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2014年08月22日 (23:06)

欠陥人類について:他者の存在しない、あるいは、こころの存在しない、自我欲望存在について

欠陥人類について:他者の存在しない、あるいは、こころの存在しない、自我欲望存在について

テーマ:PS陰陽論:ガウス平面と陰陽論の統合

やはり、人類には、まったく異なる二種類の存在があると思う。これまで、父権的人類と母権的人類と分けてきたが。
 別の分け方では、自我中心人類とこころ中心人類である。
 金融資本主義は前者が支配しているのはわかりやすい。
しかし、大衆はこころ中心人類というよりは、カメレオン的で、御都合主義で、中心的理念はないだろう。いわば、混合的人類である。
 とまれ、自我中心人類であるが、欲望・感情(シュタイナー的にはアストラル体)と自我が結合しているのであり、こころの領域が排除されているというか、非存在なのである。
 そう、シュタイナー的には、アーリマン(自我)とルシファー(恣意)の結合であろう。
 この他者が完全に欠落しているというのは、すごいと言えよう。自我完結主義である。自我の欲望・都合で、他者存在を無視して、行動するのである。專葬邪が典型である。
 問題は、この自我中心主義と金融資本主義(賤民資本主義)が結合しているという事態である。
 自我や同一性主義であるから、他者を否定するし、また、欲望・感情をともなうので、同一性が徹底化すると言えよう。
 正に、悪魔・悪霊的存在である。
 とまれ、こころの欠落、陰陽調和的こころのまったき欠落があるのであり、いわば、欠陥人類である。
 この欠陥人類はいったい何なのだろうか。
 完全に、いわば、ガン細胞の増殖である。
 数字的合理主義は優れているのは認めなくてはならない。
 ただ、それだけである。中味がないのである。量的であり、質がないのである。
 数量的合理主義ロボットである。しかし、反感は猛烈である。
 そう、量的合理主義的悪魔ロボットである。
 彼らを覚醒するのは、至難の業である。
 悪霊とどう付き合うのかである。
 思うに、悪霊のエサを断てばいいのではないだろうか。
 金融資本というエサを断つのである。
やはり、減価貨幣は有力である。
 
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