2006年12月30日 (04:32)

検討問題:ジョルダーノ・ブルーノの一性と対極・即非・差異共振シナジー論

後で詳しく検討したいが、ジョルダーノ・ブルーノの『原因・原理・一者について』(1584年)を、第一話(弁明の部分)を飛ばして、読んだが、今から420年以上の前の著作とは思えない実のある、天才的哲学書である。ブルーノの哲学は、とても、プラトニック・シナジー理論に似ているのである。即ち、内在的超越性の視点をもっている。いわゆる、ネオ・プラトニズムの系譜になるのだろう。しかし、内容は、プラトン哲学を創造的発展だと考えられるのである。
 問題は、一元論なのである。内在的超越性をブルーノは、一者・一性と考えているのである。しかし、この一者・一性とは、実は、正に、対極的一性、即非的一性なのである。おそらく、クザーヌス等の影響から、対立の一致の思想を取り込んでいるのである。これは、私見では、対極性の思想であるし、即非的思想と言っていいものである。(ヘーゲルは、対極性の思想を弁証法に変造してしまった。弁証法は自我の思想であり、権力の思想である。)
 結局、ブルーノの一元論をどう考えたらいいのか、と思っているのである。結局、それは、対極論・即非論なのである。つまり、対極論・即非論を一元論と見るのか、多元論として見るのか、というような問題になるのである。自己認識方程式のi*(-i)⇒+1の+1の差異的同一性を考えると、一元論と言えないことはないのである。しかし、i*(-i)を一元、一性と見ることはどうだろうか。
 ブルーノの説いている内容から見ると、一者とは、正に、差異共振シナジー様相を指しているのである。結局、問題は、用語にあると思う。一者、一性、一元とすると、一神教の一と誤解されることに問題があると言えるだろう。唯一神の一とブルーノの一者はまったく異なるのである。後者は、全体であり、矛盾・対立を包含したものである。つまり、あえて言えば、多神教と一神教の対立を統一した一者・一性論なのである。だから、対極一性論、即非一性論、差異共振一性論と言えば、問題がなくなるような気がするのだが。
 しかし、ブルーノの一元論は、やはり、何かひっかかるのである。なにか、微分的極限論なのである。例えば、最大の円と直線が一致するというような考えなのである。つまり、差異がないのである。だから、ここで、訂正して、ブルーノ哲学は、確かに、内在的超越論で、対立の統一をもった一元論で、プラトニック・シナジー理論に近い面があるものの、最後の点が決定的に異なると思う。プラトニック・シナジー理論は一元論ではないだろう。不連続的差異の共立・共振・即非・対極性を説くが、不連続的差異の一性は説かないだろう。一如とは言えるが、一性とは呼ばないだろう。
 確かに、差異共振シナジー・コスモスがあるから、共感性はあるが、差異の共感性なのである。永遠に区別はあるのである。即非的一如性がポイントである。
 後で、さらに検討したい。

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  • Author:sophio・scorpio
  • 2004年(平成16年)9月23日、ブログ上で、ODAウォッチャーズ氏(ブログ『海舌』)と遭遇して、新しい理論、不連続的差異論が誕生しました。まったく思いもよらぬ出来事でしたが、この結果、独創的な理論が生まれたと自負しています。とても簡潔な理論ですが、文系、理系の分化を乗り越えた統一的理論で、多くの分野・領域に適用可能だと考えられます。
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