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2015年01月06日 (09:34)

仮説:日本民族における、天照大神を介する二つの神の衝突:ヤハウェVS太陽女神(大日孁貴)

仮説:日本民族における、天照大神を介する二つの神の衝突:ヤハウェVS太陽女神(大日孁貴)

テーマ:『日本書紀』解読:日本民族の根源書を読む

『日本書紀』は今や第二巻(岩波文庫)に入った。垂仁天皇の記事を読んでる。狭穂姫(さほひめ)の悲劇が痛ましいが、素晴らしい。『平家物語』の白拍子、仏御前の物語で感動して以来の久々の感動である。
 とまれ、今言いたいのはそのことではない。もっとも、本質では関係するが。
 今、私の仮説は、先に、アマテラスは二神であると言ったが、そのことの発展である。
 即ち、アマテラスの二神とは、端的に、一つは父権神であり、それは、ヤハウェであり、一つは母権神であり、大日孁貴(おおひるめのむち)、または、日の神(日の大女神、太陽女神ないし太陽大女神)である。
 西洋民族の代表神と東洋民族の代表神が激突しているのが日本古代であり、『日本書紀』である。
 かつて古代において、世界中で、父権神と母権神の闘争が行われ、前者が後者を殲滅させるようにして、父権文明が誕生したのである。
 しかし、例外的に、地域があった。例えば、古代ギリシアである。そこは、アナトリア(今のトルコ)に接し、古代母権文化の協力な場所であるが、そこへ父権的遊牧民像が侵入して、母権と父権の大衝突が起きたのであるが、古代ギリシアは、父権優位とは言え、希有な母権と父権の結合文化を生んだのである。それは、ニーチェの天才的視点、アポロとディオニュソスに提示されている。そう、古代ギリシア、陰陽極性を形成したのである。
 その他は、アイルランドであろう。ケルト文化があり、それは、母権文化であるが、キリスト教と融合したのである。
 そして、三番目が古代日本である。
 私の仮説では、失われたイスラエルの十支族が日本に到来したのである。当然、ヤハウェ信仰をもっていたはずである。
 しかし、日本は、世界に稀なる長期な縄文時代を経ていた。それは、母権文化である。
 そして、飯山一郎「大博士」が説く日本民族ツングース族起源源流説を借りれば、ツングース族は太陽神母権文化をもっていたのであり、それが、私の唱える母権天皇文化の原点である。
 今思うに、ツングース族の太陽女神母権文化であるが、同時に、強力なシャーマニズム文化であったと思うのである。
 とまれ、縄文的土着シャーマニズム母権文化とツングース族太陽女神母権シャーマニズムが結合したのが、古代倭国母権文化である。
 そう、父権宗教の最勝であるヤハウェと母権宗教の最勝である太陽女神が衝突したのが、古代日本、『日本書記』ということである。
 そして、何が生まれたのか。それは古代天皇制である。
 それは、その宗教の主宰神は天照大神である。そして、それが、媒介となって、ヤハウェと太陽女神が衝突していると考えられるのである。
 ヤハウェが優位なときが、父権天皇制である。神武天皇、崇神天皇の御代である。
 しかし、太陽女神が優位なときが、例えば、上記した、狭穂姫悲劇であり、あるいは、豊玉姫の物語(海幸山幸の物語)である。
 そう、決定的なのは、伊勢神宮の起源である。
 岩波文庫の補注から引用したい。

「これらの諸学説は細部では異なる見解を示しているけれど、はじめは伊勢の地方神であった伊勢神宮が、紀[日本書紀]の所伝よりもはるかに新しい時期になってから皇室の神に転化した、と考える点では共通しており、その点に関するかぎり、今日学界の通説として認められているといってよい。記紀神代巻の天照大神が太陽神であるとともに皇祖神でもあるという二重の性格は、このような伊勢神宮の祭神の転化と考え合わせるとき、いっそうよく理解されよう。」 『日本書紀』(二) 351-2頁

この引用箇所の太陽神が私の言う太陽女神であり、皇祖神がヤハウェとなる。
 つまり、ヤハウェが天照大神の仮面をつけて、太陽女神をヤハウェ化しようとしているのである。その結果が古代天皇制である。
 しかし、日本という大地世界はあまりに太陽女神が強烈なのであるから、男性神を中心化することができなかったと言えよう。 
 これは、世界において、唯一の事象ではなかっただろうか。
 とまれ、天照大神という神の仮面を用いて、ヤハウェは、古代天皇制という支配システムを創るのに成功したと言えよう。
 そう、日本父権民族(弥生民族を従えたユダヤ民族)は、日本母権民族のアニミズム、シャーマニズム等の母権文化の破壊に取りかかったと言えよう。
 そう、それはほぼ成功したのではないだろうか。その結果、日本母権民族の精神・霊的世界観が破壊されたと言えよう。精神・霊的次元が忘れられて、物質・感覚・世俗的次元、あるいは、内在的感情次元が強調されていったと考えられるのである。
 分かりやすく言えば、氣の世界を喪失していったのである。

追記:古代インドのことを失念していた。古代インドもベースは母権文化であり、そこへいわゆるアーリア民族(今は、この言葉は違う意味になっている)、印欧語族が侵入したのである。
 生まれたのは、インド哲学である。ブラフマン(梵)が中心的神である。しかし、それは女神ではないのである。
 梵我一如というすばらしい哲学が生まれたが、大女神は消えているのである。ブラフマンこそ、大女神と見るべきなのである。
 そう、大女神文明は、端的に、古代エジプト文明と言えよう。イシス・オシリス神話が完全に大女神神話である。
 

日本書紀〈2〉 (岩波文庫)/岩波書店
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『日本書紀』の中でも、特に好きな部分です。
投稿者 e90j77gn 投稿日 2004/8/27
形式: 文庫

 第2巻には、第11代垂仁天皇から第20代安康天皇を収録しています。『日本書紀』の歴史観は、この巻で一つの画期を迎えます。つまり国内統一事業をほぼ終えて、いよいよ海外に進出し始める過渡期として描かれているのです。そのため、ヤマトタケルや神功皇后といった、皇位継承はしないけど、英雄的な活躍をする人物が登場するわけです。
 しかし、史実性を帯びてくる一方で、『日本書紀』の記述と実際の年代が一致しないという《紀年問題》も深刻に…。たとえば神功皇后の場合、皇后が摂政になってから死ぬまでは69年ですが、この69年間に起きたと述べられている海外の出来事を実際の年代に照らし合わせると、神功皇后は189年間摂政の地位にいたことに…。なぜこんなことになってしまったかというと、神功皇后を邪馬台国の女王卑弥呼に模したためらしいですが。
 ところで個人的には垂仁天皇が興味深かったです。皇后が謀反に手を貸すという悲劇が語られたり、伊勢神宮が創始されたり、古墳文化が始まったと述べられたり、民俗学などからも注目されている人物です。
 史実と伝説、あるいは史実と虚構の境界を散歩できる、面白い1冊です。
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