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2014年01月05日 (10:57)

シュタイナーのエーテルの力と物質の力:エーテルと氣:天=陰陽球、太陽=MP1,地球=MP2

画像は以下を見られたい。
http://sophiology.jugem.jp/?eid=378

シュタイナーのエーテルの力と物質の力:エーテルと氣:天=陰陽球、太陽=MP1,地球=MP2

テーマ:霊学:シュタイナー精神学

シュタイナー霊学のエーテルとは、氣に実に似ている。エーテルをシュタイナーは生命原理としている。
 しかしながら、それとは別に、アストラル体を考えていて、それは、動物的なもの、感情・欲望であるとしているのである。(この捉え方には違和感があるが今はこれ以上言及しない。)
 エーテルないしエーテル体に限定すると、シュタイナーは生命体は、宇宙からの力であるエーテルの作用を受けるが、同時に、地球の物質の力の作用を得ている と言う。つまり、天の力(エーテル)と地の力(物質力、おそらく、重力)の相互作用によって生命体が成形されると見ているのである。
 天と地の対極性によって、生命現象が成形されるとするのである。
 しかしながら、私の太極PS陰陽論から見ると、生命現象は、氣の原理に拠るのであり、陰陽極性の氣の原理から成形されるのである。
 とまれ、シュタイナー霊学とPS陰陽論をすり合わせるならば、前者の天の原理(エーテルの力学)とは、後者の陰陽円=氣の円に即すだろう。
 また、前者の地の原理(物質の力学:思うに重力)は、氣陰陽方程式(陰凹i*陽凸i⇒±1)の⇒±1ではないだろうかと思う。ただし、+1は植物的物質現象であり、−1は鉱物や動物的物質現象を意味する。
 否、そうではない。地の原理は原点のMP(メディア・ポイント)に存すると思う。⇒±1は逆に天の方向を意味すると思う。
 以下の『海舌』氏の人間認識図(要大修正)のガウス平面の原点がMPである。
 
   『海舌』氏による人間認識図(要大修正)

    

  氣陰陽ガウス平面図(本ブログの管理者)

            陽凸i
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−1_______MP_______+1
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             |
            陰凹i


私は陰陽円=氣円をガウス平面と直交すると見ていて上図においては、三次元になるのであるが、+1や−1を天の方向と見ると、ガウス平面の単位円(上図の氣陰陽ガウス平面図では画かれていない)も陰陽円=氣円と見ることができそうである。
 思うに、以前述べたが、陰陽球=氣の球を考えるといいのではないだろううか。
 しかしながら、無双太極を考えると、陰陽球=氣の球を超えたその領域があることになる。それを太極球と見るのか、否かである。
 思うに、氣陰陽ガウス平面図(簡略化して、陰陽ガウス平面図)におけるMPに重なるようにして、太極点が存するのではないだろうか。無双太極点が大根源 Ⅰとしてあり、それが、陰陽球=氣の球を形成する。これが中根源Ⅱである。そう、陰陽球=氣の球がコスモスではないだろうか。とりわけ、プラトンが説いた それである。しかし、このコスモスは当然、不可視宇宙である。いわば、ダーク・コスモスである。(ダーク・マターやダーク・エネルギーをここから導き出せ ると思う。)
 そして、この氣の宇宙から、可視の宇宙現象、生命現象が生成発現すると考えられるのである。この可視現象の根源はMP(虚軸上のMP1から実軸上のMP2へ移行する)であり、小根源Ⅲと言えよう。
 結局、以下のように図式化されよう。

Ⅰ:無双太極:大根源:原MP

Ⅱ:陰陽球=氣の球:中根源:
  コスモス(不可視宇宙:
  ダーク・コスモス)

Ⅲ:MP:陰陽ガウス平面の
  原点:小根源:生命宇宙
  (可視宇宙:宇宙生命体)


太陽であるが、それは一見、MPに存するように見える。しかし植物、樹木が天へ向かうことを考えると、太陽はMPというよりは、陰陽球=氣の球に属していると見るべきではないだろうか。そう、だから、太陽はMP1(陰陽ガウス平面上の虚軸の原点)に存すると考えられる。
 そして、地球であるが、それは、MP2(陰陽ガウス平面上の実軸の原点)に存すると思う。
 いわば、太陽と地球は双子のようなものと考えられる。
 今はとりあえず、ここで留めたい。
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神とは何か:直感としての神=氣の神:神社スポット:陰陽調和氣場

テーマ:氣神論:氣は万物に通ずる:氣的身体理性

神とは何だろうか。
 宗教史を見れば、多様な神が存する。しかし、それは読者には、一般的には、観念というか概念(観念と概念はまったく異なる概念である。何故なら、観念には、単に知的思考だけでなく、感性的思考も含まれるからである。あるいは、より正確に言うと、観念とは、知性と感性の交流する精神である。)に過ぎない。
 私の経験を言えば、実家近くの神社に接して、「ここには神がいる」と直感したのである。ただ、それだけである。(参考:「なにごとのおはしますかは知らねどもかたじけなさに涙こぼるる」京都府神社庁 神社を知る )いうならば、気配としての神である。
 分析すれば、氣の神だと思う。場的に、陰陽調和の場において、そのような直感が起るように思えるのである。
 私が今住んでいる地域にある森であるが、ここには、氣を強く感じるのであり、地域自体もパワースポットのように感じている。
 思うに、日本人にとっての神とは氣の神ではないのか。氣の神とは、陰陽調和の植物的生命力の神ということになろう。
 もっと言えば、森の神である。『ギルガメシュ叙事詩』で言えば、フンババである。
 また、天皇制であるが、母権天皇制に限ると、それは、基本的には氣の政治体制だと思う。氣の根源は太陽、さらには、太陽の根源の氣の太陽に存するのである。
 それを体現するのが、母権天皇であり、その政治社会体制が母権天皇制と思われるのである。
 だから、先に少し示唆したが、母権天皇的民主主義は可能なのである。なぜなら、母権天皇は生命、それも、平和的生命の象徴であるからである。

参照:
日本的精神とキリスト教 - Biglobe
www2.biglobe.ne.jp/~remnant/098nihon.htm


* キャッシュ

何事のおわしますかは 知らねども かたじけなさに涙こぼるる」 とうたいました。そこに
どんなことがあり、どなたがお .... しかし彼はこのとき、密教だけでなく、中国で景教(
ネストリウス派キリスト教)にもふれています。 景教というのは、ペルシャ方面から
やって来た ...
http://www2.biglobe.ne.jp/~remnant/098nihon.htm
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二つの科学:内的科学と外的科学:陰陽極性科学と物質科学

テーマ:二つの科学:内的科学と外的科学:霊と物質

以下の本ブログのカテゴリーにあるように、「二つの〜」が目立つ。
 思えば、両極性という概念に今から30年前頃に魅せられたのが、始まりだろうし、そこから、陰陽論に達するのは、必然だったと言えよう。
 30数年前にヘーゲル哲学によくわからないながらも接して、弁証法力学を知った。そして、マルクスの唯物弁証法も知った。
 しかし、後者は前者を適用していないことがわかった。共産党独裁はヘーゲル的な弁証法力学ではないと考えた。
 当然、レーニンのボルシェビキ論も弁証法的ではないと思った。
 何故、違うのかと言えば、弁証法とは、二つの対立要素を否定を介してであっても包摂する力学であるからである。
正反合の反は正を否定しつつも、正の要素を包摂するのであり、合において、対立が統一・統合されるのである。(ヘーゲル弁証法は、ドイツ哲学、ドイツ神秘哲学の系譜を背景にもっている。それは、陰陽論的なものと考えられる。ニコラウス・クザーヌス - Wikipedia 、他。)
 しかし、唯物弁証法は、対立が統一されないのであり、一方の極が他方の極を排除して、一極中心主義になるのである。
 思うに、弁証法は陰陽論的要素を完全ではないにしても、もっているのであり、それは、多神教原理と思われる。
 しかるに、唯物弁証法は、陰陽論要素はまったくなく、また、ヘーゲル弁証法をまったく曲解しているし、一神教原理と言える。
 私は一神教原理は、二項対立原理と類似すると思っている。また、それは、ユダヤ教的原理、賤民資本主義原理なのではないかと思うのであるが、これは別稿で考えたい。
 さて、本題であるが、「二つの〜」というカテゴリー立ては、結局、宇宙、自然、人間原理のもつ二極、対極・両極・双極原理に基づくと考えられる。
 今、科学を問題にすれば、やはり、二つの科学が存するのである。近代科学は、一つの科学であり、それは、物質主義科学であり、心の外側に見出される現象を対象にした科学である。
 しかし、それとは別の科学があるのである。それが、内的科学である。心、精神、意識・無意識の科学とも言える。しかし、それでは、物質主義科学と区別されなくなるので、内的科学と呼びたい。
 PS陰陽論から言えば、物質主義科学、外的科学は、陽の科学であり、心の科学、内的科学は、陰の科学、ないし、陰陽極性の科学である。
 ここで量子論について簡単に触れると、波動と粒子の一致という事象があるが、それは、内的科学で説明がつくものであり、量子とは、実は、氣であるという のが、私の現段階での解釈である。氣から量子が生まれるのである。というか、氣を物質的観測をすると、量子になるのである。つまり、量子とは、氣の物質的 映像であるということである。この問題は、これ以上は触れない。
 とまれ、今や、物質主義科学、近代科学、外的科学の限界は明らかである。それは、自我、近代的自我、利己主義をベースにする科学なのであり、自我、近代的自我、利己主義という限界をもつのである。
 それを越えるには、内的科学が必要なのである。それは、自我、近代的自我、利己主義とは別の心、精神の原理を認めるのであり、それは、自我、近代的自我、利己主義を乗り越える内的原理である。
 思うに、近代西洋文化は二重文化であり、一方では、外的科学があり、他方では、内的科学(反近代主義)があるが、前者が主流なのである。(これはキリスト教に似ている。キリスト教の唯一神は外的科学に通じ、キリストの精神原理は内的科学に通じるのである。)
 とまれ、今や、内的科学を積極的に肯定する段階に達しているのである。ただし、外的科学を否定するということではなく、外的科学を包摂する内的科学、つまり、外的且つ内的統一科学を目指すということである。
 思うに、シュタイナーの霊的科学であるが、それは、確かに、内的科学を志向するが、外的科学を否定的に見る向きがある。つまり、霊主体従なので、そうなるのである。
 しかし、太極PS陰陽論は、外的包摂内的科学を志向するのであり、外的科学を否定せずに、内的科学に取り入れるのである。
 しかしながら、外的科学の一つの究極である原子力科学は、それは、自然生命体を基本的には、侵すので、肯定することはできないのである。(もっとも光合成細菌の次元では別であるが、まだ、それを原子力科学に応用できる段階ではない。)
 内的科学を基礎として、肯定できる外的科学を志向すべきである。

二つの自然:植物と動物:氣と獣欲・煩悩 ( 18 )
二つの日本民族:母権と父権:日本古代史 ( 148 )
二つの資本主義:自由共同体と掠奪暴利主義 ( 197 )
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