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2013年04月03日 (21:42)

太一から陰陽分極へ、陰陽分極から再・新太一へ:太一と全一

テーマ:無双陰陽原理/トランス・サイエンス

今日も森の参道口で思索した。
 始めに、太一ありき。(太一は西洋哲学の全一と共通するかもしれない。)
 太一(これは、点=1である)から陰陽分極化(線=2)が起こる。
 これは、xy直交座標を考えると、原点(=太一)から、y軸の方向に陰と陽が形成されるとみればわかりやすいだろう。

         陽
         ↑
         |
         |
         |
      原点 ・(太一)
         |
         |
         |
         ↓
         陰


(・が原点=太一である。)

陰陽分極化とは、言わば、対極への離反作用と考えられるのではないだろうか。これを、相反(そうはん)作用と呼べるだろう。これが、太一⇒陰陽分極の力学である。太一をⅠとすれば、陰陽分極化はⅡである。即ち、

Ⅰ:太一
Ⅱ:陰陽分極化

さて、Ⅱの相反作用に対して、太一は吸引作用、牽引作用を次に引き起こすと考えられる。これは、作用と反作用の力学に近いだろう。あるいは、離と合、膨張と収縮の力学である。この吸引・牽引作用を合結作用とも呼ぼう。
 即ち、太一⇒陰陽分極⇒再太一の運動が生じる。

Ⅰ:太一
Ⅱ:陰陽分極:相反作用
Ⅲ:陰陽再合一:合結作用・・・(生命物質現象化)

と序数化できる。(そう、一見、ヘーゲル弁証法に似ているが、似て非なるものである。違いの説明は今はしない。)
 思うに、Ⅲの再合一作用において、陰陽共振螺旋が発生するのではないだろうか。つまり、生命物質現象化が起こると考えられるということである。
 アリストテレス哲学で言えば、Ⅱがデュナミス、Ⅲがエネルゲイアとなるのではないだろうか。そして、Ⅲの帰結がエンテレケイアということではないだろうか。
 Ⅲを四元数(しげんすう)で考えると、実数1がエネルゲイアで、三つの虚数i, j, kによる三次元がエンテレケイアではないだろうか。
 とまれ、Ⅲの陰陽再合一であるが、それは、原理は太一力学であるから、根源の太一への回帰を意味するのである。この再合一の牽引力がプラトンのエロースに当たると考えられる。
 しかしながら、陰陽次元にとっては、この牽引力は太一次元から発生するものなので、超越的な力ではないだろうか。そう、陰陽内在だけでは説明できないだろう。
 つまり、原点である太一であるが、それは、陰陽次元に作用するものの、陰陽界だけでは説明できない存在と考えられる。
 つまり、原点(太一)であるが、それは、言わば、超越点ではないだろうか。この超越点であるが、原点をどう理解するのかであるが、いわば、不連続点(特異点)と見るのがいいのではないだろうか。それは、原点でゼロであり、陰陽の軸(y軸)に含まれると同時に、含まれない点と考えられる。陰陽に内在すると同時に、超越している点、つまり、内在超越点(不連続的超越点)である。
 言い換えると、陰陽次元世界においては、再合一の力は感じられるが、その根源は説明できないということになる。だから、再合一の力(衝動)を生殖本能とかで説明することになるだろう。
 ここで、齟齬が生じている。再合一を螺旋的生命物質現象と考えたが、それを生殖作用とも見ているからである。
 今の段階では、再合一作用であるが、一つは、螺旋的生命物質現象、一つは生殖的作用と見ておくのに留めたい。(詳しい検討は、後日にしたい。思うに、太一の振動、リズムによって、螺旋的生命物質現象や生殖衝動現象は説明できるかもしれない。)
 とまれ、簡単に整理すると、内在超越点である太一から、陰陽分極化が起こる。それは、次元的下降である。即ち、太一次元から陰陽次元へと降りているのである。
 次に、再合一化であるが、螺旋的生命物質現象化の場合は、さらに次元が下降しているように思われる。
 そして、生殖作用であるが、それは、再合一化内部におけるさらなる再合一化と考えられよう。
 ここらへんの問題は複雑なので、今の段階では説明できないが、作業仮説として、第一の再合一化とは、同時に、陰陽分極を内在しているのではないだろうか。
 そう作業仮説すると、第一の再合一化内部の陰陽分極性であるが、それは、当然、それ自体の再合一作用をもつだろう。それが、生殖的衝動ではないだろうか。言うならば、再合一の再合一である。
 とまれ、Ⅰ太一⇒Ⅱ陰陽分極⇒Ⅲ陰陽合一⇒Ⅳ陰陽再合一と移行するのであるが、ⅠからⅢまでは次元下降と見られるが、Ⅳはどうだろうか。Ⅲからの次元下降なのだろうか。
 確かに、太一の原運動が超越的力学(原理)としてⅠからⅣまで作用していると言えよう。
 しかし、直観では、ⅢからⅣへの移行は、下降というより、上昇である。ここらへんの事象は複雑で、説明しにくいのである。つまり、Ⅲは次元下降であると同時に、次元上昇的である。そして、Ⅳはさらに次元上昇的と考えられる。
 だから、正に、陰陽現象は次元的にも螺旋的であるということになろう。
 思うに、Ⅲの延長として、Ⅳを考えれば、問題はなくなろう。ならば、

 Ⅰ太一⇒Ⅱ陰陽分極⇒Ⅲ陰陽再合一⇒Ⅳ太一

となる。しかしながら、先にテトラクテュスで触れたように、ⅡとⅢの間に中間要素を入れるべきである。つまり、気的身体理性、プラトンのエロースである。すると、

Ⅰ太一⇒Ⅱ陰陽分極⇒Ⅲ和合原理⇒Ⅳ陰陽再合一⇒Ⅴ太一

となる。
 問題は形而上学と形而下学である。そう、太一陰陽原理は形而上学であり、思うに、ⅠからⅤまで、形而上学である。超越原理である。
 思うに、この形而上学、超越原理による現象論理がここにはないのである。
 後で、それについて叙述したい。
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