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2013年11月03日 (02:39)

人体四層構造図:Ⅰ.太極点/Ⅱ. 植物体(氣=陰陽)/Ⅲ.動物体/Ⅳ.自我体・・・(Ⅴ.外界)

画像は以下を見られたい。
http://ameblo.jp/neomanichaeism/entry-11665314072.html

人体四層構造図:Ⅰ.太極点/Ⅱ. 植物体(氣=陰陽)/Ⅲ.動物体/Ⅳ.自我体・・・(Ⅴ.外界)

テーマ:太玄霊知行学:太玄霊的生命イデア知行学

ちょっと簡単に、人体の四重構造を図式化してみたい。
うまく作図できないので、見にくいがざっと書く。仮に人体四層構造図と呼ぶ。


 Ⅰ        Ⅱ           Ⅲ       Ⅳ    (Ⅴ)
     |            |        |
     |            |        |
太極点 |植物体(氣・陰陽) | 動物体  | 自我  (外界)
     |              |        |
     |              |        |
 肚   |   胸         | 皮膚?    |   頭
      |              |         |
下丹田 |   中丹田      |        |  上丹田

         
       人体四層構造図

本来は太極点は、円ないし球の中心である。
 そして、植物体は陰陽円ないし陰陽球である。そして、その外皮に動物体があり、そして、それから遊離するものとして、自我を考えたい。
 わかりやすくするため、全体をほぼ同心円で考えたい。つまり、円の中心に太極点、そして、円総体が植物体であり、その外皮が動物体で、それから衛星のように遊離して自我がある。
 動物体は陽に傾斜した存在であるが、まだ、陰陽と連続的である。
 しかし、人体において、自我があり、それは、動物体と連続であるが、尚、分離している。ここの辺の記述は難しい。
 私は極大の陽を考えている。これは、まったき陽であり、陰が消えている状態である。そして、これが重要であるが、極大の陽(極陽)で固定しているのである。そのために、陰陽的生成変化を行なわないのである。
 しかしながら、動物体とは連続であるために、完全な遊離ではない。だから、訂正する必要がある。自我は動物体から遊離しているのではなく、動物体と連続しつつ固定している極陽であるということである。
 しかしながら、人体において、植物体がある意味で発達しているのである。これが純粋な動物と異なる点である。
 人体四層構造図で言えば、Ⅱの中丹田が賦活しているのである。
 陰陽論で説明すれば、Ⅰが陰陽未分化で、Ⅱが氣=陰陽共鳴であり、Ⅲが陽傾斜であり、Ⅳが極陽固定である。
 人体において、簡潔に言えば、Ⅱの氣とⅢⅣの陽が矛盾対立しているのである。何故なら、ⅢⅣは陽でⅡの氣=陰陽を抑圧するが、Ⅱの氣=陰陽はその否定に対しては、当然反対するからである。これが、人間の先天的「分裂症」、統合失調症である。
 さて、簡単に外界に対する自我の意識の力学を考えてみよう。
 自我は極陽で、自己中心主義である。
 問題は同一性である。これはどこから生まれるのか。
 これは、極陽による氣=陰陽のまったき否定に拠ると思われる。先に自我方程式を述べたが、それを考えるといいだろう。


⓶自我方程式(自己同一性方程式):

凸i(陽)*凹i(陰)⇒-1(=e^iπ) ・・・Ⅶ

前期PS理論とオイラーの等式の統合の再考:+1が生命物質体、-1が純物質:氣と同一性自己(自我) (10/29)
http://sophiology.jugem.jp/?eid=347

これは陽が中心化して、陰を否定するものである。
 結局、同一性、自我の同一性とは、陽自体のことであると言えよう。正確に言えば、極陽自体である。(結局、極陽と純物質が一致するというのが自我方程式の意味であるが)
 結局、人体の矛盾対立とは、氣=陰陽VS極陽同一性(純物質性)ということになる。
 さて、準備ができたので、外界認識を考えよう。
 自我は同一性の視点で外界を見るのである。それが、植物、動物の場合はそのまま支配できるので、問題はないのである。
 しかし、他者に対するとき、困惑するのである。自我の同一性に服さない差異がそこにはあるからである。植物や動物の差異は力の支配で克服するのである。
 しかし、他者の場合は、簡単に力で支配できないのである。
 思うに、視覚のスクリーンはⅡとⅢの間にあるのである。これは単なる肉体的な網膜ではなく、心の網膜である。
 そう、氣と生命物質体の境界のスクリーンとも言えよう。
 このスクリーンに他者が映し出されるわけであるが、それは、自我の支配に服さない映像であり、それは、スクリーンにわだかまりを生じさせるのである。つまり、抑圧してあるⅡの氣=陰陽を賦活させるのである。故に、ここで、反感が生じると考えられる。嫉妬はここから生まれると言えよう。
 そして、自我が強力で、氣=陰陽が弱い場合は、暴力的になるだろう。怨恨をもったりして、他者を攻撃対象し、暴力を振るうことになるのである。
 これが、いわば、父権自我暴力である。
 しかしながら、母権文化であるとき、それは暴力には至らない。
 何故なら、氣=陰陽が強く働くからである。思うに、それは、根源の太極から発しているのであり、ⅠとⅡは連関している思われるのである。
 すると、ここに(ⅠⅡ)VS(ⅢⅣ)という矛盾対立があることがわかるのである。これは母権VS父権とも言えるのである。あるいは、東洋VS西洋である。(ヤハウェは、極陽を固定するような力学と思われる。ならば、ヤハウェは悪魔ではないだろうか。ヤハウェは超越性とは、太極の超越性だと思われる。)
 さて、母権文化において、他者認識を考えると、氣=陰陽が自我の極陽の様態に浸透していると思われるので、自我は陰陽を支配せず、同化しているので、他者認識は共感的になると考えられるのである。言い換えると、自我は同一性ではなく、陰陽共振的、他者共振的なのである。それは、植物的な成形性をもつのである。そう、共同体的なのである。
 以上で、ざっとであるが、人体の四層構造について考察してみた。
 さて、先に齟齬のまま終わっていた、太極と陰陽との関係力学について最後に触れておこう。
 両者、連続なのか不連続なのか不明であったのである。
 人体構造図では、当然、ⅠとⅡの境界力学の問題である。
 今の作業仮説では、ⅠとⅡは即非様態にあると見たい。即ち、即(同一性)においては、ⅠとⅡは連続的である、しかし、非(差異)においては、ⅠとⅡは不連続であるということである。
 考えれば、陰と陽も即非の様態にあると言えよう。というか、それは、ⅠとⅡの即非と同じことを意味しているのである。何故なら、陰と陽とは、太極において、一体(一如)であるからである。ただし、私説では、陰陽未分化様態(混沌)である。
 以上で現段階における人体四層構造の説明を終える。

追記:太極PS原理の人体四層構造は、シュタイナーの人体四層構造に一見に似ているが、根本的に異なる。
 もっとも、後者のエーテル体を植物体、アストラル体を動物体、そして、自我はそのまま自我として活用している。植物体と動物体はほぼシュタイナー霊学と同じである。
 しかし、太極PS原理は、原点に太極点、そして、シュタイナーの物質体に当たる箇所に純物質と重なる自我を見ている点が異なると言える。
 また、植物体を氣=陰陽と見ている点も異なると言える。
 そして、基本的には、太極PS原理(TPSP)は、太極の根本原理から陰陽論で演繹的に説明している点も異なる。
 シュタイナーの人体論は、四層がいわば、別々に存在していて、発展的成形がそこいはないと言える。
 だから、原理としては、今の段階だが、太極PS原理の方が首尾一貫して優れていると考えられる。
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