の事象であり、この点においても混同があると言えよう。
 また、帰結的に、量子論は虚MPと空孔MPと実MPの三者を混同していると考えられる。
 思うに、この三者を人間認識図に当てはめると、虚MPは第三象限、空孔MPは第二象限、実MPは第一象限に帰属するのではないだろうか。(凸、物質はあえて言えば、第四象限に帰属していると言えよう。)
 こう見ると、Kaisetsu氏が芸術を第二象限に定置していることが明瞭になる。それは、精神と物質の中間領域なのである。
 しかしながら、芸術、深淵な芸術は、精神子を表現しているのであり、その点では、第三象限を志向していることになるのである。その意味では、芸術はmedia pointから凹への線分領域に属すると言えるかもしれない。
 後でさらに検討したい。

参考:人間認識図

人間認識図



PS理論とシュタイナー霊学:量子力学と精神子力学:超量子力学としてのPS理論

テーマ:manichaeism: 哲学

これについては、以前比較論を行った。そして、今でもそれはほぼ有効だと思う。
 ただし、直観的になにか重要な点で異なると感じるので、それを簡単に記したい。
 端的に言えば、後者は直観学であり、近代科学を批判していることである。言い換えると、シュタイナーにとって科学とは、近代科学=物質科学であり、量子力学を知らなかったので、量子論と直観がPS理論におけるように相関することを知らなかったと言えよう。
 シュタイナー霊学にとり、修行は基本的実践項目であるが、PS理論は修行を説かないのである。
 だから、後者はよりグノーシス(霊知)的と言えよう。もっとも、修行に私見では意味を認めないわけではない。
 ところで、今の時点で問題に思える点を述べたい。それは、精神と「量子」の問題である。
 私は精神振動と「量子」とを同一的に先には捉えた。つまり、高振動が精神的で、低振動が物質的と捉えた。
 しかし、これでは単に量的ではないかという直観があるので、問題に思うのである。
 もっとも、私は精神振動は倍音的ではないかとも感じているのである。例えば、太陽光は、物質光にはない倍音的振動をもっているのではないか思ってみるのである。
 しかし、それでもやはり、量的ではないだろうかという疑問がある。
 今、思い浮かべたのは、以前述べた区別である。即ち、いわゆる、量子とは、media pointの実軸で捉えられた「精神子」であり、「精神子」が虚軸に存するものであるということである。だから、太陽の光とは本来は「精神子」であり、そ れが、現象界においては、 実軸的「精神子」になっているというように思われる。
 そして、「精神子」とは本来、第三象限に属するものであり、差異共振状態である。
 どうもこの説明の方が高振動と低振動の区別よりいいと思われる。
 つまり、量子力学とは、根本的には、精神子力学であるが、現段階では、精神子の実軸的観測を理論化しているということになるのである。
 そして、だから、ニュートリノが超光速ということになるのである。
 しかし、精神子=「光(超越光=超光)」は物質的には無限速(「観念的同時」)であると考えられる。
 ということで、以前の考えにもどったことになる。だから、いわゆる、量子とは精神子をmedia pointの実軸、MP2で観測したものということである。量子論は半精神半物質科学であるということである。
 だから、PS理論こそ、トランス量子論、精神子力学と考えられるのである。それは、また、トランス霊学とも言えそうである。
 そして、鈴木大拙の即非の論理は精神子の論理であるし、D. H. ロレンスの文学・哲学は精神子の文学・哲学であるし、モーツァルトの音楽は精神子の音楽であると言える。
 ならば、PS理論は以前述べたように超量子力学である。

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