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2014年03月22日 (17:18)

思いつき:天地軸は物質軸?:虚軸=陰陽イデア情報、実軸=時間(エネルギー)、天地軸=身体軸

思いつき:天地軸は物質軸?:虚軸=陰陽イデア情報、実軸=時間(エネルギー)、天地軸=身体軸

テーマ:無双(太極)PS陰陽論:無双は陰陽未分化

陰陽方程式:陰凹i*陽凸i⇒±1:実軸は時間軸:+1が氣、-1が物質エネルギーという作業仮説
http://ameblo.jp/neomanichaeism/entry-11800193591.html

先の以上の私見は思いつきであり、暫定的に過ぎない。
 今日、森の一角の屹立する杉木立のいつもの思索の場で想像したのは、天地軸は物質軸であり、それが、陰陽情報時間エネルギーに物質的様態を与えるのではないかということである。
 ガウス平面の虚軸の陰陽イデア情報(形態情報も含む)と実軸の時間エネルギーが原点(MP:メディア・ポイント:言うならば、虚穴、虚孔)において、天 地軸を基軸として、螺旋に現象すると考えるが、そのとき、陰陽イデアと時間エネルギーに物質形状、物質様態、あるいは、身体を与えるのは、天地軸の成分の ように思えたのである。
 だから、天地軸を物質軸あるいは身体軸と呼べるのではないだろうか。あるいは、アリストテレス哲学で言うと、質料になるだろう。
 言わば、イデア・エネルギーに物質を付着させるのである。
 しかし、そのメカニズムは微妙と思われる。
 陰陽イデア情報(あるいは、自然情報、生命情報、有機体情報)に従って、物質身体化するのであるが、そのとき、情報自体が物質化すると同時に、情報自体は物質化自体とは別に存していると思われる。つまり、即非の関係がそこにはあると思われる。
 即ち、陰陽生命情報・即非・生命物質現象ということである。簡単に言えば、氣・即非・身体である。
 つまり、氣は身体に存すると同時に存しないという矛盾論理にあるのである。あるいは、氣は内在的であると同時に、超越的であるということになるのである。
 そして、身体であるが、それは、氣の物質的様態であるが、物質的エントロピーをもつと思われる。それ故に、死滅すると考えられるのである。
 氣自体は、超越的氣自体はおそらく、不滅である。しかし、氣の物質的様態である身体は死滅する。
 霊学的に言えば、氣が霊であり、身体が物質である。
 今はここで留める。

追記:天地軸を物質軸、身体軸、ないし、質料軸とした場合、それは、先に述べたように、実軸(±1)である時間の一種の次元転換されたものに思える。
 先には、−1を物質エネルギー、+1を氣としたが、それは、破棄する。つまり、物質エネルギーは当然、天地軸(これは、思うに、仮象軸とも言えるのであり、簡単に、仮軸と呼べよう。あるいは、現象軸、現軸と呼べよう。あるいは、身体軸、身軸、体軸である。)であり、氣は陰陽である虚軸に存するとするのである。
 では、問題は、実軸=時間軸の−1と+1は何を意味するのかということである。
 負の時間と正の時間? 森の中の思索では、それらは、電磁気の極性であった。
 でも、現時点では、時間の方がいい。
 思うに、−1は未来から来る時間で、+1は過去から来る時間だろうか。
 そうならば、極性的時間が共振して、自然現象が発生するということになる。
 この問題はおいておく。

追記2:今閃いたことだが、+1は生の時間で、−1が死の時間ではないだろうか。あるいは、それぞれ、生エネルギーと死エネルギーである。フロイト的に言えば、エロスとタナトスである。
 生命体において、初め、+1の生時間エネルギーが作用し、そのエネルギーが衰滅すると、−1の死時間エネルギーが発動するようにねるのではないだろうか。言わば、時間エネルギー保存の法則である。
 言い換えると、構築と脱構築の関係となろう。わかりやすく言うと、生と死のリズムである。これは、わかりやすいだろう。一日においても、このリズムがあるだろう。昼と夜のリズムである。
 今はここで留める。










 
精神教育の必要:利己主義、連続的同一性主義、陽自我と陰自我の癒着、アーリマンとルシファー

テーマ:evilness, egotism

後で論考したい。
 今は一言。
 利己主義が今、いちばんの心的問題ではないだろうか。
 利己主義とは、言い換えると、悪(悪魔、悪霊、悪鬼、邪悪、邪霊)の問題である。
 それは、やはり、シュタイナーの悪魔論が役立つようだ。ただし、そのままは使わない。
 陽自我は独一性である。これは、我のみ正しで、他者を否定し、排除するのである。
 それ対して、陰自我があり、これは、欲望、感情である。
 両自我が結びついたのが、利己主義ないし自己中心主義である。
 両自我の結合は、哲学(不連続的差異論)的には連続的同一性主義と言える。
 とまれ、父権的意識は利己主義に帰結する。とりわけ、唯物論においてはそうなる。
 これは、必然的に、唯我独尊で、狂気、暴力となるのである。
現代日本社会、とりわけ、日本の支配層・権力層がそうである。
 ただし、日本父権民族が世界專葬資本に恫喝洗脳されていることが利己主義の極端化の原因ではある。
 ただし、真因は日本父権主義に見出さなくてはならない。









精神教育の必要:利己主義、連続的同一性主義、陽自我と陰自我の癒着、アーリマンとルシファー

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後で論考したい。
 今は一言。
 利己主義が今、いちばんの心的問題ではないだろうか。
 利己主義とは、言い換えると、悪(悪魔、悪霊、悪鬼、邪悪、邪霊)の問題である。
 それは、やはり、シュタイナーの悪魔論が役立つようだ。ただし、そのままは使わない。
 陽自我は独一性である。これは、我のみ正しで、他者を否定し、排除するのである。
 それ対して、陰自我があり、これは、欲望、感情である。
 両自我が結びついたのが、利己主義ないし自己中心主義である。
 両自我の結合は、哲学(不連続的差異論)的には連続的同一性主義と言える。
 とまれ、父権的意識は利己主義に帰結する。とりわけ、唯物論においてはそうなる。
 これは、必然的に、唯我独尊で、狂気、暴力となるのである。
現代日本社会、とりわけ、日本の支配層・権力層がそうである。
 ただし、日本父権民族が世界專葬資本に恫喝洗脳されていることが利己主義の極端化の原因ではある。
 ただし、真因は日本父権主義に見出さなくてはならない。
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