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2015年01月02日 (00:06)

祝新年!:アマテラス父権民族(天族)とスサノヲ母権民族(地族):アポロとディオニュソス:宇宙と地球(大地)


リンク等は以下を見られたい。
http://ameblo.jp/neomanichaeism/entry-11971838303.html

アマテラス父権民族(天族)とスサノヲ母権民族(地族):アポロとディオニュソス:宇宙と地球(大地)

テーマ:二つの日本民族:母権と父権:日本古代史

『日本書紀』はスリリング、エキサイティング、刺激的に面白い。
 アマテラス民族は天族(父権民族)であり、スサノヲ(又はオホアナノムチノミコト)民族は地族(母権民族)である。
天族は、いかにも超越的である。地族は、大地的である。
 しかし、『日本書紀』では、前者が当然、優位で、後者が劣位なのである。二項対立が成立しているのである。
 しかし、ジョーゼフ・キャンベル的神話学(以下、J.C神話学)の視点から見ると、実質においては、後者が劣位ということはないのである。『日本書紀』は征服民族のイデオロギー書であるから、地族を貶めて書いてあると考えられるのである。
 思うに、この天地二項対立イデオロギーが今日でも続いていると思うのである。
 ポスト構造主義は二項対立批判を行なったが、完全ではなかった。
 思うに、シュタイナー精神科学的に見ると、天族は逆に、物質に作用する力で、地族は、精神に作用する力を意味するのではないだろうか。
 シュタイナーは植物と人間は垂直性において真逆であると述べている。
 植物における天への志向は、人間では地への志向となるのである。また、その逆でもある。
 だから、天族は、逆に物質的作用の力で、地族は精神的作用の力だと思う。
 結局、今は、予備考察的に予見するが、日本文化において、天族が支配したため、物質的作用力が強化され、精神的作用力が弱化したと思われるのである。
 日本人にとり、大地の力とは、真の天の力、精神の力なのである。日本人が原発地獄に陥ったのは、この点を認識していないからであろう。天族の物質主義に傾斜して、地族の精神主義を排除しているのである。
 とまれ、『日本書紀』を逆に読むことを奨めたい。

追記:以上は作業仮説である。

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日本書紀 - Wikipedia
ja.wikipedia.org/wiki/日本書紀


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* 類似ページ

日本書紀』(にほんしょき)とは、奈良時代に成立した日本の歴史書。日本に伝存する最
古の正史で、六国史の第一にあたる。舎人親王らの撰で、養老4年(720年)に完成した
。神代から持統天皇の時代までを扱う。漢文・編年体をとる。全三十巻。系図一巻が
付属 ...


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シュタイナー「精神科学と医学」
https://r5.quicca.com/~steiner/novalisnova/steiner/.../Medizin.html


* キャッシュ

この「精神科学と医学」は、シュタイナーの医学に関する基本的な考え方を深く知るため
に不可欠なテキストです。医学を専門とする方だけでなく、人間の身体というものを自然
との関わりで神秘学的に本当に深く認識したい方にとっても多くの実りを与えてくれると
思 ...





スサノヲと出雲神話:倭母権神話と朝鮮

テーマ:二つの日本民族:母権と父権:日本古代史

『日本書紀』を読み続け、神代上まで読了。
 先に、イザナミ/スサノヲ路線は母権神話ではないかと提起した。
 そして、スサノヲと出雲神話が深い関係にあることがわかり、出雲神話は母権神話ではないかと思った。
 イザナギ/アマテラス路線が父権神話であり、それは、大和朝廷に通じるのであり、それに対抗するものに出雲神話=母権神話があると思うのである。
 また、スサノヲは、オオアナムチノミコト、オオクニヌシノミコト等に関係するのであり、それはいかにも母権神話的ニュアンスが感じられるのである。私は『古事記』を読んだとき、大国主命のもつ父性に強く共感をもったが、それは、父権的父性ではなく、母権的父性と言えよう。
 また、スサノヲは、朝鮮とも関係するのである。やはり、なにか、扶余との関係を想起するのである。
 どうも、扶余・百済と出雲は関係するのではないだろうか。両者、母権文化である。
 また、推測で言えば、国譲りとは、実際は、支配ではなかっただろうか。父権民族が母権民族を支配したのではないだろうか。
 母権国を簒奪したのではないだろうか。そう、端的に、父権民族が母権民族を侵略したと思うのである。
 とまれ、これまで見えなかった母権神話領域が見えてきた。
 最後に一つ、八岐大蛇退治であるが、それは、西洋神話では、龍退治である。
 しかし、スサノヲを母権神話の英雄とすると、龍は殺さないはずである。龍退治をするのは、父権神話においてである。
 つまり、スサノヲは父権神話(アマテラス神話)に利用されているのではないだろうか。

追記:『日本書紀』では、スサノヲは新羅に降ったことになっている。新羅はどうも、父権民族に関係すると思うのである。
 そうすると、作者は、母権神話のスサノヲを、強引に父権神話に結びつけたかったのではないだろうか。

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出雲神話
www.geocities.co.jp/SilkRoad-Desert/8918/izumosinwa.html


* キャッシュ
* 類似ページ

出雲神話. 天照大神が復帰したことにより高天原にその秩序が回復しますが、神々は天
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国引き神話 出雲国風土記
www1.ttcn.ne.jp/~kitasanbe/a_sub_kunibiki.html


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出雲国風土記の国引き神話。八束水臣津野命が出雲の国は若くて狭いので、西方の
新羅の国の余りを、国来!国来!と引き寄せ流されないように引綱を佐比賣山につなぎ
留め、さらに3回国の余りを引き寄せて新しい出雲の国ができました.





『日本書記』:やはり、父権民族が母権民族を支配するイデオロギー神話ではないだろうか

テーマ:二つの日本民族:母権と父権:日本古代史

今、『日本書紀』の神代の巻を読んでいるが、イザナミ、スサノヲ(面倒なので、神名はカタカナで表記する)がとても悪く書かれているのである。なにか生々しいというか毒々しいのである。
 スサノヲは本当に邪悪という感じであり、少し、これは、邪神ではないかと思ってしまった。
 また、イザナミの黄泉の國に行き、それを夫のイザナギが探しに行き、そこで見たイザナミがきわめて、悪しく、穢く描かれている。非常におぞましい様子である。
 しかるに、イザナギやアマテラスはきれいに描かれている。ツクヨミもそうである。
 神話を批判的に読むことに慣れていない人なら、以上を真に受けてしまうだろう。
 しかし、私は神話学者ジョーゼフ・キャンベルの主著全4巻を読んでいるし、翻訳も多数読んでいるので、それなりに神話の読み方を学んでいるのである。

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 古代神話は、母権神話と父権神話の争闘と見るのが、いいのである。
 このテーゼを『日本書紀』に当てはめると、以上の視点は逆になるのである。
 母権神話がイザナミ/スサノヲ路線であり、父権神話がイザナギ/アマテラス路線だと推察できるのである。
 母権民族の倭国に侵入した父権民族が、正反対に書いたのが、『日本書記』ではないかと思うのである。前者を貶めて、後者を賛美するのである。どうもそう思えてきたのである。
 問題は、「侵略」した父権民族である。これは、何か。騎馬民族か?
 私の直観では意外に、失われたユダヤの十支族を含んだ遊牧的民族である。
 飯山一郎「大博士」は、ツングース民族を見ているが、ツングース民族は私見では、遊牧民族であるが、母権民族だと思う。
 そう、意外に弥生民族を従えたユダヤ民族ではないかというイメージが浮ぶのである。そうすると、『日本書紀』の稲作文化性と好戦性が説明できると考えられるのである。 
 とまれ、面白くなった。読み続けよう。

追記:弥生民族を従えたユダヤ民族と言ったが、もう少し丁寧に言うと、弥生民族を従えた中国系父権遊牧民族且つユダヤ民族ではないだろうか。
 では、ツングース族はどうなるだろうか。これが微妙である。
私見では、彼らは、太陽信仰をもっていて、それが母権天皇文化になるのである。
 それに対して、中国系父権遊牧民族/ユダヤ民族の父権的太陽信仰があり、両者が『日本書紀』で混淆するのであるが、主体は、後者であり、前者は利用されていると見るのである。

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J人父権自我は超一神教自我だろう:自我は自己の正当な拠り所をどこにもつのか

テーマ:二つの日本民族:母権と父権:日本古代史

現代J人の異常さ・狂気であるが、それは、自我主義であることから来ていると考えられる。
 自我とは、陽であり、同一性であり、二項対立主義であり、他者の陰を否定するものである。
 つまり、自我VS自我となり、戦争状態なのである。ホッブズの万人の万人に対する戦争ということである。
 自我は自我を自我の正当さの拠り所にすると考えられる。つまり、独善なのである。自己は正しいという僭越さ、先入観、独断、妄想、傲慢等々があるのである。
 某国の腫症は超典型である。
 ここには、他者との対話関係が生じないのである。二項対立原理で、自己は正しく、他者は誤りであるという優劣二元論が作用するのである。 
 思うに、一神教の場合は、自我を超えた、超越神・唯一神が存するのであるから、それが、正当さの根拠になるから、まったくの自我独善とはならないだろう。 
 しかるには、J人の場合は、一神教ではないので、超越神・唯一神に当たるものが、自我に内在すると思うのである。
すると、これは、超一神教・超唯一神となるのではないだろうか。
 J人の一人一人が、超超越神、超唯一神になっているのである。これでは、超異常・超狂気にならない方がおかしいだろう。
 今は簡単な指摘に留める。





こころ=精神=氣=霊(スピリット:der Geist)

テーマ:唯物科学から物質包摂の氣サイエンスへ

多忙なので、後で検討したい。
 ところで、だんだん、私の内的世界における結構が見えてきた。こころ(心ではない)は精神であり、それは、氣であり、また、霊・スピリットである。
 霊・スピリットというと、普通、引いてしまうが、何て言うことはない、自分の内面に端的にあるものなのである。
 こころ(ココロ)は、胸というか、心臓にあると思う。英語のheartは的確である。フランス語のcoeurもそうだ。古い言い方では、心の臓である。
 こころ=精神=氣=霊・スピリットである。どうして、こんな簡単なことがわからなかったのだろうか。
 それは、近代の主知主義、近代合理主義、唯物論、利己主義に囚われていたからである。
 そう、ベースに肚があり、トップに頭があり、中間に均衡部として、こころがあるのである。こころで、バランスを取るのである。
 もちろん、健康のためには、これに身体理性をもつ必要があるのであるが。
 今は簡単な説明に留める。

追記:ロマン主義は、heartの中心的意義を、reasonに対して、唱えた。しかし、これは、二項対立である。
 そうではないのである。こころを中間点として、頭と肚の均衡を取ることが重要なのである。こころと理性は対立させてはいけないのである。
 だから、ロマン主義は、肯定的な面と反動的な両面をもっていたと言えよう。
 そう、肚のベースに気付かないと、heartとreasonは対立するのである。
 肚とは、陰であり、頭は陽であり、こころは、太極的均衡点なのである。

追記2:魂であるが、それは、こころに近いがこころのより情的な側面、つまり、こころの陰的側面を指すと言っていいだろう。
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