2007年02月20日 (15:12)
検討問題:即非イデアと素粒子:波動関数の収束と虚軸・虚界・イデア界
今、少し時間があるので、本件について、今思っていることに触れたい。
今、『量子力学入門』(並木美喜雄著、岩波新書)
http://www.amazon.co.jp/%E9%87%8F%E5%AD%90%E5%8A%9B%E5%AD%A6%E5%85%A5%E9%96%80%E2%80%95%E7%8F%BE%E4%BB%A3%E7%A7%91%E5%AD%A6%E3%81%AE%E3%83%9F%E3%82%B9%E3%83%86%E3%83%AA%E3%83%BC-%E4%B8%A6%E6%9C%A8-%E7%BE%8E%E5%96%9C%E9%9B%84/dp/4004302102/sr=8-1/qid=1171947972/ref=sr_1_1/249-8662877-2461937?ie=UTF8&s=books
を読んでいるが、非局所的長距離相関という、光速を超えると考えられる事象のことが気になるのである。
直観では、虚軸の差異即非相(造語して、虚相・虚界)と実軸の同一性相(造語して、実相・実界)の関係を見るべきなのである。
すなわち、波動関数の収束であるが、波動のときは、粒子は、虚軸・虚相・虚界に、いわば、潜在(虚在)し、収束するときは、実軸・実相・実界に発現・顕現するのではないだろうか。
つまり、虚軸の粒子は、虚粒子であり、イデア粒子であるということであり、それが、波動関数となっているのではないのか。それが、収束して、実軸の実粒子になるということではないのか。
i*(-i)は、波動関数ではないのか。そして、→+1で、粒子になるのではないのか。
だから、超光速というよりは、虚数の光速ic又は-icと見るべきではないのか。これは、実空間(現象空間)ではなく、虚空間(イデア空間)を移動しているのである。この虚空間(イデア空間)は、現象界から見たら、どういう具合なのだろうか。
確かに、現象軸に直交した軸にあるということになる。第四次元である。内在超越空間ないし超越空間である。
これは、神秘的な作家には、コスモスの空間ということになるのではないだろうか。
とまれ、以上のように考えると、素粒子は、波動としては、イデア空間にあるということになるだろう。つまり、差異即非ないし即非イデアが素粒子の根源であるということになるのではないだろうか。すなわち、i*(-i)が即非イデアあるいは元素粒子である。
これは、原点を介して、イデア界から現象界へと転化すると言えるだろう。
思うに、量子力学で場と呼んでいるのは、原点(ゼロ・ポイント)のことではないだろうか。あるいは、真空と呼んでいるものは。しかし、それでは、虚軸・虚界・虚相を捉えていないだろう。
つまり、量子力学は、差異即非イデアを、原点と実軸でしか捉えていないのではないだろうか。だから、非局所的長距離相関という仮説をとらざるを得ないのではないだろうか。しかし、虚軸・虚界・虚相・イデア界を考えれば、そのような超光速の事象を考える必要がなくなるだろう。
元素粒子は、イデア界に存していると見ればいいと思うのである。
さて、これまで、フッサール現象学の超越論性は、虚軸において考えたが、ハイデガーの存在はどうなるだろうか。私は、それは、フッサールの志向性の概念を、内在的存在に変更したものではないかと思えるのである。これは、哲学としては、後退だと思うのである。志向性は、知即存在と考えるべきである。
ついでながら、思いつきで言えば、クォークは、当然、差異即非イデアi*(-i)を指しているのではないだろうか。
また、スピンであるが、それは、左回転、右回転で説明がつくのではないだろうか。
では、最後に、問題として、以上のように考えると、差異即非イデア=元素粒子には、元意識があるということになるのではないだろうか。
そう、元素粒子=イデアは、志向性であるから、確かに、元意識と呼んでいいように思える。元意識子である。あるいは、簡単にして、意識子としての元素粒子である。
ならば、(これが本当の最後であるが、)人間の意識と元素粒子=元意識子の関係はどうなるのだろうか。おそらく、等価と見ていいのではないだろうか。というか、元意識が元素粒子=元意識子と等価である。そして、それは、光というか、元光である。神である。元光=神=元意識=元素粒子となるのではないだろうか。
元光は、現象化して、光となるだろう。今はここで留めたい。
今、『量子力学入門』(並木美喜雄著、岩波新書)
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を読んでいるが、非局所的長距離相関という、光速を超えると考えられる事象のことが気になるのである。
直観では、虚軸の差異即非相(造語して、虚相・虚界)と実軸の同一性相(造語して、実相・実界)の関係を見るべきなのである。
すなわち、波動関数の収束であるが、波動のときは、粒子は、虚軸・虚相・虚界に、いわば、潜在(虚在)し、収束するときは、実軸・実相・実界に発現・顕現するのではないだろうか。
つまり、虚軸の粒子は、虚粒子であり、イデア粒子であるということであり、それが、波動関数となっているのではないのか。それが、収束して、実軸の実粒子になるということではないのか。
i*(-i)は、波動関数ではないのか。そして、→+1で、粒子になるのではないのか。
だから、超光速というよりは、虚数の光速ic又は-icと見るべきではないのか。これは、実空間(現象空間)ではなく、虚空間(イデア空間)を移動しているのである。この虚空間(イデア空間)は、現象界から見たら、どういう具合なのだろうか。
確かに、現象軸に直交した軸にあるということになる。第四次元である。内在超越空間ないし超越空間である。
これは、神秘的な作家には、コスモスの空間ということになるのではないだろうか。
とまれ、以上のように考えると、素粒子は、波動としては、イデア空間にあるということになるだろう。つまり、差異即非ないし即非イデアが素粒子の根源であるということになるのではないだろうか。すなわち、i*(-i)が即非イデアあるいは元素粒子である。
これは、原点を介して、イデア界から現象界へと転化すると言えるだろう。
思うに、量子力学で場と呼んでいるのは、原点(ゼロ・ポイント)のことではないだろうか。あるいは、真空と呼んでいるものは。しかし、それでは、虚軸・虚界・虚相を捉えていないだろう。
つまり、量子力学は、差異即非イデアを、原点と実軸でしか捉えていないのではないだろうか。だから、非局所的長距離相関という仮説をとらざるを得ないのではないだろうか。しかし、虚軸・虚界・虚相・イデア界を考えれば、そのような超光速の事象を考える必要がなくなるだろう。
元素粒子は、イデア界に存していると見ればいいと思うのである。
さて、これまで、フッサール現象学の超越論性は、虚軸において考えたが、ハイデガーの存在はどうなるだろうか。私は、それは、フッサールの志向性の概念を、内在的存在に変更したものではないかと思えるのである。これは、哲学としては、後退だと思うのである。志向性は、知即存在と考えるべきである。
ついでながら、思いつきで言えば、クォークは、当然、差異即非イデアi*(-i)を指しているのではないだろうか。
また、スピンであるが、それは、左回転、右回転で説明がつくのではないだろうか。
では、最後に、問題として、以上のように考えると、差異即非イデア=元素粒子には、元意識があるということになるのではないだろうか。
そう、元素粒子=イデアは、志向性であるから、確かに、元意識と呼んでいいように思える。元意識子である。あるいは、簡単にして、意識子としての元素粒子である。
ならば、(これが本当の最後であるが、)人間の意識と元素粒子=元意識子の関係はどうなるのだろうか。おそらく、等価と見ていいのではないだろうか。というか、元意識が元素粒子=元意識子と等価である。そして、それは、光というか、元光である。神である。元光=神=元意識=元素粒子となるのではないだろうか。
元光は、現象化して、光となるだろう。今はここで留めたい。

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