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2014年03月13日 (13:27)

検討問題:1)MP(Media Point)の構造問題、2)氣から身体への次元変換の様態力学

画像等は以下を見られたい。
http://ameblo.jp/neomanichaeism/entry-11794887872.html


検討問題:1)MP(Media Point)の構造問題、2)氣から身体への次元変換の様態力学

テーマ:無双(太極)PS陰陽論:無双は陰陽未分化

今は問題点の指摘のみ。
 
1)先の次の検討の継続である。
氣的生命体と物質体:陰陽氣(生命原子)と量子(物質原子)はまったく異なるものである (03/11)
http://sophio.blog19.fc2.com/blog-entry-2072.html

MP1とMP2を即非関係と考えたが、それはわかったようで判明ではない視点である。
 やはり、次元転換(次元変換)の視点がいいと思う。
虚軸の次元から実軸の次元への転換である。つまり、氣から物質的生命体(生命有機体)への転換である。
 陰陽方程式:陰凹i*陽凸i⇒+1としたが、*は積を意味したが、そうではなく、4分の1π回転、つまり、90°回転と見たい。だから、右回転と左回転があるが、今は、これを気にせず、次元転換とは、90°回転を意味すると作業仮説する。(追記:結局、*は積ではなく、90°回転を意味する記号とすれば、いいのである。だから、陰陽方程式は陰凹i*陽凸i⇒±1であり、以前に戻るのである。ただし、左回転と右回転の区別がある。どうも、左回転で、弦巻植物は上昇するのではないだろうか。では、右回転はどうみるのか。それは、根に関係するのか?これは課題にする。 追記2:ガウス平面で左回転を考えると、ガウス平面を原点で垂直に突き抜けて、三次元空間が生じよう。それは、超越軸ではなく、実空間軸である。あるいは、天軸であり、地軸ではないだろうか。一言で言えば、天地軸である。とまれ、三次元空間や時間については後で検討したい。 追記3:ひょっとして、ここで、四元数【しげんすう 四元数 - Wikipedia 】の考え方を適用できるかもしれない。天地軸を一つの空間軸にし、それとは水平な平面・二次元空間を考えれば、全部で、三つの空間軸ができる。つまり、空間三次元である。そして、±1の実軸であるが、これが、時間軸になるかもしれない。これも検討課題である。)
 そうすると、氣から物質生命体への次元変換とは、明らかに、様態変化であり、様態的には不連続である。わかりやすく言えば、「霊」から「物質」への転換である。「霊」と「物質」は不連続であり、様態的には何の関係もない。
 しかし、問題はMP(原点)である。やはり、虚軸の原点MP1と実軸の原点MP2との関係力学の問題である。
 虚軸の原点(MP1)とは、思うに一(いつ)の氣、太一(造語)、氣一(造語)が作用していると思うのである。つまり、陰陽が一(いつ)になっているのである。言い換えると、陰陽調和点である。そう、即非点と言っていいのであるが。(陰陽円ないし陰陽球を考えると、それらと原点は一如一体と考えられる。)
 それに対して、実軸の原点(MP2)はどうだろうか。
 そう、ここが摩訶不思議な場所ではないだろうか。MP1とMP2とは、やはり、即非関係のように思える。
 一致すると同時に別である。
 思うに現象界に空いた穴である。それも超越界に通じる穴である。
 しかしながら、現象性をもつのある。つまり、超越性・且つ・現象性である。つまり、超越性・即非・現象性である。
 現象性を身体とすれば、超越性・且つ(即非)・身体である。
 そして、このMP(MP1とMP2の即非点としての原点)は、陰陽調和点であり、身体では、中丹田(胸)にあると思うのである。
 そして、そこから、下丹田(肚)へ下降できよう。それは、陰凹iである。そして、また、陽凸iへの移動できよう(この場合、陽凸iは理念的知性になるのか?)。
 以上のように考えると(作業仮説)、MPは正に特異点である。不連続であり、且つ、連続である。
 そう、だから、MPは内在し、かつ、超越性に通じるのであり、内在超越点とも言えよう。
 そして、身体論的に言えば、MPとは、心であり、且つ、身体である。正に、心身一如の点である。心=心臓=心の臓という感じである。
 思うに、西洋文明はこの内在超越点、即非点、特異点であるMPを否定してきたのである。ただ、イエス・キリストや聖霊にのみ、それを認めたのであり、通常の人間には否定したのである。キリスト教会の成立であるが、実は、プロテスタンティズムとは、このMPを実質的に肯定したものではないだろうか。ただし、超越性に傾斜し過ぎたと考えられる。本当は、身体にも通じるのである。
 ここで、氣と身体の関係力学について言えば、以上の視点から、氣と身体は即非関係にあるのであり、氣・即非・身体である。つまり、氣=身体であり、且つ、氣≠身体である。
 PS陰陽論は唯氣論であるが、ここで、身体の重要性が明らかになったと言えよう。身体こそ、氣の発現様態なのである。
 結局、氣とは身体とは独立しながらも、同時に身体を形成しているということである。
 そして、氣のどのような展開が身体を構造化するのか、解明する必要があるのである。
 今は、シンプルに一言言うと、陰が液体(血液等)に、陽が個体(骨等)になるだろう。(ここは難しい箇所である。次元転換が即非転換ならば、陰陽はそれ自体で、身体・生命体になるのである。もっとも、同時に身体・生命体とは独立しているが。そう、陰陽・即非・身体【生命体】という視点については新たに検討したい。)
 今はここで留める。

2)の問題は、1)で検討された。


参考:以下のガウス平面を利用した人間認識図の原点がMPである。
氣的生命体と物質体:陰陽氣(生命原子)と量子(物質原子)はまったく異なるものである
http://ameblo.jp/neomanichaeism/entry-11792961696.html


      『海舌』氏の人間認識図(要大修正)

(要注意:
1)虚軸の陽凸を光、陰凹を闇とするのは、間違いであり、前者は陽凸i⇒陽自我【知性】とし、後者を陰凹i⇒陰自我【感性】とする。

2)実軸+1=存在・現存在、実軸-1=超越的存在とするのも誤りで、+1と-1を電極、磁極の極性と見る。

3)記述されている象限の見方も誤りとし、新しい視点では、第一象限は理性、哲学、第二象限は科学、知性、第三象限は生活、第四象限は直観・直感、芸術、のそれぞれの領域・圏と見る【暫定的である】。

4)原点をMP【Media Point:メディア・ポイント】とするが、虚軸上の原点をMP1、実軸の原点をMP2とする。そして、極めて重要なことは、MP1とMP2が不連続・非連続であることである。MP1⇒MP2はあるが、逆、MP2⇒MP1は成立しない。だから、先に、陰陽方程式を陰凹i*陽凸i⇔±1にしたのは誤りであり、訂正する。陰陽調和心は原点、即ち、MP1に存する。そして、それは、MP2を派生するだろう。D. H. ロレンスのセクシュアリティはこのMP1とMP2の連結にあるだろう。

5)これは、作業仮説的であるが、植物の氣は当然、虚軸に存するのであり、これは、動物にも存するが、動物的身体は、実軸が主導的だと思う。それに対して、植物的身体は虚軸が主導的だと思う。つまり、植物は氣が主導的であり、動物は物質が主導的である。言い換えると、植物と動物、当然、両者、氣的身体【ガウス平面の虚軸と実軸の十字架】をもつが、前者は虚軸の氣が主導的で、後者は実軸の物質性が主導的である。ただし、人類は動物から植物へと進化の過程にあると見る。)

 今思いついたが、(もっとも、以前考えたことだが、)+1と-1を物質的極性と見ることである。つまり、磁界や電界の極性である。つまり、NとS、プラスとマイナスである。
 電子で言えば、+1が陽電子であり、マイナスが陰電子である。磁界で言えば、+1がN極であり、-1がS極である。
 電磁波は両者を合わせればいいだろう。つまり、+1と-1は電磁波を表わすということである。とまれ、実軸が物質軸であるというは納得しやすいだろう。
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