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2015年03月18日 (01:12)

天とは何か:原点MP=内的天=太極・太一・元一=超越的天(天の公式=マニ教公式)

画像は以下を見られたい。
http://ameblo.jp/neomanichaeism/entry-12002867315.html

天とは何か:原点MP=内的天=太極・太一・元一=超越的天(天の公式=マニ教公式)

テーマ:氣神論:氣は万物に通ずる:氣的身体理性

         
            凸i陽
             |
             |
             自
             我
             |
             |
-1地_____MP・霊______+1天
(重力)         |          (光)
             |
             感
             性
             体
             |
             |
            凹i陰


      応用陰陽ガウス平面

(尚、MPはMedia Pointであり、原点・交点・次元転換点等であり、太極・太一、そして、霊である。)



resurrectionのブログ
(この画像は、映画『スライブ』のトーラスであるアップル像である。この画像と応用陰陽ガウス平面図を対応させるには、アップル像は、時計回りに90度回転すれば、いい。アップルの中の上部の白いらせんと軸のようなものがあるが、それが、+1になるのである。)


応用陰陽ガウス平面図において、天は⇒+1の+1に存する。
 樹木が伸びる方向に存する。
 地は⇒-1の方向に位置する。重力の方向である。
 だから、天を+1,地(地球)を-1,そして、人間を原点MPに位置させてもいいと思う。
 そうすると、宇宙ないしコスモスは天と同じ位置に存するだろう。
 いったい何を問題にしたいのか。
 つまり、コスモス(内外宇宙)とは、単に、マクロコスモス(大宇宙)だけでなく、ミクロコスモス(小宇宙)であり、人体、心身に内在すると考えられるのである。
 では、天=大宇宙が+1に存するなら、小宇宙はどこに存するのだろうか。
 ここでシュタイナーの独特な植物とは逆なポジションにある人体を参考にすると、人体における天は肚であり、応用陰陽ガウス平面図では、-1となり、人体における地は頭で+1となる。だから、人体における天=小宇宙は-1に存することになる。
 言い換えると、地球、大地の中心に天があるようなものである。
 つまり、人体において、-1から+1へと「光」が向うことになろう。この「光」は、内的光だろう。だから、氣の光である。
 そうすると、これは、虚軸から原点MPにおいて、形成されるものである。
 とまれ、人体において、MP⇒-1の「光」が形成され、それが、⇒+1の天と呼応すると考えられる。
 問題は、MP⇒-1の「光」とは何かである。
 それは、通常の日光、陽光でいいのだろうか。
 思うに、これは、内的太陽、内的日光、内的陽光である。
 そして、氣の光と上記したのである。
 ⇒-1の「光」を氣の光としたがそれいいのだろうか。
 とまれ、この「光」は、普通の日光、あるいは、氣の光の二通りの可能性があるのである。
 理論的に整合化するなら、普通の日光であるべきである。氣の光ではないのである。
 だから、今の時点では、⇒-1の「光」を内的日光としておく。(もっとも、正確に云うと、⇒-1ではなく、⇒+1である。つまり、人体において、虚軸の陽凸i下部に、陰凹iを上部にする必要があると考えられる。)
 とまれ、人体において、肚(-1)と天(+1)が呼応すると見るのである。これが、ミクロコスモスとマクロコスモスの呼応・照応と見ることができよう。
 しかしである。この場合、マクロコスモスは外的宇宙、物質的宇宙であり、内秘的宇宙ではないのである。
 少なくとも、氣的宇宙(氣的コスモス)ではないのである。
 直観では、ミクロコスモスとは、氣的コスモスである。
 この齟齬、自己撞着をどう見るか。
 そう、天の問題がある。天とは、外的宇宙でもあるし、同時に、内的宇宙である。つまり、内秘的宇宙、氣的宇宙、霊的宇宙である。
 直観で言えば、外的天は+1であり、内的天は原点MPである。そして、後者が前者に投影されるのである。
 とすると、肚-1の宇宙とは、やはり、内的天になるはずである。
 つまり、ミクロコスモス・小宇宙⇔マクロコスモス・大宇宙の照応とは、内的天に関することと言えよう。
 また、当然、外的天に投影されるのであるが。
 つまり、肚と外的天とは、本来、内的天の投影であるということになろう。
 元は同じ、原点MPということになる。
 つまり、原点MP=内的天が、例えば、植物の場合は⇒+1の外的天へ向かい、人体の場合は、上下逆転して、⇒+1の大地的肚へと向うのであるが、それは、内的には、内的天の投影なのである。
 つまり、確かに、外的天と大地的肚は物質的に存するのであるが、原点MP=内的天が両者に投影されるということと考えられるのである。
 そして、この原点MP=内的天であるが、これは、太極・太一、即ち、根源的一(いつ)に通じるのであるから、それは、超越的天と一致すると言えよう。即ち、

原点MP=内的天=太極・太一・元(根)一=超越的天

ということになる。(これを天の公式と呼ぼう。)
 宗教的にはこれらは神、神仏である。
 思うに、この天の公式は実は、マニ教の公式と呼べるのではないだろうか。
 仮説として、天の公式=マニ教公式としておく。

追記:占星術とは、内的天の外的天への投影に起因していよう。そして、内的天と外的天を混同しているのである。
 占星術を哲理学(フィロソフィエンス)にするためには、内的天の力学を考察しないといけないのであるが、内的天と外的天の混同によって、もっぱら、外的天の動きに、内的力学を見ようとしているのである。いわば、本末転倒であり、迷信である。
 しかし、内的天のもつ作用のなんらかの結果は見ていると言えよう。


http://ameblo.jp/neomanichaeism/entry-12002847789.html
こころ・精神・氣*知性の均衡としての理性:知性があっても、自我主導ならば、知性は捩じ曲げられる

テーマ:生命力/氣自衛医智学:唯物機械論医学批判

知性(悟性)は、自我に結びついていると考えている。
 だから、自我主導だと、利己主義が知性を歪曲するようになる。
 日本の「科学者」はそのようなものだろう。
 既述済みであるが、知性を知性として、純粋知性として、活かすには、理性が必要なのである。
 それは、こころ、精神の意識、あえて言えば、氣の意識が必要である。
 こころ、精神、氣は他者と自我との共生を目指すから、自我の知性を利己主義的ではなく、利他的に使用するのである。しかし、無私の愛ということではない。自我と他者との均衡を目指するのである。
 また、知性の進展について考えると、実は、自我中心では、それは無理なように思えるのである。
 知性とは事物や事象等の認識である。だから、自我に執着していては、その認識は不可能である。脱自我主義が必要である。
 そのためにも、こころ、精神、氣が必要と考えられる。
 こころ、精神、氣には、思うに、直観、イメージ力、ヴィジョン力があるのである。だから、それを生き生きとさせることで、創造・独創的な知性が生まれると考えられるのである。
 私自身の創意、発見はそのようなものである。
 ということで、ざっとであるが、知性を知性として、純粋知性と活かすには、また、知性を進展させるには、こころ、精神、氣が必要であるということになる。
 そして、理性というものは、このこころ・精神・氣⇔知性のバランスの取れた認識力のことではないだろうか。
 今はここで留める。

図は以下を見られたい。
http://ameblo.jp/neomanichaeism/entry-12002835893.html

作業仮説:キリストの愛とは生命、氣、陰陽調和のこと?:聖霊は氣ないし氣的霊?:水瓶座の啓示?

テーマ:こころ教共同網:「まことの教え」共同体

私は以前、キリストの愛とは生命のことではないかと示唆した。生命は氣であるから、愛=氣という図式が成り立つことになる。
 また、一般に人間より動物の方が「愛」があるのである。これは、やはり、動物に作用している氣の作用ではないだろうか。個体と他者の共存愛である。
 ただし、猿山のようなボス支配は、父権自我の先駆体ではないだろうか。
 人間の場合、愛が貧乏なのは、当然、自我、とりわけ、父権自我が支配的であるからだと思われる。
 また、父権集団的自我の場合は尚更である。
 そう、父権自我は一種、愛盲であろう。あるいは、理性盲である。(そう、後で、知性と理性の相違を再度確認したい。)
 簡単に図示した方がわかりやすいだろう。
 以下の応用ガウス陰陽平面図を見ていただこう。


            凸i陽
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             自
             我
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-1地_____MP・霊______+1天
(重力)         |          (光)
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             感
             性
             体
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            凹i陰


      応用陰陽ガウス平面

(尚、MPはMedia Pointであり、原点・交点・次元転換点等であり、太極・太一、そして、霊である。)

氣とは、陰陽調和によって存すると考えられる。とまれ、虚軸に存し、原点を中心に振動していると考えられる。
 自我は上図から、虚軸のプラス軸に存すると見るのである。
 そして、父権自我の場合は、感性体を(連続的)同一性化するのである。言い換えると、自我と感性体(他者)が癒着するのである。そして、自我の陽と感性体の陰が共振しなくなるのである。
 そう、陰陽共振によって、調和が生まれ、本来の氣が形成されると考えるのである。
 しかし、陽の自我と陰の感性体が(連続的)同一性化によって癒着した場合、もはや、陰陽共振、陰陽調和、氣は形成されないのである。
 しかしながら、その癒着は意識においてである。癒着下の無意識においては、なんらかの陰陽共振はあると思われる。
 さて、意識において、氣がなくなるということは、生命がなくなるということである。愛がなくなるということである。
 だから、自我、とりわけ、父権自我は氣盲、生命盲、愛盲と考えられるのである。
 故に、自我の利益のために、平気で人を騙し、殺戮したりするだろう。ペテン師、詐欺師、殺戮狂、殺人狂、虐殺屋である。
 專争邪や某国の奸凌や葬理や背慈禍は、この典型と考えられるのである。
 では、彼らに覚醒するときが来るのだろうか。
 こころが発芽するときがあるのだろうか。
 そう、無意識においては、生命、氣、愛、こころはあるのであるが、まったく埋没しているのである。
 一般的には不可能に思える。
 しかし、現代は、新古代は、水瓶座エポックである。これは、陰陽調和宇宙を意味する。つまり、陽極まりて陰に転ずの転換が起っていると考えられる。
 すると、陽ではなく、陰が主導化すると、陰陽調和が啓けてくるのである。
 そうすると、父権自我の悪人も覚醒する可能性が出てくると言えよう。マニ教的転換と言おうか。
 今はざっと述べるに留める。
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