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2012年12月21日 (15:24)

アントロポゾフィーと無双陰陽原理:自我=陽=アーリマンと他者=陰=ルシファーと陰陽均衡=キリスト

昨日、思いついたが、余裕がなかったので、書けなかった。今も、余裕がほとんどないので、簡単に触れるだけである。
 近代(モダン)とは結局、自我=陽=アーリマンが中心化した時代と言えよう。
 これと近代科学、科学的技術は結びついている。唯物論的科学・技術ということである。
 言い換えると、近代とは、自我中心主義、利己主義ということである。
 これは、当然、万人の万人に対する戦争という状態を生むのである。これは、永遠の戦争ということであり、結局は、破滅路線である。
 ところで、近代文化において、自我=陽=アーリマン=近代合理主義・唯物科学・技術=金融資本主義に対して、言うならば、他者=陰=ルシファーの文化があった。
 それは、簡単に言えば、精神文化と言っていい。しかしながら、近代合理主義が主であり、精神文化は従である。つまり、陽の陰に対する優位があるのである。
 今日、他者=陰=ルシファーの文化がほぼ忘却されて、自我=陽=アーリマンの文化が中心化してしまっているのである。
 そう、ポスト・モダンという近代の乗り越えの哲学的運動があったが、結局、十分に理解されることなく、流行で終わってしまった。
 因みに、不連続的差異論(これは、「海舌」氏と私の合作した独創的理論である。不連続的差異論とPS哲科学 ( 3 ) http://ameblo.jp/neomanichaeism/theme-10050337795.html)は、ポスト・モダンの欠点を超克した理論であり、ここから、真の近代の乗り越えが始まると言っても過言ではないと考えている。無双陰陽原理は、この上に立って、陰陽論を展開しているのである。そして、ポスト・ポスト・モダンとして、トランス・モダンを唱えているのである。
 トランス・モダンとは、結局、自我=陽=アーリマン中心のモダンの乗り越えのために、他者=陰=ルシファーの絶対的差異性、絶対的独立性を説くものである。
 つまり、後者は前者とはまったく異質なものであり、前者は後者を取りこめないのである。そう、認識不可能と言ってもいい。(追記:頭は知的認識性、肚は直観的存在性と言えるのではないだろうか。西洋文明、近代は前者中心で後者を忘却しているのである。ハイデガーの存在論であるが、私の説く肚=直観的存在性とは関係がないように思える。しかし、かつて、『存在と時間』に関して考察したとき、ハイデガーの存在がMPに近いものをもっていることを述べたことがある。そうすると、ハイデガーの存在論は、肚=直観的存在性に通じるものがあるのかもしれない。これは検討課題である。参考:ハイデガー現象学 (8) http://sophio.blog19.fc2.com/blog-category-81.html )
 そう、明快にするために、身体局所を付与していいだろう。即ち、自我=頭=陽=アーリマンと他者=肚=陰=ルシファーである。
 結局、頭に対して、肚の独立性を確認する必要があるのである。これによって、自我=近代帝国は崩壊するのである。そう、金融資本帝国も崩壊するのである。(現代は、近代の反動の時代であり、悪が反動的に跋扈しているのである。黙示録的である。)
 とまれ、肚=陰=他者の独立性を確認することが絶対的前提であり、これと頭=陽=自我との新たな関係の主観的並びに社会的構築がトランス・モダン進化ということになる。
 どうも、肚=陰=他者が頭=陽=自我よりも主になるべきように感じている。もっとも、物質的生活のためには、後者が主となる必要はある。
 だから、やはり、シュタイナーが説くように、両者の均衡(キリスト)が必要になるのだろう。
 しかし、シュタイナーの説くキリストであるが、それは、正しくは、聖霊ではないだろうか。本来のイエス・キリストは、肚=陰=他者の意義を説いたのではないだろうか。つまり、本当のキリスト教とは、東洋的知恵であるということである。
 因み、肚=陰=他者と頭=陽=自我との均衡調和としての聖霊とは、正に、陰陽共振であり、太極的である。
 今日は、正に、西洋文明の黄昏の時代であり、頭=陽=自我=ユダヤ・キリスト教の時代の黄昏であるが、それらが、反動化して、凶暴になっていると考えられる。
 簡単に言えば、世界金融資本と世界民衆との闘争の時代になっているのである。これが、経済的黙示録である。
 ここで想起すべきは、シュタイナーの経済学講座である。彼は、資本主義は利他主義的であると述べているのである。これは、私が言う差異共振主義である。そして、出口が金融資本主義的なのである。
 つまり、資本主義は、内部に肚=陰=他者の文化を形成しているのである。
 だから、トランス・モダン資本主義が可能であり、それは、民衆が資本主義の主体になることである。それは、差異共振資本主義、共同体資本主義である。
 今日、これを目指すべきなのである。
 とまれ、今日、頭=陽=自我=アーリマン=金融資本が反動的に支配している。これを打破する必要があるのである。
 これは、実は光の現象界の中心化を意味しよう。光が悪になっているのである。
 そして、陰の闇に善的未来があるのである。
 そう、最後にこの光と闇の不思議な関係について述べよう。実はこれがいちばん述べたかったことである。
 視覚は当然、光の世界に関係する。それは、主として、外界である。それは、感覚・物質的世界である。
 そして、人間はそれを言わば、頼りに生きているのである。視覚の優位性である。
 問題は視覚美と頭=陽=自我=アーリマン=金融資本との関係である。
 とまれ、視覚美とは何か。
 自然は基本的には美しい。そして、女性も一般的には美しい。
 女性の場合は官能性が入るだろう。
 とまれ、両者、視覚美である。
 問題は、美とは何かである。私の主観では、今日、視覚美と頭=陽=自我=アーリマンは結びついているが、果たして、それは、本質的なのか。
 直観で言えば、二種類の美がある。いわゆる、感覚美と精神美である。
 思うに、本当の視覚美とは、両者の結合したものだろう。
 自然美はそのようなものだと思うし、女性美もそのようなものだろう。
 しかしながら、今日は、頭=陽=自我=アーリマン=金融資本が支配しているので、美は本来的ではなく、感覚美に傾斜し、精神美が希薄になっていると言えよう。
 つまり、美を利己主義が支配しているために、感覚美が支配し、精神美は忘却されていると言えよう。
 そう、感覚の眼で見るのか、精神の眼(心眼)で見るのかとではまったく異なるのである。
 それによって、物が異なって見えるのである。
 そう、精神の美とは、魂の美と言ってもいい。
そして、それは、音楽と強く結びついていると言えよう。
 ニーチェは、音楽からの美術の誕生を説いたが、それは、陰から陽が生まれるという発想で、東洋的と言えよう。
 今日は、「美術」が音楽を抑圧しているのである。感覚が精神・魂を抑圧しているのである。
 そう、ここには、意識のヒエラルキーがあるのである。近代主義のヒエラルキーがあり、頭=陽=自我=アーリマン=金融資本が肚=陰=他者=ルシファー=協働資本を支配抑圧しているのである。
 前者が支配・権力層であり、後者が被支配・民衆層である。
 前者は攻撃的であり、後者はその被害を受けるのである。
 そう、述べるのを忘れていたが、前者は父権主義であり、後者は母権主義である。だから、付加すると、

頭=陽=自我=アーリマン=金融資本=父権主義=近代

           VS

肚=陰=他者=ルシファー=協働資本=母権主義=トランス・モダン

という図式ができる。
 無双陰陽原理から言えば、前者は後者を否定するが、後者は前者を包摂して、新しい世界を創造することができるのである。それが、トランス・モダン進化、新東洋・新母権的進化である。


追記:同一性、差異、知性(悟性)、魂性、理性、MP(メディア・ポイント:陰陽均衡点、そして、太極点)、そして、一神教、多神教も図式に入れてみると、

頭=陽=自我=アーリマン=同一性=知性(悟性)=金融資本=父権主義=近代=唯物論=一神教(唯一神、男・父神)
   
        VS・MP(理性・聖霊)

肚=陰=他者=ルシファー=差異=魂性=協働資本=母権主義=トランス・モダン=気(霊)論=多神教(女・母神)
 

追記2:シュタイナーはキリストは陰ではないかと上述したが、そうすると、キリストとルシファー(悪魔の一人)は一致してしまう。
 だから、上述の論は問題がある。検討課題にしておく。


追記3:やはり、キリストは、シュタイナーの説くように、両者の均衡と見る方が妥当だと考えられる。なぜなら、イエスは、「汝自身を愛すごとく、隣人を愛せよ」と言っているのであり、そこには、自我が含まれているからである。
 イエス・キリストの教えを陰とするのは、間違った解釈になるだろう。D. H. ロレンスはこの点で間違っていたと考えられる。陰はあくまで、ルシファーの教えである。神秘主義である。

アントロポゾフィー - Wikipedia
ja.wikipedia.org/wiki/アントロポゾフィー - キャッシュ - 類似ページ
アントロポゾフィー(独: Anthroposophie)とは、オーストリア帝国出身の神秘思想家
ルドルフ・シュタイナーが自身の思想を指して使った言葉である。またこれは、一般に人
智学と訳されている言葉の音訳である。「アントロポゾフィー」と「人智学」の違いに関して
は ...

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