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2014年03月03日 (00:09)

PS陰陽論における他者の位置付け:陽自我凸iが自我、陰自我が差異、陰陽調和で他者認識成立する

画像等は以下を見られたい。
http://sophiology.jugem.jp/?eid=404

S陰陽論における他者の位置付け:陽自我凸iが自我、陰自我が差異、陰陽調和で他者認識成立する

テーマ:無双(太極)PS陰陽論:無双は陰陽未分化

他者の位置付けであるが、私は、陰陽調和心において、他者認識が成立すると考えていて、そのときの自我が陽凸iであり、他者が陰凹iであると考えられる。
 しかしながら、本来、陽凸iは陽自我、陰凹iは陰自我であり、両者は調和しないときは、二重性をもつ自我存在である。
 私は不連続的差異論の段階で、同一性(自我)は、差異(他者)に対して、連続的同一性を形成すると考えた。
 図式化すれば、

A同一性(自我)⇒⇒⇒B差異(他者)

において、同一性は差異に自己自身をいわば被せるのである。即ち、

A同一性(自我)⇒⇒⇒A’同一性【差異(他者)】

である。差異BはA'に変換されて、Aと同一性をもたされるのである。
 この同一性の差異に対する連続的同一性の概念であるが、それは、PS陰陽論から見ると、陽自我凸iが主導・中心化した場合の事態である。
 しかしながら、陰自我凹iが存するのであり、それが主導・中心化する場合も考えられるのであり、それについては、ほとんど未検討である。
 思うに、陰自我凹iとは、ルドルフ・シュタイナーの説くルシファーに当たると思われるのである。それに対して、陽自我凸iはアーリマンであり、連続的同一性の概念はアーリマンに関するものと言える。
 陰自我凹i=ルシファーであるが、それは、シュタイナーから言えば、自由なるもの、そう、差異的なものである。
 これが、陽自我凸iに対して、主導・中心化したらどうなるだろうか。
 完全な差異の世界が生じて、認識が成立しないのではないだろうか。思うに、感情・感性だけの世界ではないだろうか。それは、完全に生成の世界であり、固定することはないのではないだろうか。社会においては、一時的な同意は生じても、すぐに消失するものではないだろうか。
 思うに、陰自我凹i=ルシファーであるが、それは、感情・欲望の世界に通じるように思える。シュタイナーで言えば、アストラル体である。
 とまれ、陽自我凸i=アーリマン主体の場合が連続的同一性の世界とすれば、陰自我凹i=ルシファー主体の場合は、不連続的非同一性の世界と言えよう。
 そう、不連続的差異論とは、実は、陰自我凹i=ルシファーの世界を説いたことになるだろう。
 それに対して、その後形成されたPS理論は、陽自我凸iと陰自我凹iの共振を中心化した理論であり、それは、陰陽調和心を基礎付けたと言えよう。これは、大きな進展である。
 ただし、PS理論の問題は、+1と-1の意味の取り違えである。以下の『海舌』氏の人間認識図でそれがわかるのである。-1を超越的存在、+1を存在・現存在にしているのであるが、-1は、PS陰陽論では、地であり、+1は天である。また、暫定的であるが、-1を地的物質、+1を天的物質と見ている。

(ひょっとしたら、桜沢如一氏のナトリウムとカリウムに関係するかもしれない。+1がナトリウムで、-1がカリウムになるかもしれない。

参考:
食養の話
飽く気(K)が多いのは植物性食品で、塩気(Na)が多いのは動物性食品です。植物性食品は穀物、野菜、果物、海草等です。動物性食品は肉類、魚、卵、乳・乳製品等です。

飽く気、カリ塩


塩気、ナトロ塩、

カリウム(K)が多い食品


ナトリウム(Na)が多い食品

植物性食品


動物性食品

穀物、野菜、果物、海草


食塩、肉類、魚類、卵、牛乳




     陽


 桜沢如一は石塚左玄のNa・K理論をヒントにして、Naの多いものを陽とし、Kの多いものを陰としました。この考え方は適切な判断だと思います。陰陽の考え方に問題は無いと思います。桜沢如一が考えだした12の定理も分り易いもので大変役に立ちます。しかし、食品を陰から陽の1本の線上に配置する理解の仕方は無理があり納得できません。

http://www.matsuihsp.or.jp/shokunai/html/study/study87.htm


 少なくとも、PS陰陽論では、-1は超越的存在にはならない。超越的存在を言うならば、それは、陰陽円とMP1に存すると考えられる。
 
         『海舌』氏の人間認識図


そして、象限の意味付けも異なるのである。簡単に言えば、少なくとも、左右逆転する必要があるのである。簡単にPS陰陽論の象限構成を言えば、

第一象限:科学、知性
第二象限:唯物論、自我(利己主義1)
第三象限:欲望・感情(利己主義2)
第四象限:直観・直感

そして、第一象限と第四象限の結合した領域に哲学、芸術が成立しよう。ただし、哲学は第一象限よりであり、芸術は第四象限よりである。
 
 さて、本題の他者の問題に返り、整理すると、陰自我自体は差異である。まだ、他者ではない、
 他者を形成するには、陰陽調和形成が必要である。そのとき、差異は他者へと変容すると思われる。
 つまり、陽自我と陰自我が調和共鳴して、差異である陰自我は、他者へ変容すると考えられるのである。
 これで、他者問題をひとまず解明したことにしょう。

追記:以上のように、陽自我凸i(同一性自我)と陰自我凹i(差異)を明確に区別したことで、日本父権自我が明晰に解明されると考えられる。 
 即ち、日本父権自我とは、陰自我凹i(差異)と陽自我凸i(同一性自我)が未分化混沌としているのである。どちらも、利己主義であり、状況に応じて、陰自我が欲望・感情として主導化したり、陽自我が同一性として主導化するのである。
 状況に応じて、利己主義が揺れ動くのである。不定である。独立した個はそこにはないのである。
 一見、陰自我凹iは、母権主義のように見えるかもしれないが、そうではない。母権主義の場合、陰自我凹iが主導ではあっても、それは、原初的陰陽調和共鳴心を内在させていると考えられるのである。(思うに、そこには、原初的個があるだろう。)
 そう、端的に、父権自我とは、陽自我凸iと陰自我凹iが同時生起したもののように思えるのである。
 しかし、陽自我凸iの方が先行しているかもしれない。同一性である自我が先ず、形成されたとすると(つまり、陽自我が極大化したとする)、それは、差異である陰自我凹iは連続的同一性化するだろう。当然、原初陰陽調和心も排除される。
 しかしながら、世俗社会が物質欲望を喚起するようになると、排除された差異である陰自我凹i(欲望・感情)は刺激を受けて、発動するのである。しかしながら、意識は陽自我凸iにあるから、差異である陰自我凹iの欲望・感情は意識から排除するのである。しかしながら、いわば、無意識のうちに、差異である陰自我凹iの欲望・感情に支配されるのである。
 これが、日本父権自我のもつ矛盾様態(傲慢と隷従)を説明すると考えられる。
 それに対して、いゆる、強意の父権自我であるユダヤ教的自我であるが、それは、純粋に陽自我凸i(同一性)中心主義であると思う。それは、陰自我凹i(差異)を排除するというよりは、無になっているのである。欠落しているのである。そう、言い換えると、超越的陽自我なのである。これが、ユダヤ教的資本主義の原理であろう。そう、ウェーバーで言えば、賤民資本主義である。
 それに対して、プロテスタンティズムの資本主義は、陰自我凹i(差異)が発露しているものと思われる。それも、単に陰自我凹iだけでなく、他者が発現していると思われるのである。
 これは、新約聖書の他者肯定の精神が入っていることから来ているように思えるのである。そう、聖霊的信仰と言ってもいいかもしれない。そこでは、他者との共存が志向されているのである。
 
追記2:上の追記で、ユダヤ教的父権自我と日本父権自我の相違を述べたが、では、どうして、そのような違いが生じたのか問う必要がある。
 今の私見では、ユダヤ教的父権自我は、他民族の中の厳しい社会環境にあり、同一性自我が精錬したと思えるのである。故に、ユダヤ的知性(抽象性に秀でる)が生まれたと思うのである。
 それに対して、日本父権民族は、仮に、ユダヤ民族であったとしても、他民族の中に生存するという厳しい環境になかったと言える。(もっとも、日本母権民族の中にはいたのであり、母権民族は、懐柔しやすかったと考えられる。)
 そのために、同一性知性を研磨する必要がなかったのであり、知性が鈍磨したのであり、そして、世俗社会の発達とともに、陰自我凹iの欲望・感情が無意識的賦活され、陽自我凸iと陰自我凹iの未分化様態が形成されて、状況に応じて、変化する日和見的な父権自我が形成されたと考えられる。
 一方(ユダヤ教的父権自我)では、同一性知性を磨いたのに対して、他方(日本的父権自我)では、同一性知性を鈍磨させ、欲望・感情を主導化させたと考えられる。

追記3:いわゆる、「反知性主義」であるが、これも、上論から、簡単に説明できよう。
 知性は同一性自我、つまり、陽自我の属性である。それを否定するのは、陰自我(差異)である。そう、日本父権自我(未分化自我)は、陰自我(差異)が主導化するので、当然、「反知性主義」になるのである。

 
 






新たな氣の四元論:朱子の「理」の再検討:「理」と「氣」の区別:「理」のエネルギー化が「氣}?

テーマ:氣神論:氣は万物に通ずる:氣的身体理性

先の四元論(二元論から四元論へ:霊⇒魂⇒身体⇒物質:一の氣(太一)⇒陰陽氣⇒氣のエネルギー様態(身体)⇒物質 (02/25) )は再検討する必要がある。以下の説明だと、朱子の「理」は「氣」と同じになる。「理」と「氣」の区別を明確にしたい。

追記:結局、氣の位置が問題なのである。先の考えでは、理=氣になってしまう。氣のエネルギー様態を身体と私は言った。
 どうも、氣は二種類あるのではないだろうか。つまり、理的氣(イデア生命情報)と動的氣(生命エネルギー)である。
 思うに、理的氣は一の氣(太一)であり、動的氣は、身体性をもつ氣である。
 しかし、直観では、さらに氣がある。それは、魂的氣である。ないし、心的氣である。
 すると、理的氣(一の氣:太一)⇒魂的氣(心的氣)⇒身体的気となる。
 すると、先の四元論は次のような四元論になる。

Ⅰ)一の氣(太一、理的氣)⇒Ⅱ)魂的氣(心的氣、精神的氣)⇒Ⅲ)身体的気(生命エネルギー)⇒Ⅳ)物質(体)

先の四元論は、

一の氣(太一氣)⇒陰陽氣⇒氣のエネルギー様態(身体)⇒物質

であった。
 相違点は、Ⅱである。先のは、陰陽氣になって、イデアにしていたが、それを止めて、精神の様態にしたのである。
 つまり、精神のエネルゲイアである。そして、Ⅲは同じで、身体のエネルゲイアである。
 つまり、二種類のエネルゲイアを置いたことである。実際問題、心的エネルギーはあるし、また、身体的エネルギーはあるのであり、両者、心身相互浸透する中間領域があるが、やはり、区別するのは妥当と言えよう。
 今はここで留めるが、後で整理したい。


Li (Neo-Confucianism) - Wikipedia, the free encyclopedia
Li (Neo-Confucianism)
From Wikipedia, the free encyclopedia


Li (理)is an concept found in Neo-Confucian Chinese philosophy. It refers to the underlying reason and order of nature as reflected in its organic forms.

It may be translated as rational principle or law. It was central to Zhu Xi 's integration of Buddhism into Confucianism. Zhu Xi held that li, together with qi (氣: vital, material force), depend on each other to create structures of nature and matter. The sum of li is the Taiji .

This idea resembles the Buddhist notion of li, which also means principle. Zhu Xi maintained, however, that his notion is found in I Ching (Book of Changes), a classic source of Chinese philosophy . Zhu Xi's school came to be known as the School of Li, which is comparable to rationalism . To an even greater extent than Confucius, Zhu Xi had a naturalistic world-view. His world-view contained two primary ideas: qi and li. Zhu Xi further believed that the conduct of the two of these took places according to Tai Ji.

Holding to Confucius and Mencius' conception of humanity as innately good, Zhu Xi articulated an understanding of li as the basic pattern of the universe, stating that it was by understanding these principles that one could live with li and live an exemplary life. In this sense, li according to Zhu Xi is often seen as similar to the [Dao] in Daoism or to [telos] in Platonic philosophy. Wang Yangming , a philosopher who opposed Zhu Xi's ideas, held that li was to be found not in the world but within oneself. Wang Yangming was thus more of an idealist with a different epistemic approach.
Sources[edit ]

The philosophical concept of Li is inherently difficult to define and is easily mistranslated into various simplifications of the core idea. Many philosophers have tried to better explain it, Alan Watts being one of the prominent 20th century authors on the subject.

The tao is a certain kind of order, and this kind of order is not quite what we call order when we arrange everything geometrically in boxes, or in rows. That is a very crude kind of order, but when you look at a plant it is perfectly obvious that the plant has order. We recognize at once that is not a mess, but it is not symmetrical and it is not geometrical looking. The plant looks like a Chinese drawing, because they appreciated this kind of non-symmetrical order so much that it became an integral aspect of their painting. In the Chinese language this is called li, and the character for li means the markings in jade. It also means the grain in wood and the fiber in muscle. We could say, too, that clouds have li, marble has li, the human body has li. We all recognize it, and the artist copies it whether he is a landscape painter, a portrait painter, an abstract painter, or a non-objective painter. They all are trying to express the essence of li. The interesting thing is, that although we all know what it is, there is no way of defining it. Because tao is the course, we can also call li the watercourse, and the patterns of li are also the patterns of flowing water. We see those patterns of flow memorialized, as it were, as sculpture in the grain in wood, which is the flow of sap, in marble, in bones, in muscles. All these things are patterned according to the basic principles of flow. In the patterns of flowing water you will all kind of motifs from Chinese art, immediately recognizable, including the S-curve in the circle of yang-yin.

So li means then the order of flow, the wonderful dancing pattern of liquid, because Lao-tzu likens tao to water:

The great tao flows everywhere, to the left and to the right, It loves and nourishes all things, but does not lord it over them.

— Alan Watts, Taoism [1]

References[edit ]

* Chan, Wing-tsit (translated and compiled). A Source Book in Chinese Philosophy. Princeton, NJ: Princeton University Press, 1963.

External links[edit ]

* Visualization of Li

1.
Taoism | Finding the li
https://liology.wordpress.com/tag/taoism/

* キャッシュ
17 Sep 2010 ... Eliminate learning so as to have no worries. Yes and no, how far apart are they?
Good and evil, how far apart are they? —. What the sages fear,. I must not fear. I
am the wilderness before the dawn. —. The multitude are busy ...
2.
Kan & Li Inner Alchemy Practice - Water & Fire Taoist Yoga - An ...
taoism.about.com/od/practices/a/Kan_Li.htm

* キャッシュ
* 類似ページ
An introduction to Kan & Li (Water & Fire) Inner Alchemy practices -- through
which an Immortal Fetus is formed.
3.
Taoist Poetry - An Introduction To Taoist Poetry - Taoism - About.com
taoism.about.com/od/poetry/a/poetry.htm

* キャッシュ
* 類似ページ
In Taoist poems we find expressions of the ineffable, praises of the beauty of the
natural world, and playful paradoxical references to the mysterious Tao. The
flowering of Taoist poetry occurred in the Tang Dynasty, with Li Po (Li Bai) and Tu
Fu ...
4.
Three Taoisms and Their Approaches to Te - Shri Adi Shakti: The ...
www.adishakti.org/.../three_taoisms_and_their_approaches_to_te_2-25-2007.htm

* キャッシュ
* 類似ページ
With that said, let us go into these three Taoist terms and see what we can learn
about Taoism. Li Alan Watts described three basic philosophical ideas of nature.
The western mechanical view of nature which stems from ancient Greek science
...
5.
Way Of Tao - Li The Fire - Approaching experience, we do not fight ...
www.way-of-tao.com/pages/primary.../li-the-fire.php

* キャッシュ
To the ancient Taoist, Li or Fire was represented by an open Yin line suspended
between two, creative Yang lines. Its symbolism resembles a circle of openness
at the center. As the second of the primary forces of the I Ching, it suggests the ...
6.
Taoism by Alan Watts - holtof.com library
library.holtof.com/unicorn/watts/on_taoism.html

* キャッシュ
* 類似ページ
In order to go into Taoism at all, we must begin by being in the frame of mind in
which it can be understood. You cannot force .... In the Chinese language this is
called li, and the character for li means the markings in jade. It also means the ...
7.
Definition of Taoism - Our Lady's Warriors
www.ourladyswarriors.org/dissent/deftao.htm

* キャッシュ
* 類似ページ
66): "Taoism, as the word indicates, is the Religion of the Tao, a term meaning
Path or Way, but denoting in this peculiar ... The family name of Lao-tze was Li,
his name Eul (meaning "Ear"), his honorary title Pe-yang, and his posthumous
name ...
8.
Studies in Medieval Taoism and the Poetry of Li Po by Paul W. Kroll
www.ashgate.com/isbn/9780754659891

* キャッシュ
* 類似ページ
The emergence of Taoism during the 3rd through 8th centuries as China's
indigenous higher religion affected all areas ... of Taoism in texts dating to this
period and also considers its influence in the works of the great T'ang-dynasty
poet, Li Po.
9.
The Movie HERO and Chinese Taoist Philosophy
taoism21cen.com/Englishchat/essay7.html

* キャッシュ
* 類似ページ
the big One in the Taoist view. The movie Hero is the story of five swordsmen.
There are four. assassins headed by Nameless, played by Jet Li, and their target
is the king. who is also the fifth swordsman. There are three minor characters; an.
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