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2013年05月19日 (22:42)

不連続的陰陽ヴィデア論:陰陽ヴィデアリズム:太一⇒陰陽分極(陰陽円)⇒陰陽共振⇒生命螺旋宇宙

不連続的陰陽ヴィデア論:陰陽ヴィデアリズム:太一⇒陰陽分極(陰陽円)⇒陰陽共振⇒生命螺旋宇宙

テーマ:不連続的陰陽論:不連続的差異共振理論

今日は、森で、6時間半ほど過ごした。
 読書したり、森掃除したり、思索したりした。
森のグリーン・コスモスという感じである。森の緑の宇宙である。
 さて、いろいろ思索したが、疲れているので、簡単に記すに留める。
 
1)イデアであるが、それは、想像的映像でもあるので、イデア+ヴィデオ=ヴィデアと呼ぶのがいいだろう。プラトンはエイドス(映像的類型)とも呼んでいた。
 だから、不連続的陰陽イデア論は、不連続的陰陽ヴィデア論となる。イデア論がヴィデア論である。

2)太一(太極)は陰と通じている。陰に太一が存するように感じられる。この陰とは別に陽が分極化するということではないのか。
 陽が陰へと回帰するときが、現象化ではないだろうか。
 まだ、十分洞察できていない。
 太一が陰に内在する。陰を原点とすると、原点の周囲に陽が形成されるのだろうか。点というより、円を考えるべきか。
 陰が中心で、円が生じる。その円周が陽ということか。次のような生成図式を考えてみる。

 0(ゼロ):太一⇒①陰陽円(陰が中心点で、陽が円周?)⇒②陰陽共振⇒③生命螺旋現象

①が陰陽分極様態である。陰陽円が形成されている。その中心は陰であり、円周が陽ということである。陰陽分極であり、離反の力がはたらいていると考えられる。
 それから、牽引の力がはたらいて、陰陽が共振するようになる。そして、このとき、次元転換が生じると考えるのである。
 空間的に言えば、陰陽円の平面に直交する軸が生じるのである。それが、時間ー物質ー光の軸(一次元)ではないだろうか。
 そして、空間三次元であるが、それは、四元(しげん)数の三つの虚数i、j、kの軸によって形成されるということではないだろうか。この点は検討課題である。

3)哲学と数学との関係について:
 私は数学はずぶの素人であるから、数学主導で理論化することは、問題外であるが、主体力学から理論を導くのであるから、数学主導ではなく、哲学主導、な いし、哲学的科学主導で考察するのが本来だと思われる。数学主導にすると、哲学的考察が後回しにされて、数学の形式に引きずられてしまうと考えられる。先 ず、哲学的考察(ヴィデア的考察)を行い、それに数学を適用するのが的確だと思われるのである。

今は以上で留める。





主体全体学へ向けて:主体主客体従の全体哲学

2013.05.17 Friday | category:全体学:主体全体学:ホロロジー

テーマ:全体学(ホロロジー): holology
昨日から述べようと思っているが、仕事で忙しく、残念ながら書けない。
 今日の認識の問題は、勿論、存在とも関係するが、結局、主体が知性中心となり、身体存在性、身体感性、身体気性等がまったく欠落していることだと思う。
 知性中心と言ったが、正確には、自我中心である。あるいは、利己主義である。それは、頭部中心ということであり、身体の胸や肚の感性的意識が欠落しているということである。
 結局、主体における頭部が支配的で、胸部の意識、腹部の意識が欠落しているということである。
 主体世界を頭脳領域で支配させていて、胸部領域、腹部領域、その他身体領域を無視しているのである。
 頭脳中心とは主体における客体志向が支配的となるということであり、主体の深層基底部が等閑にされる、排除されるということである。
 主体世界が頭脳中心に傾斜歪曲化されていて、客体世界もその偏向によって形成されているということである。
 主体世界の質的変容が必要である。主体的錬金術である。後で、詳述したい。


参考:
全体学ホロロジー:主体学(主体同一性学と主体差異学):科学(サイエンス)は全体学の一部に過ぎない

テーマ:全体学(ホロロジー): holology

今日は比較的穏やかな暖かな、初夏のような日であり、森で4時間半ほど過ごした。
 最近見つけた、森の側面にある、向かいが畑の空き地で折畳みチェアーを置いて、最初2時間半読書し、その後、森気浴散策をした。
 森の緑のエキスに浸るような感じの読書である。浄福を感じる時であった。今は蚊が出ない、森で過ごす絶好の時である。
 とまれ、最初、最近考えていたことの一つの解答が出たので、それを記そう。
 即ち、端的に、「何故、森を見た瞬間に和らいだ気持ちになるのか。それは、緑の葉や樹木に気があるからなのか。それとも、それらを介して、気を感じるからなのか。」という問題である。
 結局、自然物には、内在超越次元があり、そこには、陰陽渦円があり、それが気を発出しているのであり、そのために、自然物に気を感じるのである。端的に、客体的に気が発せられているということである。
 しかし、思うに、それだけではないだろうか。葉の形、葉の緑の色、樹木の形状等を視覚したとき、主体の内面に陰陽共振が生起して、内的気が発生すると思われるのである。(この点は要検討。)
 つまり、森に面したとき、客体的、主体的に、気を感じるということになるのである。
 さて、今日はさらに、主体学について考え、更に、統一学について考えた。
 科学(サイエンス)とは、物質学である。だから、それは、自然科学には当てはまるとしても、社会科学、人文科学とすると、問題が生じる。(確かに、経済学は物質学として、捉えられる面が多いが、それだけではない。)
 科学は物質学であるから、統一学の用語として、科学を用いることはできない。また、哲学という用語であるが、本来は全体学であるが、今や、そのような意味合いがほとんど感じられないので、哲学という用語も使用できない。
 そこで、全体学という用語を使うことにする。これは、主体学と客体学に分かれるが、客体学とは、主体学の一部と見るのである。主体学において、客体学が成立するのである。これは、カント哲学的である。図式化すると、

                          
          /主体同一性学ー客体学ー客体物質学(科学)
全体学ー主体学               
          \主体差異学ー主体現象学ー感覚、知情意


今はざっと、暫定的、作業仮説的に記すのだが、今日の科学(サイエンス)は、全体学の主体学の主体同一性学(主体物質学)に属するのであり、全体学の一部に過ぎない。
 後、主体差異学であるが、これは、ほぼ哲学である。ただし、主体差異とは、陰陽的理念(イデア)、陰陽的観念・概念を意味するのである。だから、ここでは、陰陽論とプラトン哲学の結合が見られるのである。もっとも、私の不連続的陰陽論を適用しているのであるが。
 とまれ、以上から、今日、科学(サイエンス)と言われるものが、全体学の一部に過ぎないことがよくわかるだろう。
 だから、科学を支配的にしている今日の学理、学知のあり方は当然、間違っているのである。錯誤・倒錯的なのである。
 なお、生命を以上の図式に入れる必要がある。それは、主体同一性学と主体差異学の中間領域になると思われる。だから、主体生命学を中間に入れるべきかもしれない。すると、以下のような図式になる。
 

              
          /主体同一性学ー客体学ー客体物質学(科学)
        /
全体学ー主体学ー主体生命学  
        \           
          \主体差異学ー主体現象学ー感覚、知情意



そう、全体学は、ホロロジーholologyである。
 今は、簡単な指摘に留める。

http://ameblo.jp/neomanichaeism/entry-11525440009.html






体調が悪かったが、断酒したらとても元気になり、また一日二食と結びつき、減量した

2013.05.15 Wednesday | category:日記

テーマ:健康&治癒:森気浴:医食同源:一日二食

もう眠いので、寝るが、繰り返しになるが、一言言うと、昨年は体調がたいへん悪く、不定愁訴ではないかといぶかったりしたり、あるいは、被曝が原因ではないかと思ったりした。
 結局、12月、酒が飲めなくなり、断酒したが、その後、びっくりするほど元気になった。だるく元気のでなかった状態が嘘のように元気になった。
 そして、豆乳ヨーグルトも、朝晩、食するようにしているし、そう、なんと言っても、森での散策することをできるだけ日課にして、結局、鏡に映すと、驚くほど、細くなった。しかし、まだ、皮膚の側が、厚いので、さらに痩せようと思う。
 意志が弱く、身体に支配されていると強く感じる。私の体質は、依存症になる方で、酒は危険物なのである。
 でも、去年の12月から今日まで、パーティーで3回飲んだだけである。
 とまれ、主観では、酒は私にとってよくない。肝臓を傷め、元気がなくなる。太る。酔う時間が長くなる。脳神経が麻痺してくる感じ。また、お金がかかる。
 そう、ほぼベジタリアンである。もっとも消極的それであるが。

追記:明らかに元気が出た証拠は、自転車で、ある上りの坂道を苦しむことなく上れるようになったことである。
 以前は、息を切らしたり、あるいは、一気に上れず、自転車から降りたりしたものである。
 身体が軽くなった感じなのである。別人のようである。

追記2:大事なこと、身体哲学的なポイントを言うのを忘れていた。
 それは、快の変換、質的変換・変容・転換のことである。酒を飲んで、酔って、快を得る。しかし、これは、習慣、習癖、依存症になると、当然、身心を悪くするのである。常習性があるので、悪癖となるのである。
 そこで、酔いの快を自然健康的な快へと転換すべきなのである。
 私は体調の悪さ、不快さから、以上のように変換したのであるが、そこにあるのは、新しい自然に即した快である。
 これは身心の美も伴い、すぐれたものである。
 思うに、プラトンの真善美イデアであるが、それに近づくと思われるのである。そう、真善美のイデアであるが、そこには、快が欠けているようである。もっとも、美の中に入れることはできなくもないが。とまれ、快美、美快というものがある。
 これから、酒の酔いは逸脱すると言えよう。快ではあるが、不美的である。
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