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2012年03月29日 (14:23)

母権と父権における連続的自我の様態:同一性による差異共振支配の克服のための聖霊主義へ向けて

テーマ:manichaeism: 哲学

母権的自我における連続的自我と父権的自我におけるそれとの区別が不分明になっているようなので、検討したい。
 母権的自我とは、原始差異共振と連続的自我の極性的二重性をもつ。
 それに対して、父権的自我は、原始差異共振を否定して、連続的自我中心となっている。ここには、分裂、亀裂がある。
 問題は連続的自我における否定される他者凹iの様態である。
 母権的自我においては、連続的自我において否定される他者凹iは、原始差異共振があるために、言わば、完全には否定されず、肯定的な側面があると考えられる。
 それに対して、父権的自我においては、連続的自我において否定される他者凹iは完全に否定されるのであり、そのために、他者凹iは否定的感情、反感、反動的衝動等になっていると考えられる。
 ヤハウェについての分析で、母権的一神教と考えたが、結局、それを翻した形になり、齟齬の状態に留まっている。
 ヤハウェはやはり、父権的自我の究極性のようなものと見るべきであろう。
 つまり、ヤハウェとは超越的な、絶対的な純粋自我であり、超越的な、絶対的な純粋他者凹iを否定すると考えられるのである。
 故に、後者の否定が前者に付随して、「我は嫉妬深い神なり」という様態になると考えられる。
 とは言え、問題は、その超越性が何処から生まれているかである。
 凸iだけなら、純粋自我であり、そこには超越的絶対性はないだろう。
 先に、凸(+1)⇒凸i*凹iを思考実験的に提起した。
 凸(+1)が真の光であり、「神」であるとすると、これが、超越的絶対性の根源であると考えられる。
 だから、ヤハウェの父権主義は凸(+1)、真の光、「神」から発生していると考えられる。
 ただし、凸iに極大化したものである。そう、ここで陰陽力学の役立つ。つまり、凸i*凹iは陰陽として、変動しているのであり、母権主義のときは、凹iが主で、凸iが従であり、凹iが極大化したときが、完全母権主義と考えられ、また、父権主義はその逆である。
 ということで、ヤハウェは凸iの極大化の様態と考えられるのである。【そうすると、陰陽力学の力の根源は凸(+1)となる。先にも簡単に指摘したが、おそらく、凸(+1)を「父」と考えることができるだろう。】
 以上の視点から現代社会、現代世界の問題が解明できよう。
 日本民族であるが、やはり、これまで既述したように、基本的には二つの民族、母権的民族と父権的民族が併存しているのであり、おそらく、明治維新以前には、両者のある種の、つまり、古代ギリシア的な結合、融合があったが、明治維新後、父権的民族が支配的になり、それが、今日現代まで続いていると考えられる。
 しかし、この父権的民族は狡猾であり、母権的民族の裏に言わば、隠れて、支配しているように思われるのである。例えば、官僚はそのようなものに思われる。民主主義の隠れ蓑に隠れて、日本国民を支配、操縦しているように推測されるのである。
 天皇制は母権的民族文化と見るべきである。それが明治維新で父権的民族に利用されたと見るべきである。(そして、この隠れた狡猾な父権的民族は某国の権力と繋がっていると推測される。)
 先に指摘したように、大半である母権的民族の日本人は新父権化して、自我と個において覚醒すべきである。(このためには、是非、外国語、とりわけ、欧米語を学ぶべきである。)
 次に、中国人であるが、既述したように、やはり、母権的民族と父権的民族の並立があるが、両者が古代ギリシアや明治以前の日本においてあったような結合が稀であったのではないだろうか。もっとも、老子や易、等はそのような結合を感じさせるのであるが。
 思うに、母権的民族のベースに強力な父権的民族(遊牧民族)が侵入して生まれたのが、中国(支那)のように思えるのである。だから、父権的民族が母権的民族を暴力的に支配する形をとったように思えるのである。(私見では、父権的民族としての中国人は、父権的民族のユダヤ人や欧米人と類似するのである。)
 東アジア、ひいてはアジアの問題の核心にはこの力学あると推察される。
 最後に簡単に資本主義の問題に触れると、やはり、ヤハウェ的一神教が根源に存すると考えられる。
 それは、上述した超越的絶対的純粋自我の同一性形式が根源のように思われるのである。
 しかしながら、以前何度も述べたように、資本主義は差異共振主義を内在しているのである。つまり、資本主義とは、内在する固有の差異共振主義(母権主義)と超越的絶対的純粋自我的同一性形式の絶対的矛盾の結合であると考えられるのである。宗教で言えば、ユダヤ教とキリスト教の結合に相応しよう。
 しかしながら、この結合(おそらく、複合ないしは混合と言う方が的確であるかもしれない)において、主であるのは、後者であり、前者は従である。つまり、いわば、「父」が「子」を支配しているのである。
 言い換えると、同一性資本主義と差異共振資本主義の複合が今日の資本主義(同一性/差異共振複合資本主義とでも呼べよう)であるが、前者は後者を支配して、世界的暴力(戦争等)を引き起こしていると考えられる。
 だから、逆転する必要があるのである。それは、言うならば、聖霊資本主義であろう。PS理論的には、media point capitalismである。
 純粋自我と純粋他者を差異共振させる資本主義である。それを実現するための方法等については、後で検討したい。(もっともそれについては多くのことが既述済みであるが。)
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