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2014年04月01日 (00:51)

陰陽未分化と陰陽即非極性:陰傾斜の母権精神と陽傾斜の父権精神の弁証法から不連続的陰陽調和論へ

陰陽未分化と陰陽即非極性:陰傾斜の母権精神と陽傾斜の父権精神の弁証法から不連続的陰陽調和論へ

テーマ:無双(太極)PS陰陽論:無双は陰陽未分化

PS陰陽論において、太極と太一を分けている。
 太極は陰陽未分化であり、太一は陰陽分化である。しかしながら、太一は、一(いつ)の氣であり、且つ、陰陽分化極性をもつと考えている。
 問題は、後者である。それは、分化とは言え、同時に、一(いつ)なのである。つまり、非分化様態なのである。分化、且つ、非分化の、いわば、即非様態にあるのである。
 そう、この太一の陰陽非分化を未分化と呼ぶことはできない。何故なら、未分化とはまだ、陰陽の区別がないからである。それに対して、太一においては、陰陽の区別があり、極性をなし、その極性は一(いつ)の様態をもつのである。言い換えると、二一原理なのである。
 これでいちおう整理できたが、問題は、量子論の場の理論である。主客非分化の問題である。つまり、不確定性の原理の問題である。
 主を陽、客を陰とすると、確かに、陰陽の区別はあるが、同時に、非分化なのである。だから、主客非分化は存在すると言えよう。ただし、それは、主客未分化ではないのである。この点は混同されてはいけない。
 ただ、これまで述べたように、量子論は、PS陰陽論から言うと、ガウス平面の実軸、実次元でだけ考えていて、虚軸、虚次元、つまり、陰陽次元で考えていないのが問題なのである。つまり、氣の次元が看過されているのである。
 だから、量子論では、氣と物質が混同されていて、曖昧になっていると思われるのである。
 例えば、長距離相関の問題であるが、それは、虚軸、虚次元、氣=陰陽次元を考えると、明確になるだろう。虚軸においては、陰陽は一であるから、それが実次元において、長距離離れていても、超越的に陰陽(「量子」)は相互反応するのである。
 だから、量子論における非分化であるが、それは、虚軸、虚次元、陰陽次元(氣次元)、超越次元(内在超越次元)が明確にされていないので、曖昧な性質をもっていると考えられる。
 さて、次に、人間の精神の問題を考えると、太極=陰陽未分化と太一=陰陽非分化があり、複雑である。
 太極=陰陽未分化とは、端的に、混沌、カオスである。
そこから、太一=陰陽非分化(極性と一の即非)の宇宙、コスモスが生まれるのである。
 問題は無意識を含めて、人間の精神において、太極と太一はどういう構成になっているのかということである。
 私が例えば、「私は樹木と一である」と感覚した場合、それは、太極の陰陽未分化の様態なのか、それとも、太一の陰陽非分化の様態なのかということに関わると考えられる。
 「私は樹木と一である」というのは、後者であると考えれる。つまり、その場合、「私」は「私」であり、「樹木」は「樹木」であり、両者は区別される存在である。つまり、主客の分離がそこにはあるのである。それと同時に、「私は樹木と一である」ということが成り立つのである。
 区別と一が同時生起事象なのである。正に、即非事象である。
 これは、陰陽非分化、主客非分化である。もっとも、正確に言えば、分化且つ非分化の即非であるが。
 では、前者はどういう場合なのか。それは、「私が樹木と融合する」という場合ではないだろうか。「私」と「樹木」は区別されないのである。
 これは、病的な様態と言えよう。
 思うに、陽が欠落して、陰が強化されるとこうなるのではないだろうか。
 そうならば、陰が極大化したとき、つまり、太陰になったとき、陰陽未分化が生起するのではないだろうか。
 また、逆に、陽が極大化したとき、「太陽」になったときは、陰陽絶対分化が起こり、結局、二元論が生起するのではないだろうか。
 そうすると、太極の陰陽未分化=混沌とは、実は、太陰状態のことなのではないのかと思われるのである。
 ならば、初めに、太極=陰陽未分化=混沌(カオス)ではなく、太一=陰陽即非極性=秩序(コスモス)があるのではないだろうか。
 そう、太極とは実は、太一のことなのではないだろうか。
つまり、太極=太一=陰陽即非極性ではないだろうか。
 今はここで留める。

追記:少し補足する。
 陰の極大としての太陰と陽の極大としての太陽であるが、後者が混同されるので、前者を極陰、後者を極陽と呼ぶ。もっとも、以前そうしたのではあるが。
 補足と言ったが、論の発展になる。
 結局、人類精神史に関わるのである。即ち、母権・母系制の文明時代、これは新石器時代はもとより、旧石器時代にも関係しようが、今の父権文明よりはるかに長期の文明時代であるが、これは、陰陽から言うと、陰に傾斜した精神文明だと思われる。
 問題は、精神の根源である。
 上で、私は、根本は陰陽未分化混沌ではなく、太一=陰陽即非極性=秩序(コスモス)があるのではないかと述べた。
 それから、考えると、結局、精神には、陰陽調和点があるのである。ガウス平面では、原点(MP:メディア・ポイント)がそれに当たるのである。
 そして、母権文明の精神において、陰陽様態が陰に傾斜していると考えるが、そのとき、陰陽調和点が陰といわば、癒着していて、つまり、連続化していて、いわば、未分化様態が発生しているように思えるのである。
 しかしながら、陰陽調和点は、陰陽即非性をもつのであるから、母権文明精神は、陰陽未分化と陰陽即非性の連続態にあるように思える。
 陰陽未分化はいわば、今日から見れば、病理的である。あるいは、未開的である。
 しかしながら、陰陽調和点の即非性は、いわば、未来的である。つまり、母権文明精神は今日から見て、消極的なものと積極的なものが未分化融合していると考えられる。
 次に、母権文明を滅ぼした父権文明、つまり、今日の崩壊しつつある文明(とりわけ、西洋文明)であるが、それは、陽に傾斜した文明であると考えられる。極陽の文明である。特に、ユダヤ教の一神教がそのようなものである。
 とまれ、母権文明に対する父権文明の勝利は、ギルガメシュ叙事詩 に浮き彫りにされている。
 森の母権文明が都市の父権文明に滅ぼされるのである。
 とまれ、人類精神史的にもっとも重要な点は、母権精神にあった陰陽調和点が、父権精神によって排除されたことではないだろうか。
 そう、『ギルガメシュ叙事詩』はまだ、母権精神の残照があるのであり、母権精神の完全な否定は、バビロニア神話あるいはメソポタミア神話 にある。
 母なる神のティアマト をマルドゥク が滅ぼすのであり、その心臓を太陽に捧げるのである。
 そう、この母なる神殺しは、母権精神の完全否定、つまり、上述したように、陰陽調和点の否定と考えられるのである。
 少し丁寧に言えば、母権精神の陰傾斜+陰陽調和点の否定が生じたと考えられるのである。
 確かに、陰陽未分化的精神が否定されたのは、進歩であるが、同時に、陰陽調和点を否定したのは、恐ろしいことなのである。何故なら、人類の精神の根源界に通じる精神的通路を閉ざしたからである。(ここにおいて、超越神の宗教、啓示宗教が起ることになるのである。)
 さて、今日、父権文明のどん詰まり状態に生きているわけであるが、また、新母権文明の曙光が見え始めた時代に生きているわけでもあるが、とは言え、日本は暗黒の度合いを増長させているが、新母権文明の精神は当然、過去の母権文明の精神を何らかの形で取り戻すことになるのである。つまり、母権精神ルネサンスである。
 しかしながら、上述したように、母権精神は否定的なものと肯定的なものの混淆であり、そのまま新生させることは混乱である。また、反動である。
 ポイントは当然、陰陽調和点を新生させることである。そして、陰に傾斜した陰陽未分化精神は否定すべきである。
 思うに、ここで、PS陰陽論の前身である不連続的差異論の画期的意義があると思う。
 即ち、陽傾斜による自我(陽自我、頭脳自我)のもつ連続的同一性を切断して、陰陽の極性を取り戻すことである。
 これが第一歩である。そして、次に、分化された陰陽に、陰陽調和点を中心にして、均衡をもたらすようにはたらきかけるのである。これは、心身修行である。
 この陰陽調和点は、胸の中丹田にあると考えている。そこにおける氣の美感を中軸にして、陰陽(下丹田・肚と上丹田・頭)のバランスを形成するように生活するのである。
 そう、旧い母権精神の復活だと陰中心になり、陰陽未分化の退行が起ってしまい、劣化・退化となるだろう。
 胸・中丹田の氣の美感を中心にして、新たに陰陽均衡を形成するのである。これが、新母権精神の形成である。(また、これこそ、真の個の形成でもある。)
 結局、問題は、父権精神が母権精神を否定して形成されたために、単に陰傾斜の陰陽未分化精神だけでなく、根源に通じる陰陽調和点までも否定したことであり、このために、父権精神は病理的ないし反動的になり、狂気・暴力的になっているのであり、戦争、破壊を好むようになっていると考えられるのである。
 しかし、父権精神を乗り越えようとし、母権精神を取り戻そうとすると上記のことが生じるのである。反動化が起るのである。何故なら、旧い母権精神には、陰傾斜の陰陽未分化の退行的様態があるからである。
 だから、とにかく、上述したように、先ずは、陰陽切断である。連続化している精神を陰陽に切断することなのである。陰のもつ不連続性を肯定することなのである。これが第1段階である。
 そして、第2段階は上述した通りである。
 この方法、いわば、不連続的陰陽調和形成によって、退行的な陰傾斜の陰陽未分化様態は抑えられるのである。
 最後の一言、日本人の精神病理について言うと、陽に傾斜してしまっていて、そう、ほぼ極陽と言えるほどであり、陰が排除されている。これは、うつ病等の精神病を引き起こすと思われる。
 精神の治癒のためには、陰・肚を取り戻すことである。それから、陰陽調和を取り戻さないといけない。
 思うに、消費税増税で貧乏人が増加するが、思うに、これを田園回帰のきっかけとしたい。田舎は高齢者が多く、農業は正に滅びんとしているのである。
 都会・都市を捨てて、田舎に回帰するのは、日本、日本人の復活に通じよう。田園には、氣があるのである。氣とともに、生活すべきである。日本母権民族の復興となろう。


周敦頤 『太極図説 』に描かれた最初の太極図 。朱子学 によって重視された。
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