2006年03月23日 (04:57)
反転とマイナス・エネルギーという考え方
イデア界、メディア界、現象界、各界の反転をマイナス・エネルギーによると考えているが、それは、正しいのであろうか。
Aイデア界B/Cメディア界D/E現象界F
の図式で考えると、例えば、現象界において、E→Fの志向に対する反転として、F→Eという、言わば、逆志向が生じると考えられる。前者をプラス・エネルギーによるものとするならば、当然、後者はマイナス・エネルギーによるものと考えられる。
この問題に関しては、1/4回転の力学を考えなくてはならない。イデア界における最初の1/4回転がある。それに呼応して、メディア界、現象界の生起がある。この、イデア界の最初の1/4回転で、メディア界と現象界が形成される。そして、次の1/4回転で、それが、「脱構築」されると考えれるだろう。だから、奇数の1/4回転で、構築作用が生じ、偶数の1/4回転で、脱構築(解体)作用が起こるのではないだろうか。 そうならば、例えば、ポスト近代の動きをどう考えるべきか。今は、作業仮説として述べるが、先に述べたことと関連するが、イデア界における回転を前提条件にして考えたい。つまり、イデア界が永遠回帰として、回転運動をすると仮説した上で、1/4回転を考えることにする。
そこで、イデア界の最初の1/4回転が、メディア界を形成し、そして、現象界を形成したと考えられる。これは、《力》の連鎖である。では、二回目の1/4回転は何を意味するだろうか。それは、解体・「脱構築」だと思う。最初の1/4回転が近代主義を意味するならば、二回目の1/4回転は、ポスト近代を意味するだろう。では、三回目の1/4回転は何を意味するのか。それは、新たな近代主義だろう。これは、ポスト近代に対する反動とも考えられよう。大澤真幸氏の「アイロニカルな没入」をここで、考えることができるだろう。つまり、再近代主義である。そして、四回目の1/4回転が、イデア界の回帰、永遠回帰となり、これは、不連続的差異論を意味するだろう。
このように考えられるならば、これらの1/4回転は、確かに時代に関係するが、同時に、超時代的と考えれるだろう。ニーチェは、自身も考えていたが、はるかに時代を先駆けて、現代・未来的なのであるし、また、フッサールもそうである。つまり、彼らは、四回目の1/4回転に属する先駆的哲学者であると考えられる。
もし、以上の考え方が正しいならば、イデア界の諸1/4回転は、時代の展開と、同時に、超時代的な様相を意味するだろう。後者は、主に、天才が担うものである。例えば、デカルトは、近代主義を生んだだけでなく、ポスト近代、さらに、イデア界再帰の思想の先駆であると言えるのである。結局、この諸1/4回転の動きは、実現されずにはいないだろう。しかしながら、占いのように、時期を限定するのは、完全に誤りだろう。例えば、西洋占星術のように、現代は、水瓶座の時代になりつつあるというのは。それは、機械主義である。そうではなくて、諸1/4回転は、無時間・永遠回帰であり、時代を限定しないと考えるべきである。ただし、傾向・志向として、時代において、実現されつつあるとは言えるだろう。(だから、進化論の問題がここにあるだろう。進化論とは、イデア界から見ると、後れた進展論ではないだろうか。)今は、ここで留めよう。
Aイデア界B/Cメディア界D/E現象界F
の図式で考えると、例えば、現象界において、E→Fの志向に対する反転として、F→Eという、言わば、逆志向が生じると考えられる。前者をプラス・エネルギーによるものとするならば、当然、後者はマイナス・エネルギーによるものと考えられる。
この問題に関しては、1/4回転の力学を考えなくてはならない。イデア界における最初の1/4回転がある。それに呼応して、メディア界、現象界の生起がある。この、イデア界の最初の1/4回転で、メディア界と現象界が形成される。そして、次の1/4回転で、それが、「脱構築」されると考えれるだろう。だから、奇数の1/4回転で、構築作用が生じ、偶数の1/4回転で、脱構築(解体)作用が起こるのではないだろうか。 そうならば、例えば、ポスト近代の動きをどう考えるべきか。今は、作業仮説として述べるが、先に述べたことと関連するが、イデア界における回転を前提条件にして考えたい。つまり、イデア界が永遠回帰として、回転運動をすると仮説した上で、1/4回転を考えることにする。
そこで、イデア界の最初の1/4回転が、メディア界を形成し、そして、現象界を形成したと考えられる。これは、《力》の連鎖である。では、二回目の1/4回転は何を意味するだろうか。それは、解体・「脱構築」だと思う。最初の1/4回転が近代主義を意味するならば、二回目の1/4回転は、ポスト近代を意味するだろう。では、三回目の1/4回転は何を意味するのか。それは、新たな近代主義だろう。これは、ポスト近代に対する反動とも考えられよう。大澤真幸氏の「アイロニカルな没入」をここで、考えることができるだろう。つまり、再近代主義である。そして、四回目の1/4回転が、イデア界の回帰、永遠回帰となり、これは、不連続的差異論を意味するだろう。
このように考えられるならば、これらの1/4回転は、確かに時代に関係するが、同時に、超時代的と考えれるだろう。ニーチェは、自身も考えていたが、はるかに時代を先駆けて、現代・未来的なのであるし、また、フッサールもそうである。つまり、彼らは、四回目の1/4回転に属する先駆的哲学者であると考えられる。
もし、以上の考え方が正しいならば、イデア界の諸1/4回転は、時代の展開と、同時に、超時代的な様相を意味するだろう。後者は、主に、天才が担うものである。例えば、デカルトは、近代主義を生んだだけでなく、ポスト近代、さらに、イデア界再帰の思想の先駆であると言えるのである。結局、この諸1/4回転の動きは、実現されずにはいないだろう。しかしながら、占いのように、時期を限定するのは、完全に誤りだろう。例えば、西洋占星術のように、現代は、水瓶座の時代になりつつあるというのは。それは、機械主義である。そうではなくて、諸1/4回転は、無時間・永遠回帰であり、時代を限定しないと考えるべきである。ただし、傾向・志向として、時代において、実現されつつあるとは言えるだろう。(だから、進化論の問題がここにあるだろう。進化論とは、イデア界から見ると、後れた進展論ではないだろうか。)今は、ここで留めよう。

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