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2013年10月10日 (21:32)

気の教養?:心身相互成形課程:ポスト・デカルト心身二元論:氣識理性=氣的身体理性の発見

人間というのは、難しい存在である。
 生活しないといけないし、また、健康維持に気を付けないといけないし、また、心を涵養・陶冶しないといけない。
 生活、身体、心の三位一体が必要なのである。
 しかし、近代主義は近代的自我主義(利己主義)であり、物質主義(唯物論)であり、また、資本主義経済が支配するために、この三位一体の構築はきわめて困難になっているのである。せいぜい、どれかに偏るであろう。
 また、統括的原理がないことが原因でそうなるとも言えるのである。
 私は、近代主義を哲学的に作ったデカルトの心身二元論に元凶があると考えている。心(思惟)と身体・物質(延長)の二元論である。(正確に言うと、デカルトは両者の結節点を松果体に求めたのだ。この問題は今はおいておく。デカルト『情念論』を解読する | Philosophy Guides - 哲学ガイドブログ http://www.philosophyguides.org/decoding-of-descartes-passions/
 しかし、今や、太陰氣学によって、いわば、内臓心(内臓魂)を介して、心と身体が繋がっていることは明らかであるし、今日の科学の発達からこれは了解されることである。
 問題は、何が両者を繋いでいるのかということである。
 これは、太陰氣学では、氣であると明快に答えるのである。
 あるいは、氣的意識である。そう、いわば、氣識である。
 氣識が心と身体を繋いでいるのである。私が氣的身体理性と呼んだものはこの氣識の理性のことである。
 さて、近代主義はこの氣識がないために、自我中心主義に偏り、自己において、社会において、問題が生じさせるのである。わかりやすく言えば、病態を内外に成形するのである。
 氣識理性とは陰陽調和理性である(知性と呼ばないのは、知性だけだと、頭脳に偏り、共感性や倫理が疎かになるからである)。
 氣識理性(氣的身体理性)は、プラトン的な真善美の核に存するものである。そして、それは、最近の知見から、植物的生命をベースにすることが了解されたのである(飯山一郎氏の不食主義はその極北である飯山一郎さん
http://1tamachan.blog31.fc2.com/blog-category-34.html)。
(思うに、プラトンとはなんという人かと思う。今日を予見していたのか? プラトン哲学は植物生命的哲学、そう、氣的哲学だと思う。これについて、いつか検討したい。)
 この氣識理性の展開によって、心身バランス、そして、社会的調和への成形がなされると考えられるのである。
 そう、デカルト心身二元論は否定・破壊・悪魔の原理だと考えられる。(シュタイナーで言えば、悪魔アーリマンの原理ということになろう。)
 とまれ、氣識理性を中核におくことで、近代主義は超克されるであろう。
 それは、植物的生命原理の世界の構築を意味するのである。やや言葉足らずであるが、今日は疲れているので、ここで留めたい。
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