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2013年10月25日 (14:29)

太玄霊気知行学の三層構造:太玄霊(メビウス)⇒氣(陰陽対極性)⇒生命物質体(現象):version2

太玄霊気知行学の三層構造:太玄霊(メビウス)⇒氣(陰陽対極性)⇒生命物質体(現象)

テーマ:太玄霊知行学:太玄霊的生命イデア知行学

仕事の段取り、順繰りがうまくいかず、いらいらしている。とまれ、本件について、ざっと書いておこう。

 
Ⅲ 生命物質体:現象界・物質界:外界
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Ⅱ 氣(陰⇔陽):氣界・エーテル体:心頭
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Ⅰ太玄霊(玄我・元我・原意識:神霊):肚


ⅠからⅢまでが原初からの現象までの発展図式である。
 父権主義以前は、氣は均衡が取れていたと考える。つまり、原初母権文明の心体である。
 私は陰は胸部に、陽は頭部に関係するように思う。脳神経的には、間脳がこのバランス局部である。
 しかし、父権が誕生して、この均衡が崩れるのである。即ち、陽へ傾斜するのである。この陽が当然、それまでの母権的陰陽均衡を破壊するのである。言い換えると、抑圧するのである。陽>陰のヒエラルキー、二項対立が生起するのである。
 極めつけが、ユダヤ教的一神教である。陽が極大化して、陰が殲滅させられたのである。極陽ないし超陽の事象(心象)である。この精神図式が西洋文明の基調である。
 デカルト心身二元論はこの帰結と考えられる。
 言い換えると、ユダヤ教的パラダイムは陰陽文化=母権文明の完全破壊を意味するのである。
 これは、自己と身体の切断を意味すると言っていいだろう。精神と身体のそれ。天と地の切断、知性・理性と大地・物質の切断である。
 そして、二千年以上飛んで、デカルト心身二元論哲学が誕生したのであり、近代主義は当然この枠組み・フレームにある。
 これによって、人体・心体の陰陽性は切断され、いわば、病的倒錯的な心的様態が形成されたのである。これは、陽的自己(自我・近代的自我)を肥大化させ、陰的身体感性(氣的感性)を抑圧するのである。
 そのために、後者が反動化して、前者を攻撃的にするのである。狂気化すると言ってもいいだろう。そう、その他、否定的なものを付け加えられる。
 これが近代合理主義のおぞましい実相である。
 そう、簡単に言えば、胸部の心(陰)と頭部の知(陽)が切断されたということである。
 以上は、図式のⅡに関するものである。陰陽分裂ということである。
 さて、問題はⅠが近代において、完全看過されたことである。これは、もっとも形而上学的領域である。(Ⅱの領域も、ある意味で形而上学であるが、原形的である。イデア・エイドス的である。そう、低次の形而上学性と言えよう。)
 それを高次の形而上学性と言えよう。簡単に言えば、神霊の領域、宗教の領域、至高の神秘の領域である。
 しかし、身体・人体的には肚と考えている。
 これは原我・原意識の領域でもある。
 問題はこのⅠからⅡ(氣)への転換の力学である。
 端的に言えば、ⅠとⅡの間は不連続的切断があると考えられる。あるいは、Ⅱの超越として、Ⅰが存するのであり、ⅡからⅠは認識できないと思われる。
 しかしながら、先に言及したように、陰とこの太玄(太元)は関係しているように思われるのである。文化論的には女性性、母権性である。
 直観では、太玄は「水」である。そして、氣ないし陽が「火」である。
 だから、「水」から「火」が生まれるのである。(これはお水取りの視点だろう。または、タレスの視点。)
 どうも用語が不整合になるが、

太陰(太玄)⇒陰⇒陽⇒氣(陰陽)⇒生命物質体

と思えるのである。
 そう、太水(太陰は混乱するので、太水と呼ぶ)は、直観的には、主と客が未分化的に融合している様態と言えるのではないだろうか。否、そう作業仮説しよう。
 これは陰陽両極様態とは似て非なるものである。何故なら、陰陽極性は陰と陽が明確に分化しているからである。それに対して、太水とは、主が同時に客であったり、客が主であったりして、いわば、主と客は分離できないのである。端的に未分化様態である。
 おそらく、東洋文化において、混沌と呼ぶものが相応しいだろう。
 言い換えると、客的主であったり、主的客であったりして、常に揺れ動いているのである。
 この未分化力学をもっと明快に解明する必要がある。
 そう、メビウスの輪(帯)というのが、この未分化様態を表現する的確な表現ではないだろうか。それは、明らかに、陰陽対極性とは異なるのである。つまり、メビウスの帯(輪)の場合、どこが裏面でどこが表面か厳密に規定できないのである。
 ということで、太水(ないし玄水)は、メビウスの輪の様態(メビウス様態)と解明された、今の段階であるが。
 このメビウス太水(玄水)が、真の根源であり、そこから、陰陽=氣が生起し、また、生命物質体(現象界)が発現することになるのである。
 図式化すれば、

 Ⅰ:∞:メビウス太水:ウロボロス

⇒Ⅱ:☯:氣(陰陽対極性:「水」☯「火」)

⇒Ⅲ:♁生命物質体

となる。(追記:Ⅲの♁は、本当は、○書いて、その円内に十字+を入れた文様である。即ち、Earth symbol.svg  である。これは、西洋占星術の地球の記号である。参照:
惑星記号 - Wikipedia
地球 Earth symbol.svg 四大元素 の土(地)の記号の転用で、四方 で大地を表す。あるいは、赤道 と本初子午線 。
Earth astrological symbol.svg 宝珠 。世界 (世界を統治すること)の象徴。

 これで本件はかなり明快になったと言えよう。
 結局、ポイントはⅠ:メビウス=ウロボロス=∞とⅡ:氣=陰陽対極性=☯の区別である。
 そう、神話学的に言えば、Ⅰは太母であり、Ⅱが太母のセクシュアリティ、性であり、Ⅲが「子」、生命体ではないだろか。(今はざっと述べるに留める。)
 用語的に言うと、Ⅰは太玄水、太玄海、太水、太海、太母水、太母海、等となろう。(D.H.ロレンスが勃興するフェミニズムに対して、反動性をもっていたが、結局、女性の本質を追求したが、それは、このⅠへの探求だと思う。太母への探索である。)
 さて、最後に光、日光、太陽の位置づけについて考えよう。
 やはり、これまで検討してきたように、光はⅡの氣において発生すると考えられる。闇はⅠなのである。この太闇からⅡの光が誕生するのである。太闇から太光(太陽)の誕生である。そして、太光から生命が生まれるのである。
 そう、端的に、氣=光なのである。光は原生命なのである。生命知エネルギーなのである。
 簡潔にまとめると、

太闇⇒太光⇒太生命

である。
 あるいは、シンプルに、

闇⇒光⇒生命

である。
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