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2013年05月07日 (05:04)

仮説:森の緑の葉、樹木の像には、陰陽共振(気界)が背後・背景(内在超越的次元)に存する

テーマ:不連続的陰陽論:不連続的差異共振理論

葉の形、葉の緑の色、樹木の形状等を視覚したとき、主体の内面に陰陽共振が生起して、内的気が発生すると思われるのである。
全体学ホロロジー:主体学(主体同一性学と主体差異学):科学(サイエンス)は全体学の一部に過ぎない
http://ameblo.jp/neomanichaeism/entry-11525440009.html

先に以上のように述べたが、果たしてそうなのかかどうか検討したい。
 この問題はそれ以前に言及した事柄である。音楽の場合、聴いたとき、陰陽共振自体を感覚するので、音楽の気を感じるというようなことを言った。
 視覚の場合が難しいのである。しかし、音楽の場合と基本的には同じではないだろうか。音楽の場合、曲を聴いたとき、主体内部において、陰陽共振が起る(もっともいい音楽の場合であるが)。主体内部の陰と陽とが共振して、気を発生させるのである。
 視覚の場合、例えば、森の場合、映像は陽として捉えられるが、同時に、陰において、一体的に捉えられる。
 つまり、(美的な)映像においても、陰陽共振が背後・背景に作用しているのであり、それが直観・直覚されるということではないのか。
 音楽の場合は、音の陰陽共振であり、視覚の場合は光の陰陽共振ということになる。
 そうならば、音は陰音と陽音があり、光は陰光と陽光がある。そして、一般には、陰音や陰光は不可聴、不可視ということではないだろうか。
 言い換えると、生命ないし美的現象明在界は、背後・背景に、つまり、内在超越次元的に、陰陽共振暗在界をもつということになろう。
 今はここで留める。

追記:気であるが、気命と呼ぶ方いいのでは。生命も気命ということになる。気界が気命界になる。

追記2:感覚的次元とは結局、陰陽共振次元の同一性・明在的現象であり、例えば、自然の感覚的受容とは、自然の陰陽共振を暗在する同一性現象の受容ではないのか。
 つまり、自然の感覚受容とは、自然の本質である陰陽共振(気)の暗在(内在超越的本体)を受容していることではないのか。自然とは気の本体を暗在とした現象であり、人間の陰陽共振を本性とする感覚(視覚)は、自然を対象としたとき、その自然対象の暗在である陰陽共振=気を直観・直覚・受容しているということではないか。
 わかりやすく言えば、自然は陰陽共振=気が本体であり、それが、可視の現象と発現しているのであるが、同時に、暗在として、自然は存在しているのであり、人間の感覚(視覚)は、その陰陽共振=気的感受性によって、自然の本質である陰陽共振=気を感受するということではないか。プラトン哲学的に言えば、現象のイデア=エイドスを触視(ドゥルーズの用語)・感触するということである。(もっとも、直観・直覚されることもあるが、それは、希有な体験ではないだろうか。)
 今はここで留める。
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