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2013年07月23日 (12:14)

内在性と内越(内在超越)性:ドゥルーズ&ガタリ哲学の内在哲学と不連続的差異論/太陰イデア論

テーマ:太陰イデア論:太陰プラトニズム

太陰は太差であり、太一ではない:太コスモスと現コスモス:太陰と陽と物質の関係
http://ameblo.jp/neomanichaeism/entry-11578373941.html

直近で以上のように述べたが、これは、考えると、哲学的にきわめて重要な意義をもっていると考えられる。
 不連続的差異論の画期的意義に関係することでもある。
 つまり、不連続的差異論は基本的にはドゥルーズ哲学の根本的批判である。後者は連続性ないし連続的同一性の概念をベースにしていることを批判したのである。連続性ではなく、不連続な差異をベースにすることを説いたのが、不連続的差異論である。
 そして、今、太陰が太差であると説いて、ドゥルーズ&ガタリの内在哲学を想起したのである。太陰イデア論は太陰の内在的超越性(内越性)を説くが、内在性そのものは説かないのである。
 確かに、内超性は内在性に入るが、超越性がないと、連続性が入ってしまうと考えられるのである。
 言い換えると、ドゥルーズ&ガタリの内在哲学は実は、内在連続的哲学であるということであり、それとは、太陰イデア論は異質なものであるということである。
 そう、太陰イデア論は内在超越的不連続的哲学、内超不連続哲学である。
 太陰イデア論になって、ポスト・ポスト・モダンが完成し、トランス・モダンとなったと言えよう。
 トランス・モダンとはポスト・オクシデントである。
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